表紙 > 漢文和訳 > 『後漢書』劉盆子を抄訳、青州黄巾の性質がわかる列伝

02) 赤眉が推戴した、矛盾の皇帝

『後漢書』列伝第一、劉盆子伝をやります。
吉川忠夫訓注をみて、抄訳と感想をつけます。

光武帝を知ることが目的。

前漢の璽綬は、王莽-劉玄-劉盆子-光武帝の順でわたった。
いちおう「正統」の皇帝だから、知って損はない。はず。

斉のシャーマンと方望の弟が勧め、劉盆子が即位

軍中常有齊巫鼓舞祠城陽景王,以求福助。巫狂言景王大怒,曰:「當為縣官,何故為賊?」有笑巫者輒病,軍中驚動。

赤眉の軍には、斉のシャーマンがいた。

琅邪のマジシャンしかり。山東は、オカルトな土地。

斉のシャーマンは、城陽景王の劉章を祭った。城陽景王の劉章は、シャーマンに乗り移って、おおいに怒った。
「どうして天子にならず、賊となるのだ?」

原文「県官」というのは、天子のことらしい。
『後漢書』の注釈にあるから、従うしかないが。行政区分・県の役人という意味でも、いい気がする。就職しろよと。笑

シャーマンを馬鹿にした人は、病んだ。

時方望弟陽怨更始殺其兄,乃逆說崇等曰:「更始荒亂,政令不行,故使將軍得至於此。今將軍擁百萬之眾,西向帝城,而無稱號,名為群賊,不可以久。不如立宗室,挾義誅伐。以此號令,誰敢不服?」崇等以為然,而巫言益盛,前及鄭,乃相與議曰:「今迫近長安,而鬼神如此,當求劉氏共尊立之。」六月,遂立盆子為帝,自號建世元年。

ときに更始帝は、方望を殺した。

方望は、もと孺子・劉嬰を皇帝に立てた。更始帝は、方望を殺した。更始帝は、前漢の正統な皇帝を、一撃で殺したのだ。劉玄伝でやりました。

方望の弟は、更始帝を怨んだ。方望の弟は、樊崇に説いた。
「更始帝の政治は、かたむいた。いま樊崇さんがひきいる赤眉は、百万人もいるのに、称号がない。劉氏の君主をいただけば、みな樊崇さんに服すでしょう」

方望の兄弟は、劉嬰を立て、いま劉盆子を立てようとしている。方望の兄弟は、更始帝に対抗する劉氏を、なぜ熱心に立てたがるか。方望について調べたら、面白そうだ。しかし、記録があるのだろうか。索引、手元になし。

樊崇は相談した。
「いま長安に迫った。斉のシャーマンは、賊でなく天子になれという。劉氏を、天子に立てよう」
6月、劉盆子を皇帝にした。建世元年とした。

年号が更始なら、更始帝。では、劉盆子に皇帝号をつけるなら、建世帝でいいかな。史書には、書いていません。趣味として呼ぶなら。笑


牛飼いの少年・劉盆子が、垢まみれで皇帝に

初,赤眉過式,掠盆子及二兄恭、茂,皆在軍中。恭少習《尚書》,略通大義。及隨崇等降更始,即封為式侯。以明經數言事,拜侍中,從更始在長安。盆子與茂留軍中,屬右校卒史劉俠卿,主芻牧牛,號曰牛吏。及崇等欲立帝,求軍中景王後者,得七十餘人,唯盆子與茂及前西安侯劉孝最為近屬。

劉盆子は、三人兄弟の末っ子。長兄は『尚書』に通じた。次兄と劉盆子は、牛飼いである。
樊崇は、霊がシャーマンに乗り移った劉章の子孫を、70人集めた。なかでも、劉盆子の兄弟が、もっとも劉章にちかい血筋だ。

崇等議曰:「聞古天子將兵稱上將軍。」乃書劄為符曰「上將軍」,又以兩空劄置笥中,遂于鄭北設壇場,祠城陽景王。諸三老、從事皆大會陛下,列盆子等三人居中立,以年次探劄。盆子最幼,後探得符,諸將乃皆稱臣拜。盆子時年十五,被發徒跣,敝衣赭汗,見眾拜,恐畏欲啼。茂謂曰:「善藏符。」盆子即齧折棄之,複還依俠卿。俠卿為制絳單衣、半頭赤幘、直綦履,乘軒車大馬,赤屏泥,絳EB7C絡,而猶從牧兒遨。

樊崇はくじ引きをした。
「古代、天子のことを、上将軍と呼んだ。上将軍と書いた札を引いた人が、天子である
年齢の順に、くじをひいた。劉盆子が当たった。

くじで君主を決めるのは、室町時代の足利将軍だ。

劉盆子は15歳。はだしで、服は、垢と泥まみれ。郡臣と向き合っても、恐れて泣いてしまった。
次兄は「アタリ札を大切にしまっておけ」と、劉盆子にアドバイスした。だが、劉盆子は、札を折って捨ててしまった。劉盆子は逃げて、もとどおり、牛の世話をした。

この場面が面白くて、1週間ぐらい「劉盆子伝をやりたい」と、周囲に言いふらしていました。混沌としています。王莽が前漢を滅ぼさねば、更始帝が安定した治世をしていれば、こうならなかった。
方望の弟が、劉盆子のトリガーになっていることに注意。劉盆子の即位は、間接的には王莽のせいだが、直接的には更始帝のせいである


崇雖起勇力而為眾所宗,然不知書數。徐宣故縣獄吏,能通《易經》。遂共推宣為丞相、崇御史大夫、逄安左大司馬、謝祿右大司馬,自楊音以下皆為列卿。

琅邪の樊崇は、勇気と腕力はあったから、赤眉のリーダーだ。しかし、読み書きと計算ができない。東海の徐宣は、もと獄吏で『易経』にくわしい。徐宣が、劉盆子の丞相となった。樊崇は、御史大夫になった。

琅邪の樊崇と、東海の徐宣。赤眉には、2派閥ありそう。
さっき洛陽あたりで転戦したとき、徐宣が別隊をひきいた。派閥あらそいを描き出したら、面白いかも知れない。


赤眉が長安で略奪し、劉盆子は譲位したがる

軍及高陵,與更始叛將張B421等連和,遂攻東都門,入長安城,更始來降。
盆子居長東宮,諸將日會論功,爭言F446呼,拔劍擊柱,不能相一。三輔郡縣營長遣使貢獻,兵士輒剽奪之。又數虜暴吏民,百姓保壁,由是皆複固守。

更始帝の部将・張卬が、赤眉を長安城にまねき入れた。

更始帝と張卬は、対立した。理由は、部将たちが、故郷の荊州に帰りたいから。王莽を攻めたものの、長安にいる理由がなくなり、張卬は帰りたい。更始帝は、せっかく皇帝になったから、長安にとどまりたい。
長安の関中は、鉄壁に囲まれている。ながく快適には留まれず、故郷に帰りたくなるらしい。いま長安に入った赤眉も、青州に帰りたいと言い出して、くずれる。ネタバレ。

赤眉は、手柄をあらそい、物資を奪いあった。長安の豪族たちは、守りをかためて、赤眉と距離をとった。

『漢書』王莽伝で書きました。
更始帝の兵は、おとなしく長安を保全した。前漢の体制内にいた荊州人が、主体だからだろう。対して赤眉の兵は、長安を荒らしまわった。前漢の体制外にいた青州人が、主体だからだろう。
関中の秦漢帝国と、山東の旧斉の文化圏は、春秋時代から敵である。


至臘日,崇等乃設樂大會,盆子坐正殿,中黃門持兵在後,公卿皆列坐殿上。酒未行,其中一人也刀筆書謁欲賀,其餘不知書者請起之,各各屯聚,更相背向。大司農楊音按劍罵曰:「諸卿皆老傭也!今日設君臣之禮,反更CA36亂,兒戲尚不如此,皆可格殺!」更相辯鬥,而兵眾遂各逾宮斬關,入掠酒肉,互相殺傷。衛尉諸葛稚聞之,勒兵人,格殺百餘人,乃定。盆子惶恐,日夜啼泣,獨與中黃門共臥起,唯得上觀閣而不聞外事。
時掖庭中宮女猶有數百千人,自更始敗後,幽閉殿內,掘庭中蘆菔根,捕池魚而食之,死者因相埋于宮中。有故祠甘泉樂人,尚共擊鼓歌舞,衣服鮮明,見盆子叩頭言饑。盆子使中黃門稟之米,人數鬥。後盆子去,皆餓死不出。

文字を知らない赤眉たちが、長安人から、馬鹿にされてキレた。宮殿で、殺しあった。赤眉は、宮廷にいる宮女や池魚をあさった。音楽や衣服を楽しんだ。宮殿の人は、餓死するようになった。

秦漢帝国を、旧斉が破壊している。
官僚の秩序をつくるのが、秦漢帝国。任侠のつながりを重視し、商人みたいに「略奪」するのが、旧斉の文化。外国からの侵入者にひとしい。


劉恭見赤眉眾亂,知其必敗,自恐兄弟俱禍,密教盆子歸璽綬,習為辭讓之言。建武二年正朔,崇等大會,劉恭先曰:「諸君共立恭弟為帝,德誠深厚。立且一年,肴亂日甚,誠不足以相成。恐死而無所益,願得退為庶人,更求賢知,唯諸君省察。」崇等謝曰:「此皆崇等罪也。」恭複固請。或曰:「此甯式侯事邪!」恭惶恐起去。盆子乃下床解璽綬,叩頭曰:「今設置縣官而為賊如故。吏人貢獻,輒見剽劫,流聞四方,莫不怨恨,不復信向。此皆立非其人所致,願乞骸骨,避賢聖。必欲殺盆子以塞責者,無所離死。誠冀諸君肯哀憐之耳!」因涕泣噓唏。崇等及會者數百人,莫不哀憐之,乃皆避席頓首曰;「臣無狀,負陛下。請自今已後,不敢複放縱。」因共抱持盆子,帶以璽綬。盆子號呼不得已。既罷出,各閉營自守,三輔翕然,稱天子聰明。百姓爭還長安,市里且滿。

劉盆子の長兄は、赤眉が敗れると予想した。劉盆子に、皇帝の位を降りろとアドバイスした。
建武二年(26年)の正月ついたち、長兄は宣言した。
「弟の劉盆子は、乱をまねいた。劉盆子を、庶民に降ろしてくれ
しかし赤眉の樊崇は、長兄に断った。
「皇帝の位は、あなたが、どうこうできる話題ではない」

樊崇は、赤眉のなかで唯一、公権力を作りたがっている。

劉盆子は、璽綬をはずし、地に頭を打ちつけた。
「お前たちが、長安で略奪をする。私は皇帝を辞めたい」
赤眉は、大人しくすることを約束した。

劉盆子は、のちに後漢に帰属した。だから、悪く書かれない。ここまでドラマチックに、赤眉の被害者であったかは、謎だが。
赤眉は、ヘッドのない流民集団である。もともと王莽が、経済政策を誤ったから、故郷を去った。流民集団に、ヘッドは不要である。それなのに、樊崇が公権力を作りたがり、劉盆子をむかえた。集団の性質と矛盾するから、皇帝の劉盆子は、つらくて当たり前である。
赤眉のロジックからすれば、略奪は、だれの責任でもない。ただ自分たちが、物資が得られれば、それで満足である。劉盆子が、責任を一手に感じていることを、赤眉は理解しないかも?


後二十餘日,赤眉貪財物,複出大掠。城中糧食盡,遂收載珍寶,因大縱火燒宮室,引兵而西。過祠南郊,車甲兵馬最為猛盛,眾號百萬。盆子乘王車,駕三馬,從數百騎。乃自南山轉掠城邑,與更始將軍嚴春戰於CD37,破春,殺之,遂入安定、北地。至陽城、番須中,逢大雪,坑谷皆滿,士多凍死,乃複還,發掘諸陵,取其寶貨,遂污辱呂後屍,凡賊所發,有玉匣殮者率皆如生,故赤眉得多行淫穢。大司徒鄧禹時在長安,遣兵擊之于鬱夷,反為所敗,禹乃出之雲陽。九月,赤眉複入長安,止桂宮。

たった20余日で、赤眉は略奪を再開した。長安城のなかでは、食糧はつき、珍宝は奪われた。宮殿は焼かれた。赤眉は、百万である。
劉盆子は、長安のまわりで、更始帝の部将・厳春をやぶった。光武帝の部将・鄧禹をやぶった。劉盆子は、9月に長安にもどった。

次回、最終回。赤眉が解散して、劉盆子は・・・?