表紙 > 読書録 > 遅塚忠躬『史学概論』1章 歴史学の目的、抜粋と感想

02) 三様の相違点と相互関係

遅塚忠躬『史学概論』第1章 歴史学の目的
抜粋と感想です。
2節は、歴史学の3つの目的がもつ、相違点と相互関係について。

10月23日の朝、更新しました。昨日公開したページのつづきです。
3つの目的(尚古、反省、推移)の内容は、前のページをご覧ください。


反省的と推移的の相違点

尚古的な歴史学は、ほかの2つと比べる必要がない。なぜなら、現在から過去を見るというベクトルは、同じだからだ。
比べるべきなのは、反省的と推移的である。

方眼の1マスを凝視するのが、すべての歴史学の基本。ほかの2つと比べても、なにかが言えるわけじゃない。だから遅塚氏は、比べない。
1マスを見終わったあと、タテに視野をひろげるか、ヨコに視野をひろげるか。タテとヨコでは、対象の取り扱い方がちがうので、遅塚氏は相違点を述べているんだ。


推移的歴史学は、過去から現在の変化を究明する。脈絡を描く。
 (因果関係、タテのつながりに着目する)
反省的歴史学は、過去と現在を対比する。構造を描く。
 (相互関係、ヨコのつながりに着目する)

反省的歴史学(ヨコに見るとき)は、社会学がやるように、「変化しない過去」を固定してから、現在との比較を始める。
中井信彦『歴史学的方法の基準』はいう。歴史の事象は1回きりだが、生活の日常的レベルにおいては、反復性と規則性がある。社会をわざと静止させて、構造を描くことは可能だ。

推移的と反省的を併存させる必要性

佐藤進一「歴史認識の方法についての覚え書」はいう。
日本の歴史研究は、マルクス主義をうけて、推移的歴史学ばかりをやった。だが、反省的歴史学も、あわせるべきだ。補完させるべきだ。と。
1970年以降、日本の社会が静止(長期的な持続)した。反省的歴史学が、行われるようになった。

歴史学の3つのすがた

3つの区分を、歴史家はいかに経験するか。
まず歴史家は、問題をたてて、文献を読む。文献を整理して、カードをつくる。とちゅうで、当初とは別の問題に気づく。

カードを作らなきゃいけないのか。そうなのか!

3つの区分は、カードの並べ方、組み立て方のちがいだ。

3つの歴史学の相互補完

ベルンハイムはいう。歴史学は、推移的な歴史学にいたってはじめて、科学となった。ただ歴史を物語として楽しんだり、歴史から教訓を引き出したりするだけでは、科学ではない。
ここに見えるように、推移的な歴史学は、近世以降の西洋ではじめて現れた。

どうでもいい、語句の気づきだが。18世紀とかの西洋を「近世」というのだね。日本史だけの用語だと思っていた。マルクスがいう中世と近代だけでは、日本史の江戸時代の説明がつかず、むりくり捻りだした造語だと習ったのだけど。
いまネットで調べた。ベルンハイムの生没年は、1850~1942。ベルンハイムは「近世」を振り返って、後世の目線として、歴史学を説明している。


遅塚氏は、ベルンハイムに反対する。
尚古的な歴史学も科学だ。つまり、1回限りのことに着目し、探究することも、科学である。

よく言われる。歴史学の対象が「1回限り」だから、科学ではないと。
この点、遅塚氏は「はしがき」ですでに反論ずみ。たしかに歴史学では、くりかえし実験することは不可能。しかし、だれも反対の論拠を示せなければ、科学的に「正しい」と見なす。だれにでも反論する機会が保証されている限り、消極的にではあるが、科学である。これが遅塚氏の立場。

個別の史料にあたるとき、歴史家はふかい感動をおぼえる。この感動が、歴史をまなぶ根源的な欲求である。尚古的な歴史学がなければ、反省的や推移的な歴史学が生まれない。

反省的と推移的も、補完する。
推移的な歴史学は、反省的な歴史学といっしょになることで、あつかう対象がひろがる。時代をトータルに描くことができる。

まあ、一般論として聞くなら、当たり前のことですね。タテ×ヨコに目を配ってこそ、ひろく見ることができる。

遅塚氏は、彼が専門の西洋史にひきつけて、フランス革命の例を出している。はぶきますが。

3つの歴史学の融合

例えば、フランス革命という大事件(尚古・個別・1マス)のプロセスで、政治文化(反省・静態・ヨコ)が、いかに変容したか(推移・動態・タテ)を考えたとする。すでに、3つの歴史学が融合している。
もう3つの歴史学を、区別する必要はない。

ただし分析の手法として、3つは意識しておきたい。ビジネス書でいう、考え方の「フレームワーク」となる。


歴史学の共通言語としての概念

3つの歴史学を融合するには、つかう概念(語句)の定義を、固めておくべきだ。封建制、絶対王政、資本主義、などと云うとき、定義があいまいだと、議論ができない。
概念(語句)をつかわないと、何かを言い表すことはできない。ただし、ある概念を使うとき、必ず背後に、判断がまじる。これには注意。

事実が先か。概念(語句)が先か。
これはニワトリとタマゴの論争に例えられる。だが遅塚氏の考えは、割り切られている。事実が先である。事実が存在するから、概念(語句)が生まれる。事実は、概念(語句)とは独立に存在する。

言語論的転回のひとは、概念(語句)が先だと云うのだろう。もし概念(語句)がなければ、たとえ何らかの事実があったにせよ、誰も知ることができない。つまり、事実は存在しないも同然となるんだ。と。
こんなところに、論争のタネが。ぼくは遅塚氏にくみします。

概念(語句)は、適切に使用しなければならない。
もし尚古的な歴史学が、1回きりの事件や人物の個性を記述するとする。そのときも、概念でくくられた一般性のなかに、個性を位置づけなければならない。でなければ、どうして個性的なのかが、浮かび上がらない。

ぼくがつかってる、方眼のマス目の比喩。マス目に名前をつけることや、マス目の性質に名前をつけることで、概念を定義できる。1マスの名前だけじゃなく、複数のマスをくくって、名前をつけることもあるでしょう。


歴史家の力量

歴史家の力量は、なまの史料(一次史料)を、どれだけたくさん読んでいるかで、決まる。なぜなら、なまの史料を読むほどに、3つの歴史学の手法を駆使するチャンスが増えるから。
個別性(特殊性)と、一般性(普遍性)を、適切に把握するために、なまの史料を多く読まねばならない。3つの手法を、使いこなさなければならない。

2節のぼくなりのまとめ

歴史学の歴史(史学史)を見ると、歴史学の3つの手法は、優劣がせめぎあってきた。
でも今日に遅塚氏は、3つの手法を『史学概論』で説明する対象として、扱うことができた。つまり外側から、客観的に見つめることができた。それなら、3つの手法をすべて使わねば、もったいない。そういう話だったと思います。

遅塚氏が指摘していない、歴史学の手法もあるのでしょう。まだ説明の対象として、扱うことができていない手法だ。これを使うことは、できない。


つぎは3節「歴史学の目的と効用」です。