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159年冬、宦官と外戚鄧氏を厚遇

『資治通鑑』を翻訳します。
内容はほぼ網羅しますが、平易な日本語に置き換えます。

159年秋、外戚の鄧氏と宦官を封爵

帝既誅梁冀,故舊恩敵,多受封爵:追贈皇後父鄧香為車騎將軍,封安陽侯;更封 後母宣為昆陽君,兄子康、秉皆為列侯,宗族皆列校、郎將,賞賜以巨萬計。
中常侍侯 覽上縑五千匹,帝賜爵關內侯,又托以與議誅冀,進封高鄉侯;又封小黃門劉普、趙忠 等八人為鄉侯。自是權勢專歸宦官矣。五侯尤貪縱,傾動內外。

桓帝は、梁冀を殺してくれた人に、封爵でむくいた。
皇后の父・鄧香を、車騎將軍とし、安陽侯に封じた。皇后の母・宣を、昆陽君とした。兄子の鄧康と鄧秉を、列侯とした。鄧氏の宗族は、みな列校や郎將となった。賞賜は、巨萬をかぞえた。

胡三省はいう。列校とは、北軍五校尉だ。郎将とは、三署の中郎将だ。
ぼくは思う。梁冀と同じである。鄧氏に代わっただけ。後漢が、愛想を尽かされる。

中常侍の侯 覽は、上縑を5千匹もらい、關內侯となる。侯覧も、梁冀をうつ相談にのったから、高鄉侯にすすむ。小黃門の劉普と趙忠ら8人は、鄉侯となる。宦官の権勢がはじまった。五侯が、もっともひどい

袁紹が皆殺しにするまで、つづきます。


159年秋、李雲が桓帝を諌める

時災異數見,白馬令甘 陵李雲露布上書,移副三府曰:「梁冀雖持權專擅,虐流天下,今以罪行誅,猶召家臣 扼殺之耳,而猥封謀臣萬戶以上;高祖聞之,得無見非!西北列將,得無解體!孔子曰: 『帝者,諦也。』今官位錯亂,小人諂進,財貨公行,政化日損;尺一拜用,不經御省, 是帝欲不謗乎!」帝得奏震怒,下有司逮雲,詔尚書都護劍戟送黃門北寺獄,使中常侍 管霸與御史、廷尉雜考之。

白馬令する甘陵の李雲は、露布で上書した。

胡三省はいう。白馬県は、東郡に属す。李賢はいう。露布とは、封をしない布のこと。あわせて副本を、三公府に提出する。

「桓帝は、梁冀とおなじだ。西北の列将(皇甫規や段熲)が報われない。孔子は言った。帝とは、道理を明らかにするものだと」と。桓帝は震怒した。尚書に命じ、李雲を黃門北寺の監獄に入れた。李雲を責めた。

時弘農五官掾杜眾傷雲以忠諫獲罪,上書「願與雲同日死」, 帝愈怒,遂並下廷尉。大鴻臚陳蕃上疏曰:「李雲所言,雖不識禁忌,干上逆旨,其意 歸於忠國而已。昔高祖忍周昌不諱之諫,成帝赦硃雲腰領之誅,今日殺雲,臣恐剖心之 譏,復議於世矣!」太常楊秉、雒陽市長沐茂、郎中上官資並上疏請雲。帝恚甚,有司 奏以為大有敬。詔切責蕃、秉,免歸田裡,茂、資貶秩二等。時帝在濯龍池,管霸奏雲 等事,霸跪言曰:「李雲野澤愚儒,杜眾郡中小吏,出於狂戇,不足加罪。」帝謂霸曰: 「『帝欲不諦』,是何等語,而常侍欲原之邪!」顧使小黃門可其奏,雲、眾皆死獄中, 於是嬖寵益橫。

弘農五官掾の杜衆は、李雲を罰するなと言った。「李雲と同日に死にたい」と言った。桓帝は、杜衆も廷尉にわたした。大鴻臚の陳蕃、太常の楊秉、雒陽市長の沐茂、郎中の上官資も、桓帝を諌めた。
桓帝は、陳蕃らを罰した。李雲と杜衆は、獄死した。

こまかく訳していませんが。内容は分かるので、はぶく。


太尉瓊自度力不能制,乃稱疾不起,上疏曰:「陛下即位以來,未有勝 政,諸梁秉權,豎宦充朝,李固、杜喬既以忠言橫見殘滅,而李雲、杜眾復以直道繼踵 受誅,海內傷懼,益以怨結,朝野之人,以忠為諱。尚書周永,素事梁冀,假其威勢, 見冀將衰,乃陽毀示忠,遂因奸計,亦取封侯。又,黃門挾邪,群輩相黨,自冀興盛, 腹背相親,朝夕圖謀,共構奸軌;臨冀當誅,無可設巧,復記其惡以要爵賞。陛下不加 清征,審別真偽,復與忠臣並時顯封,使硃紫共色,粉墨雜糅,所謂抵金玉於沙礫,碎 珪璧於泥塗,四方聞之,莫不憤歎。臣世荷國恩,身輕位重,敢以垂絕之日,陳不諱之 言。」書奏,不納。

太尉の黄瓊は、桓帝を止められない。黄瓊は病気で立てないと称し、桓帝に上疏した。「桓帝は、梁冀とおなじことをした。梁冀は、李固と杜喬を殺した。桓帝は、李雲と杜衆を殺した。代々お世話になったが、私は太尉をやめたい」

胡三省はいう。黄瓊の父・黄香は、尚書令だ。和帝に重んじられた。

桓帝は、黄瓊の引退をみとめず。

159年冬、単超が、第五種を朔北に流す

冬,十月,壬申,上行幸長安。 中常侍單超疾病;壬寅,以超為車騎將軍。

159年冬10月壬申、桓帝は長安にゆく。
中常侍の單超が、病気だ。10月壬寅、桓帝は、単超を車騎將軍とした。

胡三省はいう。宦官の孫程は、死後に、順帝から車騎将軍をおくられた。いま単超は、生きているのに車騎将軍になった。


十二月,己巳,上還自長安。燒當、燒何、當煎、勒姐等八種羌寇隴西金城塞,護 羌校尉段穎擊破之,追至羅亭,斬其酋豪以下二千級,獲生口萬餘人。

159年12月己巳、桓帝は長安からもどる。
燒當、燒何、當煎、勒姐ら、8種の羌が、隴西の金城塞を寇した。護羌校尉の段穎が、羌族をやぶった。段熲は、羅亭にいたる。羌族の酋豪より以下を、2千級斬った。生口1萬余人をえた。

詔復以陳蕃為光祿勳,楊秉為河南尹。單超兄子匡為濟陰太守,負勢貪放。兗州刺 史第五種使從事衛羽案之,得臧五六千萬,種即奏匡,並以劾超。匡窘迫,賂客任方刺 羽。羽覺其奸,捕方,囚系雒陽。匡慮楊秉窮竟其事,密令方等突獄亡走。尚書召秉詰 責,秉對曰:「方等無狀,釁由單匡,乞檻車征匡,考核其事,則奸慝蹤緒,必可立 得。」秉竟坐論作左校。

ふたたび陳蕃を光禄勲とした。楊秉を河南尹とした。單超の兄子・單匡は、済陰太守だ。兗州刺史の第五種は、從事の衛羽に、單匡の貪放をチェックさせた。

『百官志』はいう。12州の刺史には、みな従事史がいる。職務は、ほぼ司隷と同じだが、都官従事はない。功曹従事は、治中従事となる。郡国の従事を部す。郡国ごとに1人おく。文書を管理し、非法を察挙する。みな州が自ら任命し、100石に通ず。

單匡は、5、6千万をワイロしてきた。第五種は、單匡と単超を弾劾した。單匡は、衛羽を追って殺したい。衛羽は單匡の殺意を知り、ぎゃくに刺客の任方を捕えた。任方をしばり、洛陽に送った。單匡は、楊秉に裁かれるのがイヤだ。單匡は、刺客の任方を脱獄させた。尚書は、楊秉を取り調べた。楊秉は、答えた。「刺客は逃げたが、單匡を調べてもらえば、悪事の証拠が出るはずだ」と。楊秉は有罪となり、論作左校。

ぼくは補う。宦官の単超が、横車を押した。正しいはずの、第五種や楊秉が、バカを見た。そういう話。つぎの段落も、おなじ文脈。


時泰山賊叔孫無忌寇暴徐、兗,州郡不能討,單超以是陷第五 種,坐徙朔方;超外孫董援為朔方太守,畜怒以待之。種故吏孫斌知種必死,結客追種, 及於太原,劫之以歸,亡命數年,會赦得免。種,倫之曾孫也。

ときに泰山賊の叔孫無忌は、徐州と兗州で寇暴する。州郡は、叔孫無忌を討てない。単超は、これを口実に、兗州刺史の第五 種を、朔方に徙した。

『考異』はいう。楊秉伝では、「単超の弟」とする。宦者伝では「単超の弟の子」と。いま第五種伝に従う。范曄は、(桓帝を諌めた)李雲の死を、延熹三年年(160年)春とする。袁紀では、延熹二年(159年)秋だ。
胡三省が楊秉伝を見るに。延熹三年(160年)李雲に味方したせいで、楊秉は田里にかえる。同年冬、河南尹となる。單匡の刺客・任方が、衛羽を刺した。任方を逃がしたから、楊秉は論作左校とある。
第五種伝はいう。單匡は刺客に、衛羽を殺させた。単超は怒りをつもらせ、第五種を陥れたと。
もし范曄のいうとおりなら、李雲が死んだとき、単超はすでに死んでる。どうして単超が、第五種を陥れるか。また李雲が桓帝に抗議したのは、鄧皇后を立てて、五侯を立てる政策に対してだ。どちらも延熹二年(159年)の政策だ。ほぼ袁紀が、正しかろう。李雲は159年に死んだ。『資治通鑑』では159年とした。
范曄の第五種伝はいう。第五種のために衛羽は、叔孫無忌を説得して降らせた。叔孫無忌は、党与30余人と、第五種に降ったと。桓帝紀を見ると、延熹三年11月、叔孫無忌は、都尉の侯章を殺したとある。また臧旻は、第五種が盗賊を平定できない、と上書した。以上から第五種は、叔孫無忌を、降すことができず。だから第五種伝は、ウソである。ここまで司馬光が記す。

単超の外孫・董援は、朔方太守となる。董援は、怒りを蓄えて、第五種をあつかう。第五種の故吏・孫斌は、第五種が殺されそうだと知った。孫斌は太原で、董援から第五種を救い、数年間、亡命した。のちに大赦にあって、第五種は赦された。第五種は、第五倫の曾孫だ。

胡三省はいう。第五倫は、光武帝と明帝に仕えた。


159年、陳蕃と爰延が、桓帝を批判する

是時,封賞逾制,內寵猥盛。陳蕃上疏曰:「夫諸侯上象四七,籓屏上國;高祖之 約,非功臣不侯。而聞追錄河南尹鄧萬世父遵之微功,更爵尚書令黃俊先人之絕封。近 習以非義授邑,左右以無功傳賞,至乃一門之內,侯者數人,故緯象失度,陰陽謬序。 臣知封事已行,言之無及,誠欲陛下從是而止。又,採女數千,食肉衣綺,脂油粉黛, 不可貲計。鄙諺言『盜不過五女門』,以女貧家也;今後宮之女,豈不貧國乎!」帝頗 采其言,為出宮女五百餘人,但賜俊爵關內侯,而封萬世南鄉侯。

このとき桓帝は、身内を厚遇しすぎる。陳蕃は上疏した。「前漢の高祖は、功臣でないと侯爵にしないと決めた。だが、河南尹する鄧萬世は、父の鄧遵に功績が少ない。尚書令する黃俊は、断絶した封地をついだ。封爵をバラまくな。また後宮の浪費が、国を貧しくする」と。

胡三省はいう。桓帝は鄧皇后の親族を優遇した。鄧遵が羌族を破った功績を理由に、鄧萬世に南郷侯をつがせた。

桓帝は陳蕃をみとめた。宮女5百余人を出した。ただ桓帝は、陳蕃を聞かず、黃俊を関内侯にして、鄧萬世を南郷侯とした。

帝從容問侍中陳留爰延:「朕何如主也?」對曰:「陛下為漢中主。」帝曰:「何 以言之?」對曰:「尚書令陳蕃任事則治,中常侍黃門與政則亂。是以知陛下可與為善, 可與為非。」帝曰:「昔硃雲廷折欄檻,今侍中面稱朕違,敬聞闕矣。」拜五官中郎將, 累遷大鴻臚。

桓帝は、侍中する陳留の爰延に聞いた。「私はどんな主君かな」と。爰延は答えた。「桓帝は、漢室では中ほどの君主です」と。桓帝は理由を聞いた。爰延は答えた。「尚書令の陳蕃が政治を整え、中常侍や黄門が政治を乱す。プラマイゼロだから」と。桓帝は「面と向かって批判してくれ、ありがとう」と言い、爰延を五官中郎将とした。大鴻臚に遷った。

ぼくは思う。爰延が、いちおう桓帝を褒めたから、桓帝は聞く耳をもったのだ。もし宦官の重用だけを批判したら、聞かなかった。そして桓帝は、宦官の重用を辞めない。まったく、下らない「名君のふり」のエピソードだなあ。どんな暗君だって、自己イメージは名君なのだ。


會客星經帝坐,帝密以問延,延上封事曰:「陛下以河南尹鄧萬世有龍潛 之舊,封為通侯,恩重公卿,惠豐宗室;加頃引見,與之對博,上下□□黷,有虧尊嚴。 臣聞之,帝左右者,所以咨政德也。善人同處,則日聞嘉訓;惡人從游,則日生邪情。 惟陛下遠讒諛之人,納謇謇之士,則災變可除。」帝不能用。延稱病,免歸。

夜空で、客星が帝坐をとおった。桓帝はひそかに、爰延に聞いた。爰延は、封書で答えた。「河南尹の鄧萬世を、南郷侯にしたのが原因です。外戚の鄧氏と、宦官をはびこらせるな」と。桓帝はもちいず。爰延は病気だといい、退職した。101204

けっきょく、桓帝はワガママなのだ。爰延をきかず。
宦官も外戚も、皇帝権力の延長だ。皇帝が、自分を強く見せようとすれば、宦官と外戚が肥大化する。桓帝は、きわめて皇帝らしい皇帝だ。
梁冀は、賓客たちに暴れさせてしまった。桓帝は、梁冀と同じように「専横」する。だが桓帝は皇帝だから、その「僭逆」を、なじられることはない。何度も言うが、やっていることは、同じだ。