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02) 死者を死なせぬ「他我」

内田樹『他者と死者・ラカンによるレヴィナス』文春文庫2011
4章「死者の切迫」に基づき、陳寿になりきって、陳寿の思想を語る。

偽りの恭順で、劉諶を弔う

「晋家とは何か」という問いを立ててみよう。

これは、ラカンの研究発表「私とは誰か」をアレンジしたもの。本では、レヴィナスと同時代人で、思想が共通する人物として、ラカンも出てくる。もちろん二者には差異がある。しかし本で引用されるのは、共通する部分である。
というわけで、ラカンにも陳寿を投影する。

私は、以下の意見をしりぞける。
晋家は、天下を中枢する機能をもち、すべてを決定できる。晋家の皇帝、晋家の官僚は、つねに正常に判断できる。晋家の正統は、自明である。晋家の正統は、透明で安定して合理的である。など。
いちおう私も晋家に仕える身であるから、公道でこれを言うことができない。だが私は、晋家を信じていない。晋家を全能だと思ってしまったら、晋家の基盤にひそむ「何か誤ったもの」を検出できないからだ。

晋家=デカルトのいうコギトね。


私には、恥ずかしながら、2つの正統を信じる。漢家の正統、晋家の正統である。
たったいま、晋家の正統を疑ったばかりだが、私が晋家に生かされているのも事実だ。私は、北地王の劉諶さまに殉じなかった。
私の態度を例えてみよう。まるで、2つの家族を持つ浮気者。聞き手が変わるたびに、別の話をする左道者。狡猾に面従腹背している、晋宣王!

ラカンを初めとするフランスの知識人は、ドイツの占領軍を前に、このように二枚舌だったそうだ。158頁あたり。


私のような降伏者は、詐術士となり、特殊な「語り口」を使うようになった。漢家からの同僚も同じである。
どういう「語り口」か。
あらゆる言葉が、「裏の意味」を持つような語り方をする。ふつうの語義のほかに、もう1つの意味を帯びる。ふつうの解釈で読みとれるメッセージと、別の解釈で読みとられるメッセージが異なる。トリッキーである。
平凡な日記に見えて、政治運動を語っているなど。

ジャン・ポーラン『タルブの花』が該当。

愛する人を守るためには、偽って権力に恭順する。非業の死をとげた死者のためには、全力をあげて権力に抵抗する。これが降伏者の宿命だ。
つまり私は、偽って晋室に恭順する。同時に、北地王を弔うため、全力で晋室に抵抗すると。このように、矛盾する要請を背負っている。
おっと!口がすべった!
誤解を招く表現がありました。

私が晋室に仕えるのは、偽りの恭順ではありませんよ!
(という具合に、発言を左右して、北地王への義理を果たすのだ)

私はつねに「これ以上、晋室をヨイショしたら、冥府で北地王に顔向けができなくなる」という、ギリギリのラインで、言葉を選んでいる。生き延びるための手段として、晋室をヨイショするが、本心までは売り渡さない。
私の著作は、つねに二重の意味を秘める。ふつうのレベルの解釈では、晋室を尊ぶ。だが、ふかいレベルの解釈では、晋室を貶める。私のつくる『三国志』も同じである。つねに読み手が、真意を読み落とすように書いてある。

わざと真意を聞き損じさせるのは、ラカン。160頁。ラカンチュウではないよ。

魏家に本紀を立ててあるから、(魏家に禅譲を受けた)晋家を尊重したように見える。だが『蜀書』を読めば、先主と後主という敬称をつかい、『蜀書』に皇后伝を立ててある。『三国志』を読んだ人は、私の意図をはかりかねるだろう。魏家を重んじたのか、漢家を重んじたのか、おおいに議論してほしい。
なぜ議論が生まれるか。そう仕向けるように書いたからだ。

前ページで私は、譙周を批判した。
魏家と漢家を、同一の戦場に連れてきてはいけない。魏家と漢家を、おなじ度量衡で測定することが、測定する発想それ自体が、漢家を滅ぼした。そう言った。
どうだろうか。分かりやすかったか。
多くの人は「分かりにくい」「詭弁くさい」「負け惜しみだ」という感想を持ったことだと思う。この不可解さもまた、漢家から晋家に降った私ゆえの、トリッキーな論法なのだ。分かりにくくなくては、意味がない
もう私は、二度と漢家に仕えることができない。そんな漢家は、晋家の人々が、どう逆立ちしても捉えることができない、「比較考量できない何か」であるべきだ。
「すんなり理解させて、たまるか!」と、旧魏臣どもに言ってやりたい。私の祖国を、魏家の領土の延長として、捉えさせてはならない。ただの益州という土地として、戸数や収穫量というデータとして、捉えさせてはならない。

漢家を「見殺し」にした、やましさ

私は、鄧艾や鍾会と戦っていない。私は譙周の派閥として扱われ、鍾会に監禁されたが、命を失わなかった。 だが、成都の混乱で、おおくの知人を失った。

レヴィナスはユダヤ人だが、アウシュビッツへ行かなかった。しかしアウシュビッツで、家族を失った。らしい。

鍾会と姜維が敗れたとき、巻きこまれなかった。漢家の滅亡にあたり、私は被害者ではないが、勝利者でもない。微妙な立場におかれた。
確固たる唯一の正統性にもとづいて、行動できなかった。辛うじて私の立場を名づけるならば「生き残り」である。

私は、自分が生き残ったことの意味と、その無意味について、うまく語ることが出来ない。理由がわからない。

「意味」と「無意味」とを、羅列する。この「わかりにくさ」が、レヴィナスの特徴らしい。迷惑なことである。レヴィナスは「前言撤回」が、語り口のクセらしい。厄介だけど、ゆえにぼくは、陳寿をレヴィナスに投影できる。

私には「北地王に代わりに生き残り、これを達成する」という信念がない。ゆえに「生き残った理由が分からない」という、根拠のなさに耐えている。

生死の境界でウロウロする私にできるのは、死者を弔うことだ。この死者とは、親族ではない。鄧艾や鍾会に殺された同朋や北地王だけでなく、漢家という王朝もまた、私が弔うべき「死者」であると思う。
親族を弔うなら、その親族の生前に、私は愛情や援助を惜しまなかったか、と反省すればよい。だが「死者」たる漢家を弔うのであれば、親族を弔う方法とは、異なる。
私は、漢家が滅びたことにより生じた、天下の欠如を、最小化せねばならない。生き残った者は、死者が背負うはずだった分の責務を、引き受けるべきだ。
生き残りに「選ばれた」のは、幸運な特権ではなく、受苦に耐える義務を負ったということだ。
漢家の滅亡に、直接に手を下していないが(むしろ私は漢家の永続を願っていた)、私は「関係ない」などと、開き直れない。むしろ「有責なのは、私1人です!」と、名乗りをあげたい気持ちだ。

レヴィナスは世界大戦に、ここまで責任を感じている。なぜ、こんなにも抱え込むか。分からない。内田氏も分からないようで、「身体の奥底から絞り出されるように溢れてきた言葉」と解説する。
「レヴィナスがユダヤ教を信じるから」というのは、指摘内容としては正解かも知れないが、ぼくには何の意味も持たない。ぼくがユダヤ教を理解していないからだ。ゆえに、ぼくがユダヤ教を理由にしても、「彼の価値観はぼくと違うから、ぼくは彼が分からない」と言っているのと、情報量は同じである。つまり、なんの指摘にもならない。
陳寿がここまで責任を感じていたか、ぼくには分からない。だが、レヴィナス=陳寿という想定で、今回のページを作っているので、「陳寿が責任を感じた」と推測することにする。理由をあげるなら、わざわざ『三国志』を編纂したという、面倒を引き受けたという点である。使命感がなければ、こんなことはしない。

私は、漢家の滅亡という事態を、私1人で引き受けるため、歴史書を編纂することにした。これには少なくとも2つの困難が待ち受ける。
1つは、膨大な労力。これは、漢家を弔う心で、切り抜けよう。
2つは、筆禍。歴史を記すということは、毀誉褒貶のサイクルに、自ら飛びこむことだ。身に危険が迫るだろう。だが私は、漢家を滅ぼした責任のもとに、このリスクから逃げてはいけない。
せめてもの自己防衛のため、分かりにくい構成とする。本来は『漢書』『東観記』に続くものを編みたい。例えば『季漢書』がよい。だが、これでは魏家の正統、ひいては晋家の正統を全否定することになる。三国を並記する、本紀と列伝を3系統ならべる、という、特異な構成をとることで、批判を逃れようと思う。

私と同じ耳目をもつ「他我」

私は『三国志』を、死者に献じたい。孝霊皇帝の黄巾に始まり、逆賊の董卓、逆賊の曹操(おっと魏武帝と言うべきだった)に殺された、あらゆる漢臣の何百万人のために献じたい。

レヴィナス『存在するとは別の仕方で』はいう。国家主義者や反ユダヤ主義の犠牲になった、あらゆる宗派、あらゆる国籍の何百人のために、書物を献ずると言った。

私が死者を弔うために、どうするか。
漢家の歴史を、魏家や晋家と同じような語り口で記さない。

重要であり、難しいことなので、丁寧にお話する。
私は、滅亡した漢家を「死者」の比喩で捉えている。だから、私が漢家について記すとき、「死」についての記すのと、同じ語り口になる。
「死」の語り口とはなにか。
「死」を語るとき、2つの方法がある。はじめに、私が「死」=漢家の滅亡を語るとき、採用したくないほうの考え方をご紹介する。

◆考え方1=私が採用したくない「死」の語り口
ある人はいう。死ぬことは、存在しなくなることでない。死は、存在の一部分である。確かに死ねば、一見したところ、存在しなくなる。だが「死」とは、存在する誰かが、「死んだな」と看取ってくれないと、「死」という表現にならない。こういう意味で「死」とは、「存在」の一部分である。
例えば「私の死」という言葉がある。私が死んだら、私は自分が死んだことを確認できない。ゆえに「私の死」という言い方は、無意味であるはずだ。だが現に「私の死」という言い方がある。これは、私の死を看取ってくれる誰かが、存在し続けていることを、当然の前提としている。

私の死後も、世界が存続すること。これは自明でない。「当たり前じゃないか」と言う人がいたら、彼は「そういう世界観を受け入れる」という手続を、1つ踏んでいるのだ。厳密に考えると、そうだよなあ。この手続を言語化するのが、いかにも哲学。


死とは存在しなくなること(死者は消滅する)のはずだが、死は存在の一部分(存在する生者に看取ってもらう)である。この意味で、死は「存在の支配」を受けている。逆説である。
この逆説は、浮華の徒・傅去が唱えた「他我」を思い出させる。

傅去=フッサール。現象学の人、レヴィナスが幻滅した人。
フッサールの現象学を、レヴィナスが理解し、内田氏が説明し、それをぼくの言葉で語った。ぼくは、以下に書いた範囲では「他我」を理解している。
あとで、「他我とは、西晋から見た、孫呉のことである」という話をします。この比喩で分かって頂けるはずなので(あくまで希望的観測)しばしお待ちを。。


「他我」とは、私と同じような耳目をもった人である。
私と同じような耳目をもった人は、天下に溢れている。彼らは、私が聞こえない音、見えない映像を、私と同じように聞いているはずだ。この瞬間、私は天下の全てを聞き、全てを見ることはできない。しかし私が移動すれば、彼らの聞いている音や映像を、同じように受信できるだろう
たとえば、ここに銅貨がある。私から見ると、銅貨の表の刻印しか見えない。では私は「この銅貨には、表のみ刻印され、裏には刻印がない」と主張するか。しない。私と同じような誰かが、同時に裏から覗きこめば、裏の刻印を見るだろう。そういう前提に基づいて、「裏にも刻印がある」と考える。
と思ったら、董卓が濫造した銅貨で、裏に刻印がなかった!
というオチがついたら、申し訳ない。ともあれ「他我」とは、私と同じような耳目を持った人のことである。
「他」人でありながら、「我」と同じ耳目を持つから「他我」である。

私の死を確認してくれるのは、この「他我」である。
私は死ぬから、私は私の死を確認できない。だが、私と同じような耳目をもつ人「他我」が、私の死を看取ってくれる。
さらに先にゆこう。
「他我」というのは、あくまで想定である。目の前に存在する誰かでなくてもよい。
どういうことか。比喩で考える。
たとえば、疫病が流行り、天下の人間が、私を除いて全滅したとする(晋家の政治が悪かったのだ)。そんな状況でも、私は「世界は存在する」という確証がゆらがない。そして、私が寿命で倒れたとしても、天下は存在し続けると考える。
私の死を看取る人間が、1人も存在しないにも関わらず、私の「死」は存在すると考えてしまう
他我という発想を受け入れている内は、死は存在の一部でしかない。死は、存在に搦め捕られている。存在の支配を受けている。「死」というイベントは、生者にとって理解可能、把握可能なものである。

◆考え方1への反論
もし漢家の滅亡を、他我のモデルで捉えたら、どうなるか。
漢家は、滅亡してなお、魏家や晋家の支配を受け続けることになる。魏家や晋家は、自分(簒奪によって成立した王朝)と同じ性質を、漢家に貼り付けて、理解した気になるだろう。「相手も自分と同じ」という想定が、「他我」なのだから。
漢家もまた、簒奪した王朝だと見なされる。
そんなこと、あってよいはずがない!
前に私は譙周を批判した。譙周が天下を論じるととき、生産力、人口、面積の大小という、共通の度量衡を採用して、魏家と漢家を比較した。つまり、漢家と魏家を同じようなもの、と想定して比較した。これも「他我」の発想である。あたかも、
「漢家と魏家の正統性は同じレベルであり、ただ都の位置が異なるだけだ」
と決めつけているに等しい。許されて良いはずがない。

言葉を換えて、もう一度いう。
漢家の歴史を、魏家や晋家と地続きに記せば、どうなるか。魏家や晋家の人は、「強ければ栄え、弱ければ衰える」という、自分たちの歴史に対する浅はかな理解を、聖なる漢家の歴史にも適用するだろう。馬鹿な!

◆考え方2=私が採用したい「死」の語り口へ
「死」というものを、「存在」とは別の仕方で表現する。「存在」に搦め捕られないように、「存在」に支配されないように、もっと別の仕方で表現する。
これを達成せねば、漢家の正統を、記すことはできないのだ。
どうやって記すか。ある種の逸脱、乱調、あるいは「息切れ」というかたちでしか、存在する者が牛耳る天下(西晋)のもとで、表現することができない。そういう方法を選ばざるを得ない。

閲覧者の皆さまは、「何じゃそら」と思われたことでしょう。ぼくもそう思いました。でも、「ある種の逸脱、乱調、あるいは「息切れ」」、はレヴィナスを内田氏が訳したもの。181頁。注意深く、レヴィナスに付き合ってみることにします。


死者をちゃんと死なせてあげろ

「死」を「存在」から切りはなす。つまり、死者を、ちゃんと死なせてあげる。生者からのアクセスを遮断する。そういう語り口を模索する。

◆考え方1の弊害
最悪の死者とは、「死ぬ」ことを拒絶され、死なせてもらえない死者である。肉刑を受けて、のたうち回る人のことではない。生物学的には死んでいるが、生者たちが手放してくれないことを言う。
郷邑の父老に聞いた話を、もう1つ。
ある若者が「今日、母が死んだ。昨日かも知れない。私には分からない」と語り出したという。彼はいう。「墓をたて、涙ぐみ、服喪のルールに従う。すると母は、世間が決めたところの死者として、祭られる存在になる」と。
若者は、服喪のルールを拒絶した。
礼教の規則で母を弔いたくない。礼教により、死者として登録された母は、いつでも生者が呼び出せる状態となる。きちんと死ぬことができず、生者に待たされ続ける。礼教はそれを強いるが、母が可愛そうだ」と。

カミュ『異邦人』です。183頁。さすがに「礼教」とは言ってないけど。笑


父老がこれを語るとき、若者を責める口調だった。礼教のルールを守れと。
だが私は、この逸話の若者に、共感してしまう。もし礼教の規則どおりに葬れば、若者の母は、存在する生者たちが定めた「死者」として登録される。死んだのに、生者に搦め捕られる。
この機能のうち、最たるものが、天子の廟である。天子は死後も、天下を祝福する。天子ともなれば、死後も、生者の世界に関わりを持ちたいのかも知れない。しかし私は、自分の父母にまで、同じことをさせなくない。
だから私は、母が「郷里に葬らないでくれ」と遺言したから、郷里に葬らなかったのだ。ゆえに私は、故郷の誹謗を受けた。郷里の人々は、死して後まで、母を生者の世界(郷里)に縛り付ける気だったようだ。あんまりだ。

生者によって「登録」された死者は、生者の都合で、呼び出される。生者が「自分の政治的な正しさ」を証言したいとき、「歴史の法廷」に証人喚問される。証人喚問する生者は、心からの善意であり、死者を哀悼する気持ちを持っているだろう。だが、死者を道具のように利用している。自覚はなくても。
例えば孝霊皇帝のとき、党錮が行われ、士大夫が死んだ。党人に「代わって」魏晋士族が良い政治を行い、党人の「同朋として」天下を善導する。この語り口が使われるとき、粛正や排外主義が起きやすい。
党人とされた士大夫は、魏晋士族の「政治的な正しさ」を証言するために、今日も「歴史の法廷」に立たされ続けている。私には、そう見える。
朝廷の内外で、民族対立、宗教対立、迫害と差別、テロルと報復が行われ、連鎖するとき、どちらも「死者の身内」として「死者の代理」として、攻撃行動をとっている。死ねない死者たちが、さらに死者を増やす。最悪だ。

186頁あたり。テロルって、さすがに陳寿は言わないよな。笑


この比喩を、王朝にあてはめても同じだ。
晋家は「漢家の後継として天下を治めよう」「漢家の代理として天下を治めよう」と、都合よく漢家を引き合いに出さないでほしい。漢家を、「自分と同じような王朝」「利用可能な前例」程度にスポイルして、漢家を理解した気になってはいけない。漢家を改良して晋家が成立した、なんて不遜な発想を持ってはいけない。
晋家を説明する材料として、漢家をスタンバイさせるな。

ここまで記して気づいたが、私は禅譲という思想そのものを、否定している。禅譲とは、同質のものを、右から左へ移すという発想である。まるで、小包を右から左へ手渡すみたいに、天命が移動すると考えるのが、禅譲である。
禅譲を成立させるためには、受取手が、2つのことを「理解」せねばならない。差出人と自分が、同質(=他我)であること。天命とは、授受ができる小包であること。それを、やってのけたのが、曹賊であり、馬賊なのだ。あっ、失言!

気まずいところで、次回につづく。考え方2、つまり私が漢家を語るときの態度について、いよいよお話します。120218