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03) 「前言撤回」する諸葛亮伝

内田樹『他者と死者・ラカンによるレヴィナス』文春文庫2011
4章「死者の切迫」に基づき、陳寿になりきって、陳寿の思想を語る。

「死者を死なせる」ための考え方

死者の言葉は、「永遠に残響する叫び声」だ。それを、記録したり分類したり、カタログ化することは、私たちに許されない。生き残りに許されているのは、叫び声のなかに「思考」を聞き取ること。生き残った私たち、1人1人が、目眩のするような既視感を覚えるように、語りつぐことだけだ。
これ以外は、死者が許してくれないはずだ。

生者は、死者を召還することはできない。ぎゃくに生者は、死者に召還される者である。死者たちが陪席する法廷に、私たち生者が召還される。そこで私は、生き残った自分が果たすべき責任を、説明しなければならない。
例えよう。
もし晋家に生き残った私が、漢家のことを語るとき、どうすべきか。
諸葛老師を「歴史の法廷」に呼び出して、いかに漢家が素晴らしいか、語らせてはいけない。なんと恐れ多いことだ。姜維を呼び出して、いかに漢家が奮闘したか、語らせてはいけない。ウザいからな。
そうではなく、諸葛老師や姜維が聞いている前で、生き残ってしまった私が、自らに課した責務が何であるか、説明しなければならない。諸葛老師は、厳しい眼差しで、私をにらむだろう。姜維は、目を吊り上げるだろう。だが私は、どちらにも耐えねばならない。
私は、私の責務を、歴史書を編むことだと思っている。だから私は、『三国志』を諸葛老師と姜維に手渡して、これがいかなる書物であるか、誠実にプレゼンしなければならない。冷や汗を流しながら。

生者である私は、生者の語り口(つまり存在の語法)でしか、語ることができない。ゆえに(存在しない)死者については、本来、何も語ることができない。

死者が「存在する」というのが、考え方1の語り口だった。死者は存在しないはずなのに、存在に搦め捕られた。これを否定するのが、考え方2。語れない、という立場をとる。

ゆえに私は、諸葛老師らに「私は諸葛老師たちのことを、語れません」と告白するしかない。

私は、絶対的に受け身の立場である。私は、死者たちに対して、一方的に責任を負うだけである。リターンはない。

190頁。レヴィナスは、苛酷なことを自分に課すなあ。

もし私が「諸葛老師ために」「諸葛老師に代わって」という態度で、漢家について語ろうと思えば、それは身分詐称である。生者である私は、死者の代わりに語ることなど、できない。死者が「存在する」とも言えない。
死者は「他我」でないからだ。つまり死者は、私と同じような耳目をもった人でない。生者と死者のあいだには、交通できない、まったくの差異がある。

「死者を死なせる」具体的な方法

死者を語れぬ私は、黙るしかないのか。
これでは、私はなにも記すことができない。『三国志』を記したこと自体が、誤りとなる。諸葛老師に『三国志』を見て頂く前に、歴史書の編纂という、賢しらな活動を思い立った時点でアウトである。私は「他我」の発想に陥っていたことになる。生者が、死者(歴史)を記すなんて、おこがましい!となる。
あんまりだ。。
私は歴史書を作ることで、漢家や、死んでいった漢臣からの要請に応えようと、自分に課したのだ。なんとかならないか。

解決法は、「前言撤回」と「痕跡」の語り口である。

この語り口は、じつは前例がおおい。例えば「天」について。
天とは、全知全能の絶対的な存在である。天について、人間が説明できるはずがない。なぜなら人間は、全知全能でないからだ。しかし人間は「天」と口にする。人間が「天」について説明したことに、ならないか。

お察しかと思いますが、レヴィナスは「神」のことを言ってる。

この矛盾を解消するため、人間は、前言撤回という方法をとる。つまり「天の性質はこれである、しかし私は天の性質を知らないがな」という語り口である。たったいま、天について発言したくせに、即座に発言を撤回する。
では、話者は何も言っていないか。そうでない。天について、何らかの情報を述べた。その「痕跡」だけは残る。

私が歴史書を記すときも、この語り口を使うことにした。
諸葛老師の素晴らしさを、列伝のなかで散々に書き込んでおく。しかし、末尾のコメントで、諸葛老師の評価を、ちょっとだけ落とす。これが私の採用した前言撤回である。読者には、痕跡だけ伝わる仕組みだ。
死者である諸葛老師について、私が語りつくせるはずがない。もし私が諸葛老師を語り尽くせば、諸葛老師を、私と同レベルまでスポイルしたことを意味する。絶対に、やってはいけない。だから私は「天」の語法をつかう。
べつの言い方をすれば、抹消符合つきの発言である。

この説明方法は、内田氏のレヴィナス論の、別の本より。
以下、< s > のタグをつかって記述している。サイト制作者であるぼくが消したのでなく、陳寿の意図として消した記号である。

「諸葛老師は、政治も軍事にも優れた人物であった
という具合である。
書いただけなら、諸葛老師は有能となる。消してしまうなら、丸ごと削除してしまえば良い(そもそも発言しなければよい)。だが、そのどちらでもない。書いてあるのに、見せ消ししてある。読者に「痕跡」は残る仕掛けだ。
生者が死者について語るなら、この分かりにくい方法を、わざわざ採用するしかない。私は、この抹消符合だらけの『三国志』を、法廷で諸葛老師に見て頂こうと思っている。仕方ないから、姜維にも見せてやる。
おなじことは、「魏家は正統な王朝である」「蜀漢は辺境の群雄にすぎない」「孫呉は辺境の群雄にすぎない」という主張にも採用している。なお、孫呉に抹消記号がないのは、私の付け忘れではない。

晋家の語り口がもつ暴力性

1つめの考え方、つまり、なんでも「存在する」という語り口は、暴力的である。なぜか。「存在する」という語り口には、外部がない。つまり、表現できないものがない。口をつぐむことがない。言い切ってしまう。
「ある/ない」とか「生者/死者」という二元論が、すでに「存在する」に取り込まれている。つまり「『ない』ものが『存在する』」「『死者』が『存在する』」という仕方で、語り口の内部に取りこまれている。  
存在しないもの、死んだ者ですら、命名し、支配し、整序し、享受し、消費し、排除する。他動詞の目的語に押し込んでしまう。

この暴力性は、天下統一を果たした晋家に、準えることができる。天下に、晋家の外部はない。あの漢家ですら、晋家によって、キッパリと説明をつけられ、取り込まれてしまう。(これに私は抵抗している)
晋家の手に掛かれば、諸葛老師ですら「有能である」「無能である」のどちらかに、区別されてしまう。何ということだ。

晋家の語り口の暴力性を、分析しよう。 この語り口に掛かれば、すべてのものは、話者との関係に入りこむ。話者に搦め取られる。
例えば「私は穀物を食べる」というとき。
穀物は、独立した存在基盤がない。穀物は「私」に食べてもらうことで、存在している。私が食べなければ、登場しない。私を抜きにした、「純粋な穀物」というものは、存在しない。
逆のことも言える。私が穀物を食べているとき、穀物ぬきの「純粋な私」は存在しない。私は、穀物と絡みあうことで、「穀物を食べる私」になった。私は穀物によって、基礎づけられている。
なお、穀物から栄養をとって、私が生きている、という意味ではない。「私が石を見ている」でも同じことが言える。私が見なければ、石は登場できない。しかし私は、石から栄養を供給されているわけではない。

わが関心事の、王朝にあてはめる。
「晋家は、漢家を滅ぼした」という語り口の、命題があるとしよう。
これは、穀物と「私」の関係に似ている。
つまり、漢家を抜きにした、純粋な「晋家」はない。事実として文王(司馬昭)は、成都を陥落させることで、晋王に進んだ。また、穀物と「私」の事例と同じように、逆のことも言える。漢家は滅びることで、晋家を成立させたと。漢家は、晋家との関わりのなかで、歴史に登場したと。
これが命題の意味するところ。
「晋家は、漢家を滅ぼした」という発言がなされた瞬間に、漢家は、晋王を誕生させるという絡み合いのなかに、取り込まれた。
トリックだ!
漢家は、晋家があろうがなかろうが、晋家とは無関係に、漢家である。漢家は、独立した存在基盤があった。「純粋な漢家」というものが、確かに存在した。
命題を受け入れた瞬間、歴史がねじ曲がっている。
「晋家は、漢家を滅ぼした」という、1つめの考え方に則った発言を口にすることで、晋家に取り込まれてしまう。巧妙なワナとでも言うべきだ。

1つめの考え方とは、「生者」が思い上がって、「死者」までも「他我」と認識して、「死者」を「存在」の語法で語ってしまうことを指す。この1文だけ見ると、意味不明だが、これまでの2ページで説明した内容です。変わっておりません。

なおこれは、
漢家は晋家に、領土が吸収され、原材料になったという意味でない。「穀物を食べる私」というとき、栄養の話題ではないのと同じだ。そうでなく、晋家の存在基盤の一部(晋家の正統性を基礎づけるもの)として、取り込まれてしまった
おお、嘆かわしい。
口が歪んでも「晋家は、漢家を滅ぼした」と言うべきでない。
領土だけでなく、語り口においても、「晋家は××」と言うとき、晋家は外部を持たない。いかに暴力的か、感じとって頂けただろうか。

漢家を、晋家から切りはなす語り口

晋家の語り口では、漢家は晋家に、取り込まれてしまう。なぜ、こんな悲劇が起きるか。詭弁であるはずのことを、すんなり認めてしまうか。見た目にこだわり過ぎるからだ。見た目だけで、思考が停止するからだ。
「穀物を食べる私」の比喩を、使い回そう。
1つめの考え方では、この比喩を見た目で分析した。穀物がありました、人がいました、口に入れましたと。ここに足りないのは、感覚されたもの、願望されたもの、欲望されたものである。穀物を食べたいという飢餓感が、カウントされない。穀物を飲みこんだ感覚が、カウントされない。

さきに、1つめの考え方の「他我」を説明するとき、銅貨の比喩を出した。
私は表を見ているが、私と同じ耳目を持った誰かが、裏から銅貨を見ることを想定する。これによって私は、銅貨の表裏に、どちらも刻印があることを知ると。
この比喩が良くないのも、見た目で止まっていることだ。銅貨がありました、私が見ました、はい、それだけ。「私の目が銅貨の形にへこむ」「銅貨が欲しくなった」という変化が、カウントされていない。
まるで兵馬俑に、動きがなく、変化しない。

2つめの考え方(「死者」などの語れないものを敬遠し、前言撤回などの苦しい話法を駆使する考え方)には、どんな比喩がふさわしいか。
書物がよい。
「書物を読む」というのは、外見のレベルでは、「銅貨を見る」のと同じである。しかし、読者によって、おなじ書物から、異なった意味を読みとる。読んでいる側に、変化が起こる。その変化をカウントしないと、「書物を読む」を説明できない。

この「説明できない」感じが、書物という比喩のすばらしさ。レヴィナスは、ユダヤ教の教典に関して、これをいう。でも、史料を読むぼくらだって、同じだなあ。

読み手によっては、書物に書いていない着想を、引き出すこともある。つまり、銅貨を見たとき、裏でも表でもない、「第3の面」を見てしまう。
自分が読み終わった本を、友人に渡すとき、友人が自分と同じ読み方をするとは、思えない。友人を、自分と同じ耳目をもった「他我」と捉えていない。読むたびに、新しい意味が付け加えられる。カンタンに理解した気になれない。
話を発展させよう。
付け加わる意味が重要なのであって、もはや「存在」することは、あまり重要でない。つまり、銅貨に第3の面がないとか、書物にそんな記述はないとか、そんなことは、どうでも良い。
意味を読みとるときの、欲望や感情が重要である。

ある人は、「天」を偶像にして、その偶像を拝んではいけないという。「天」という知り得ないはずのものを、偶像というモノに置き換え、理解したような気になるからだ。
(偶像化は、1つめの考え方の作法である)
同じことが漢家に言えると思う。漢家の歴史を、単純明快な記述に置き換え、さっさと理解した気になってはいけない。「漢家は、晋家に滅ぼされた政権だ」というタグを貼って、分かった気になるな。
漢家の歴史は、容易には分からない。むしろ、絶対に分かるはずがない。だが、無視することはできないので、おっかなびっくり、触れてみる。そうあるべきだ。

漢家の歴史に対する、この敬虔な態度を養わせたい。そう考えたから、私は『三国志』を記した。
簡潔すぎるのは、ワザとである。カンタンに全貌を一覧させて、たまるか。前例のない構成なのも、ワザとである。この不可解さを悩んでもらいたい。諸葛亮伝などで、へんな前言撤回や、部分留保があるのも、ワザとである。矛盾のなかに、読者なりの見解を見出してもらいたい。
簡潔のために、おおくの異説を切り捨てた。さすがに、連続した一文のなかに、両論を併記することは出来なかった。だが後世、両論を併記するかたちで、異説の注釈が挿入されることを、私は期待する。いっそう読者を混乱させ、「漢家のことが分からない」「読むたびに違う発見がある」という状況に導いてほしい。
歴史書は、見るモノでない。触れるのでない。語りかけよ。

208頁。偶像崇拝の禁止は、神がモーセに禁じたこと。


「他我」の呉家、「他者」の蜀漢

晋家は漢家を「他我」と捉えてはいけない。すなわち晋家は漢家を、自分の尺度で理解ができ、自分の分身だと考えてはいけない。重要で誤りやすいことなので、何度も同じことを書いてきた。

だが私も、晋家に「他我」の発見を許すことがある。呉家である。
呉家は、晋家と同じように、さしたる正統性もなく、ただ武力によって政権を建て、権力闘争するだけの王朝だった。晋家とおなじ度量衡で計測できる。つまり、国力とか兵数などの、デジタルなデータの集合でしかない。
帰命侯(孫皓)と晋文王は、漢家の視点から見れば、ただの「共犯者」である。共犯者が、いがみ合いながら、馴れ合っていた。
晋家が呉家を征伐した戦争は、同類どうしの抗争だった。外見では、晋家と呉家は、敵対した。だが、似たもの同士であった。
証拠がある。
晋家に仕えた私は、「べつに呉家を伐たなくてよい」と主張した重臣がいたことを知っている。もし呉家が、晋家と全く異質で、晋家の存在を脅かすものなら、こんな穏健な議論は許されない。重臣が「伐呉は必要ない」と言った瞬間に、国賊として誅殺されるできだった。しかし、賈充は誅殺されるどころか、外戚となった。あ、名前を言っちゃった!

魏家(司馬氏の執政)が、さきに漢家を攻めたには、理由がある。
漢家は、根源的な仕方で、晋家を振り動かし、切迫し、混乱させるからだ。

レヴィナスは「晋家」とは言わないが、それ以外は言ってる。

上述のとおり、魏家や晋家の語法には、外部がない。すべてを吸収する。自分を基礎づけるための、関係に巻きこむ。
だが、もし安楽公(劉禅)が成都にあるままだと、魏家や晋家にとって、外部となってしまう。「自分と同じような耳目が、益州にある」と言うことができない。益州が、魏家や晋家との関係に巻きこまず、厄介である。だから攻めた。
呉家を放置したことと、対照的である。

魏晋と孫呉の関係は、オデュッセウスと、オデュッセウスが討伐した「異類」の関係に等しい。「異類」たちだって、オデュッセウスと同じく、オリンポスの神々が統治する世界の、統治メンバーである。
魏晋と蜀漢の関係は、ヨブやアブラハムと、神との関係である。


自分の延長たる「他我」と対比して、自分と根本的に異なる存在を「他者」とよぼう。晋家から見れば、孫呉は他我であり、漢家は他者である。

紛らわしいが、レヴィナスがわざと難解にしている。似ているけれど、ちょっと違う。そういうニュアンスが込められている。まったくの宇宙人が「他者」のほうだ。

他者との関係は、男女関係に似ている。

男女関係について、次回。つぎが最終回です。魏晋と蜀漢の戦いを、男女関係になぞらえて理解する。アクロバティックだなあ。120218