02) 『漢書音義』『呉書』
高橋康浩氏の『韋昭研究』を読みました。
059_『国語』旧注考 -賈逵・唐固注との比較-
賈逵は『後漢書』賈逵伝。030-101年。古文系『左伝』学者。
唐固は『三国志』カン沢伝にある。今文系『公羊伝』『穀梁伝』学者。
韋昭は、賈逵の『国語』注を肯定し、唐固の『国語』注を否定する傾向。
高橋氏は、韋昭の態度を7種類に分類する。②を「④かつ⑥」とし、③を「⑤かつ⑦」と表現すれば、分類の数がへる。すなわち、2(賈逵と唐固)の2乗(否定と肯定) + 1(否定でも肯定でもない)の5種類に分けられる。このほうが、賈逵と唐固について、韋昭の傾向を視える化しやすいと思った。
◆韋昭注の特徴_085
3つの特徴がある。
1) 鄭玄の継承:賈逵注につづき、鄭玄の六天説をひく。虞翻を否定して、鄭玄をひく。だが鄭玄を否定する場所もある。
2) 史的解釈の傾向:時間的観点にたって解釈し、ツジツマをあわせる。
3) 内外伝の一体化:『左伝』と見比べて、『左伝』と異なる記述を否定。
ところが、微妙に包含関係や従属関係になってそうで、むずかしい。
もし『左伝』との対照が、史的解釈に含まれると仮定すると、気になることがある。
『国語』は事実に接続していない。韋昭はこう考えたから、『左伝』をもとに書き換えたのだろう。では『左伝』は事実に接続しているのか。もし、『左伝』は事実に接続しているんだよ! という「信仰」があるなら、それは近代でいう意味の「史的」でも何でもないよなあ。
複数の本の整合性をとる、という意味なら、文学や思想の検討でも、同じ作業をするわけで。うーん。
魏晋に「史」の概念が生じた。渡邉2003にある。韋昭は「史」が生じる萌芽。
渡邉氏は「名士」が社会的地位を高めるために、別伝が盛んに作られたとする。魏晋の「史」の特徴なのでしょう。だが高橋氏は「史」を、客観的で合理的なサイエンスの意味でつかっていると思う。韋昭が、あたかもサイエンスをやったかのように考え、それを、ほめているような気がする。誤読だったすみません。
097_第3章 『漢書音義』と孫呉の「漢書学」
孫権は呂蒙に『漢書』を読ませた。孫登に読ませるため、張休に講義させた。同時代、夏侯淵、劉備、留賛も読んだ。孫皓は華覈に、歴代の硯儒に勝てと言った。韋昭『漢書音義』は252年前後に成立し、孫権が見た。
『漢書音義』は、思想的なものを表に出さない。タイトルどおり、音注と義注ばかり。韋昭は、『漢書』高帝紀の感生帝説に注釈をつけない。韋昭『呉書』は孫堅の生誕に感生帝説をつけるのに。
ただ可能性として気になるのは、顔師古が切り捨てたなかに、孫権を喜ばせるための韋昭注があったこと。孫呉だけに通用する、有用な思想があったら、面白かったのに。
まあ、史料のないことには、どうしようもない。
張昭、張温、韋昭、という学派を想定できる。張休は『漢書』の文言や事物を丹念に注釈した(張休伝)。韋昭の『漢書音義』と同じである。
『漢書』文帝紀で、黄龍が出現する。顔師古は、韋昭注をつけない。だが『史記正義』は韋昭注をつけ、文帝が善政するから黄龍が現れた、と理由をのべる。思想的な注釈は、特異である。宣帝のとき2回、成帝のとき1回、黄龍が現れるが、韋昭注はない。
孫権の即位は、黄龍がきっかけ。韋昭は文帝を理想とした。だが、孫権も孫皓も、文帝のような寛容な名君でなかった。韋昭が黄龍に注釈したのは、君主に対する訓戒である。孫権と孫皓は、陳寿に低く評価された。
一般に「ない」ことを証明するのは至難。例外が許されないから。
韋昭注が、宣帝や成帝に残らないのは、重複を嫌って、韋昭もしくは編者が省いたとか。まあ、この部分は推測でしかありませんが、、ともあれ『史記正義』にあることは重たい。
「思想の注釈はしないが、君主を戒める」という指摘は、申し訳ありませんが、よく分からない。高橋氏は、韋昭を「合理的」「現実的」な人と結論づけるために、黄龍の注釈を「特異」と言っていますが、ぼくは苦しいように感じました。君主との対立という特殊事情がなくても、諸書を見比べ、三国時代の他例にそって発言すれば、黄龍の話は「神秘的」でなく、すんなり書けるんじゃないでしょうか。
なお、陳寿からの評価は、あまり関係ない。高橋氏は、孫権や孫皓が名君か暴君か確認しているが、この話も関係ない。おもしろい話ではありますが。。
119_第4章 韋昭と神秘性-鄭玄との関わり-
神秘性を色濃く引きずる三国時代を生きた韋昭は、神秘的思想に接したか。
小人の邪推ですが、、研究対象が、だんだん好きになることがあると思います。対象を好きになると、対象と自分が同化してくることがある気がします。やがて「自分がイイと思う思想を、対象に投影する」ことが、あるのかも知れません。例えば近代以降のぼくらにとって、神秘を遠ざけ、合理的に考えることはイイとされています。
『国語』は未整理で荒唐無稽。柳宗元は『非国語』を記した。
『国語』には天神合一論がある。周の幽王のとき、地震がおきた。韋昭が言うには「地面が揺れれば、水源が塞がれる。水源が塞がれれば、水が絶える」と。論理的に説明しており、超自然的な解釈をしていない。天に託けない。韋昭が『国語』を読むとき、天の関与を言及しない。韋昭は、神秘的思想より脱し得た。
「超自然的」とか「神秘的」とかいう、近代の手垢のついた言葉を使っていいのだろうか。天への言及がないとしても、それは自分で付け加える専門知識が少なかったから、、くらいでは。柳宗元のように、直に否定しているならまだしも。柳宗元は後世の人だから、柳宗元ほどなら「脱し」ているのかも知れないが。
しかし韋昭は、「宗教性」「神秘性」が完成された六天説をひく。孫呉の郊祀と関係があるからだ。
韋昭の学者(私人) は、君主からの自律性をもつ。人士(公人) は、君主に従属しているが、君主への不満をもつ。孫権や孫皓と折りあわない。「名士」という言葉を使っていないが、同じ枠組みなんじゃないでしょうか。
「名士」は文化資本で自立しているが、君主に仕えて葛藤する。韋昭は学者としての合理性 (じつは近代のサイエンスを投影したもの)があるが、君主につかえて、「神秘」に加担させられて葛藤する。そういう話でしょうか。「神秘」という言葉が、定義なく出てきたので分からなかったが、これなら理解できます。
高橋氏の韋昭像を受けとめるにも、疑うにも、「名士」論とセットになりそうです。ぼくなりの誤読です。ごめんなさい。
孫呉のために『呉鼓吹曲』を書かされた。
以下、第2篇です。
147_第1章『博弈論』と儒教的理念
『博弈論』は儒教思想。長子の孫和を擁護した。
167_第2章『呉鼓吹曲』と孫呉正統論
漢室匡輔が破綻し、瑞祥に頼った。孫呉の正統理論が弱いことを露呈した。
高橋氏は、瑞祥をアピる=正統性が脆弱、という。そんなことを言ったら、王莽、光武帝、曹魏、みんな脆弱になる。創立直後の王朝は弱い、というのは当然のこと。また漢魏のとき、瑞祥をいうのは一般的なこと。瑞祥にマイナスの評価を、そこまで強く加えなくていいと思います。
195_第3章『呉書』の偏向とその検討
特徴は、以下3点。孫堅の出生に神秘性がある。孫邵の列伝がない。曹魏や蜀漢の使者となり、敵国の君主に恥をかかせた人の列伝がある。
なお陳寿は、恥をかかせた人を省いた。魏蜀に比べると遜色があったと、陳博1996はいう。西晋の陳寿は、西晋の人との折り合いが悪いので、韋昭『呉書』の列伝をはぶいた。
221_結論 希代の知識人
鄭玄は後漢に仕えず、理念・観念を先行させた。
韋昭は孫呉に仕えて、合理・現実の解釈を中心とした。
周辺の列伝を読んで膨らませたい。二宮の変に、まったく未着手です。
誤読や曲解、省きすぎによる意味不明など、あると思います。いろいろ書いて、申し訳ありません。
以上、勉強させていただきました。111218