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晏嬰を知り、諸葛亮を知る。
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1)梁父吟と晏嬰
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宮城谷さんの小説を導入にして、春秋戦国に触れ、転じて三国志を知ろうという試み。今回は3回目です。
諸葛亮は「管仲・楽毅になりたい」と宣言する端で、畑に戻ると梁父吟を口ずさんでました。
歌詞もメロディも不明だけど、晏嬰がトンチで、国家にわざわいとなる勇者3名を殺したエピソードが題材だろうと言われています。仮説の域を出ないようですが。
晏嬰が宰相を務める斉では、3人の武人がいた。公孫接と田開彊と古冶子だ。何をやった人か分からないけど、今は保留ということで(笑)
あるとき晏嬰は、3人に2コの桃を贈った。「手柄に応じて話し合って、仲良く分けろ」と。1つ足りない。やらしい罠ですよ。 公孫接は「オラァ虎を倒した」と述べ、桃を取った。田開彊が「敵を倒した」と述べ、桃を取った。古冶子は「巨大魚を倒して君公を守ったオレは、2コとももらう権利があるのに、許せん!」と言った。 これを聞いた初めの2人は、「オレは小さな功しかないのに、桃を取っちまった」と恥じて自害した。桃を総取りした3人目は、「2人を辱めて殺してしまった。オレも死のう」となった。晏嬰は、厄介な武人をオートマティカリー排除完了。
諸葛亮がこのエピソードを嫌っていたら、好んで歌うわけがないのです。劉備と出会う前、素志とでも言うべき魂の奥底で、晏嬰を自分に重ねていたはず。
前もって結論を述べておくと、諸葛亮は晏嬰に、非常な親近感を覚えていた。管仲と楽毅は、生涯かけても追いつけるかどうか分からない、チャレンジ目標。自分とはスケールが違うと弁えていた。でも晏嬰は、すんなり後追いできそうな、現実目標だ。
宮城谷昌光『晏子』を読みながら、晏嬰を知ろうと思います。そして、『三国志』だけじゃ分からない、諸葛亮を知ろうと思います。
■フケ顔の一休さん
宮城谷さんの『晏子』の特徴は、半分以上が彼の父に割かれていること。どうやら、晏嬰だけではキャラ立ちせず、悩んだ結果、「晏子と呼ばれた父子2代の物語にすれば、書ける。連載の長期化が決まった」だそうです。
読後の感想として、事情に充分に納得できました。 父は、春秋時代の典型的な忠臣・良将。君主を助けるために、内政も外交も戦闘も、人並み以上にこなす。不利なときに使者に立ち、相手国に拘束されて命のやり取りをした。均衡・飽和しつつある勢力図を、莱という国を滅ぼすことで、変更させた。 これなら、映画館に観客が入る。
しかし晏嬰その人は、君主に「それはダメ、あれもダメ」と言い続けるだけ。ちょっと気に食わないと、家に帰ってしまう。フリーターかよ。 身長は120センチとかだから、弱い。軍は率いない。宮殿の門前に立ちふさがり、私闘を持ち込む連中を叱り付けただけ。矢が当たらなかったのは、チビだからだ。宮城谷さんが登場人物の口を借りて仄めかしているから、間違いない(笑)
流れ矢が晏嬰の冠を貫くシーンがある。もし160センチくらいあれば、確実に落命していた。運が良くても、夏侯惇になっていた!
晏嬰を平たく表現するなら、フケ顔の一休さんだ。主権者・足利義満を屁理屈でヘコマせて、政治に対する提言をする小坊主と同じだ。
物好きな人が、晏嬰を見たいなと思ったとする。そんなときは、わざわざ映画館に足を運ばなくても、YOU TUBEで充分だ。
■父が描かれた理由
晏嬰父子が生きたのは、斉の国。 管仲が仕えた桓公の孫~さらにその孫の代。周に代わって天下を仕切った斉だが、桓公の死後、後継者争いですぐに衰退した。重耳(文公)の登場によって、晋に覇権が移ったころです。 晋からイニシアティブを取り戻し、桓公の時代の斉を再来させたい!というのが、晏嬰父子が仕えたころの国家ミッションです。
晏嬰の父は、晋との際どい外交を担当した。たびたび戦役があった。政権が安定せず、武力一辺倒の主君が出現したりして、重臣が殺し合いをやった。幾重にも陰謀があった。 晏嬰が表舞台に登場するのは、地ならしが終わったあとだ。
すなわち晏嬰だけを描くと、「内憂も外患もない(読者にとっては退屈な)時代に、あまり賢くない中年の君主を捕まえて、ペラペラ諫言ばかりする小さいおっさん」という物語になる。
これじゃあ、連載は続かないだろう。だから、地ならしされるまでの斉の混乱期、晏嬰の父を描く必要が出てきた。
晏嬰は、引きこもり系、口八丁の人物です。だから、後世に伝えられる逸話を辿っても、問答集のようだ(笑)
宮城谷さんは、梁父吟の題材になった桃のお話を採用していない。だけど、舌先だけで、国に大利を導いたという意味で、宮城谷さんの晏嬰に通じるところがある。
順番に、晏嬰語録を見て行きたいと思います。
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