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晏嬰を知り、諸葛亮を知る。 3)食客を忘れていた晏嬰
■辞めちまえの歌
荘公は、晏嬰を酒宴に招いた。楽人に命じて、「やめちまえ!やめちまえ!オレは、お前が臣下であることが、面白くない。なんでこの飲み会に来たのか」と歌わせた。原文は漢文だろうが、ありていに言えば、中華風の帰れコールだ。
晏嬰はなぜ来たのかと責めたって、荘公が招いたんだが(笑)晏嬰はそこに突っ込むほど、知恵が回らなくない。
晏嬰は「やめちまえ!やめちまえ!国民は、お前が君主であることが、面白くない。なんでお前が存在しているのか」と、3回歌った。

晏嬰はいったん引退をした。乱の臭いを嗅ぎ取ると、この人は逃げるのです。荘公に死相を見たようで。
うるさい晏嬰を退けた荘公は、思いのままに振る舞い、宰相の妻に手を出した。宰相は、荘公の即位を助けてくれた人なのだが、そんな恩義はお構いなし。
荘公は、宰相に殺された。「(君公ではなく)淫者を討ち取ったぞ」と宣言をされた。晏嬰の言うとおりに、君主を辞めちまった(笑)
■晏嬰の復活
荘公を討った宰相は、晏嬰を復帰させて、世論を味方にしようとした。だが、晏嬰は「君公を弑すという大不仁をやらかして、私を許すという小仁で補っても、正道は取り返せない」と撥ねつけた。
宰相たちは、内部分裂しながら、潰しあった。

次の斉公は、景公という。荘公の弟。
景公は、孔子の仕官を断った人。だから、儒徒の評判が悪い。ついでに、景公を補佐した晏嬰も、評判が悪い。でも、本当に暗君なら「景」なんて諡はないと思うのだが。
37歳の晏嬰は、入閣した。宰相を除いた人たちが褒賞を与えられた。だが、晏嬰が辞退したために、受け取りづらくなった。このとき受け取った物品の量に反比例して、家が栄えたという。宮城谷さんの道徳感だ。

再び大臣たちの権力闘争が始まりかけたので、晏嬰は免職を願い出た。ずるいんだ(笑)
宮城谷さん曰く「君主の歓心を買うことも、政争にくわわることも、社稷にはかかわりのないこととして、さけてきたのである」らしいです。べつのとき晏嬰は、「君主でも社稷に仕えるべきである」と、先代の荘公に言ったこともあるそうだ。
晏嬰は、「引きこもってても仕方ない。40歳近い君主を、一生かかけて教育してやるのも、民のための仕事か」と思い直した。これが、斉に第2の繁栄期をもたらす。あんまり有名じゃないけど。

斉の桓公と管仲のペアは、桓公が青年君主で、管仲が商人まで経験した苦労人だけに、舞台栄えがする。桓公が、いちいちマスコミ受けする発言をするから、後世の人に知れ渡った。関係ないけど、『晏子』を読んでる週は、オバマ氏の就任演説がありました。流行しそうな名文句はなかったですね(笑)
しかし、自我の薄いオッサンの景公と、短躯で屁理屈ばかりの晏嬰では、なんか陰気な感じがする。タレント性がない。
■竜頭蛇尾の逸話
晏嬰が外出すると、奴隷が3人休んでいた。その1人に、晏嬰が目を付けた。「彼は粗末な恰好で、日焼けしたホコリまみれの顔だが、君子に違いない」と思い、晏嬰は買い上げた。
晏嬰の弱点を補う、優秀な右腕が登場するに違いないと思うのが、人情だ。「このとき購った奴隷こそ、世界史の教科書にも名前が載っているような、誰々である」という展開を期待する。

しかしある日、その元奴隷が「晏嬰さんの元を去りたい」と言い出した。「士は、自分を理解してくれる人の下で、志を伸ばす。晏嬰さんは、私を買っておきながら、私を放置したままだ。忘れてるだろ。思わせぶりな伏線を張りやがって、期待するじゃないか。私も読者もガッカリだ」と。
晏嬰は顔色を変えて、上客として迎えた。それだけ!

■自分勝手な話
晏嬰は、誰に対しても発言の内容を変えなかった。だから諫言ばかりやる。これは、相手への関心が薄いからだろう。マザーテレサじゃないが、無関心より口を出す方がマシとも言える。しかし、根底にあるのは、思いやりではなくて、「言いたいことを言わないとムズムズする。そんな自分を慰めたい」だ。
これが分かりやすく暴露されたのが、さきの奴隷を買った話だと思う。

そういう観点で見ると、晏嬰の美談は、つくづくマイペースで勝手だ。
あるとき晏嬰は、家宰をクビにした。
「うちの家訓は、ヒマなときは落ち着いて談義し、他人の美点を称揚し、努力を惜しまず、国事を論ぜず、知者を大切にする人としか付き合うな、だ。家宰くんは、どれも出来てなかったから、もう来なくていいよ」
宮沢賢治でも、全部やれないかも知れない。

景公が晏嬰のために、いい家を建ててあげた。だが晏嬰は、それを取り壊して、元のボロ家に建て直した。老朽化して湿った家を、どうやって新築するのか分からないが(笑)とにかく建て直した。
曰く「結露して、狭くて、うるさく、塵まみれの家だが、父から継いだものだから、引っ越さない。ご近所はいい人なので、満足なんだ」

■楚は狗の国
楚王は、極悪非道な君主だった。
晏嬰が来るというので、小さな門を作らせた。マンションのドアにある、ネコの出入り口みたいなものだろう。チビの晏嬰は、大門から入らなくていいよ、というギャグだ。
晏嬰が大門を押しても、ビクともしない。楚王は室内で大笑いして、「小さい門から入れ」と命じた。晏嬰は侮辱されたので、言い返した。
「狗の国に使者としてきた人は、狗の門から入る。私は楚の国に使者に来たのに、狗の門から入れという。すなわち、楚の人は、狗だったということか」と。ガッテン!のボタンが連打されたに違いない。

楚王は、晏嬰を酒宴に座らせ、前に斉人の窃盗犯を引っ張らせた。
「この泥棒は、斉の出身らしい。斉の人は、盗みが本性のようだぜ」
晏嬰は言い返した。
「斉のカラタチという木は、楚ではタチバナに育ちます。葉が似ていても、実の味が違います。水と土が違うからでしょう。楚の水と土は、純朴な斉人を盗人に変えたのです」と、からっとやり返した。
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このコンテンツの目次
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春秋戦国の手習い
晏嬰を知り、諸葛亮を知る。
1)梁父吟と晏嬰
2)晏嬰と荘公のバトル
3)食客を忘れていた晏嬰
4)諸葛亮からの親近感