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晏嬰を知り、諸葛亮を知る。 2)晏嬰と荘公のバトル
■少年時代の発言
君命により、莱国を討ちにいこうとする父をつかまえて。
「父上のやろうとしている、武力の征伐は成り立ちません。蒙昧な民を、正さずに殺せば、遺恨が生じます。遺恨のある民を伐てば、遺恨は10倍します。徳によって正し、敵国民を信服させるべきです。だから、武力の征伐は成り立たないのですよ」

父が莱国を滅ぼし、晏嬰は新しい領土の経営を任されて。
「私は肉を食べない。臣下にも食べさせない。だが、むやみにケチってるんじゃない。貯めた財は、ひとつぶの粟さえ食べられなくなった民のために使うんだ」
幼い晏嬰は、君の欲・臣の欲などを、突き詰めて考えていたようです。孔子はこれを批判して、「自分がケチるのは勝手だが、家の人にまで質素を押し付けるのは、迷惑千万だ」と言ってるそうです(笑)

斉公の妻が男装を好み、街の女性たちに男装が流行った。風俗の乱れを指摘せず、君主をはばかって諫言しない斉臣をつかまえて。
「あなたは、君公の趣味を黙認している。だがあなたは、自分の妻には、あんな卑陋な恰好をさせたくないと言った。つまり、君公の嗜好は卑陋だよと、遠回しに言っていることも同じだ」

ついに、男装フェチの斉公を目の前にして。
「街に男装の禁令を出しましたが、効果がありませんでした。それは、刑罰がゆるいからではありません。斉公が、自分の妻に男装を禁じていないからです。牛首を門にかけて、なかで馬肉を売っているようなものです(看板と売り物がちぐはぐ、すなわち、発言と行動が矛盾しています)」

旧主の家柄の人に、尊大に挨拶をされて。
「ああ確かに、私の父はあなたの父に仕えていました。私の父が奔走して助けたおかげで、あなた方は族滅という惨事をまぬがれたんです。あなたが主君筋であることは、よく存じておりますよ」

■父の喪
晏嬰が名前を売ったのは、服喪です。
父が死んだとき、25ヶ月、わざわざボロ家を作り、ボロい服を着て、籠もった。周囲には見世物あつかいされたが、途中から「本来の喪とは、こうであったなあ」と感心された。
儒教集団が派手な喪を演出するが、喪のために破産するのは、おかしいだろ?というのが、晏嬰の気持ち。

晋と斉が大戦した。晋は斉をメタメタに破り、帰国した。晏嬰の急ごしらえのボロ家が、晋軍の進路にあった。
逃げないと晋軍に殺されてしまうよ!という危機だが、晏嬰は逃げなかった。晋軍の将は、敬意を払って道を変えた。
■勇力の批判
新しい斉の荘公は、「勇力(ゆうりょく)さえあれば」と、つね日頃から念じている人。
斉が晋を征服できれば、桓公の覇権を奪回できる。兵数ではなく、個人の武力を充実させれば、国力の劣勢をも乗り越えられる。近臣に武術の練磨をさせ、怪力の人たちを宮中に闊歩させた。よくない風潮だと思ったが、誰も君主に口出しできない。
「竹やりで空爆機が落とせますか!」と、突っ込んでやりたいが。

晏嬰が諫言をした。
荘公は「晏嬰のからだは小さいが、話は大きい」と言ってる。小柄なくせに故事をよく知ってるから、さながら最新型の電子辞書のような男だという認識に違いない(笑)
晏嬰は気軽く、しかし態度も口ぶりも重々しく、荘公に言った。
「ただ勇力をもって、天下に名をあらわした者はいない。死をものともせずに礼をおこなうことを、"勇"という。暴逆を誅して強きものに立ち向かうことを、"力"という。ゆえに、荘公が勇力を重んじるなら、まず礼儀を重んじるべきだ。それなのに荘公は、筋肉バカを囲って、力押しで天下を取ろうとしています。あなたはドアホウですか」

最近の電子辞書はスピーカーが付いていて、英語の発音を聞かせてくれる。春秋時代の斉では、持ち主の意に反するようなことまで、喋ってしまう製品があるらしい。
荘公は「メーカーの責任者(晏父戎)を出せ。返品だ」と怒った。晏父戎とは、晏嬰の一族の人です。

■お説教の無意味
引き上げてきた晏父戎は、晏嬰に言った。
「真の諫言というものは、君公から信頼され、愛幸をたまわっている者から、なされるべきではないのか。お前のやり方では、君公に真意が活かされないから、無意味じゃないのかね」
晏嬰は、「薬はにがいものだと決まっておりますよ」と答えた。このチビは、反省をしていないようだ。

のちに荘公が、晋の同盟国を攻めようとした。晏嬰は言った。
「君は勇力を恃んで、外征するという。成功しないほうが、国の幸いです。徳がないのに功を立てますと、憂いがかならず君におよびます」と。
晏嬰の期待通り?に、敗れて帰国した。
荘公は悔しいものだから、「当世を威(おど)して天下を服するは、時か」と言った。晏嬰は答えた。
「ちがいます。時ではなく、行いです。国民を愛せば、国力が増します。他国の君主は、武力より、善政が怖いのです」と。

今回の敗戦は残念でしたし、あなたの武運がショボいのかも知れませんが、本質的な問題ではありません。
内政を省みないのが、悪の根源です。せっかく死ぬ思いで逃げてきてて、いい反省の機会なのに、戦争に負けた言い訳づくりをされますか。
進歩がありませんねえ!という感じかな。
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このコンテンツの目次
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春秋戦国の手習い
晏嬰を知り、諸葛亮を知る。
1)梁父吟と晏嬰
2)晏嬰と荘公のバトル
3)食客を忘れていた晏嬰
4)諸葛亮からの親近感