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晏嬰を知り、諸葛亮を知る。
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4)諸葛亮からの親近感
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■晏嬰の飽きない諫言
あるとき景公が「無礼講で楽しもう」と言った。 すると晏嬰は、「あなたが君主でいられるのは、礼があるからだ。礼をチャラにしてしまえば、腕力のある人があなたを殺します。あなたが命じた無礼講とは、禽獣と同じですよ」
しらけたので、景公が席を立ったが、晏嬰は見送らずに、酒を飲み続けた。景公が不思議に思って晏嬰を覗き、酒を注いでやると、晏嬰が先に飲んだ。景公が怒ると、「無礼とはどういうことか、示しただけです。無礼講を許せば、臣下は皆こうなりますよ」
寒い日だった。景公が近侍している晏嬰に「コーンスープが飲みたくなった」と言ったら、「私は配膳係ではない」と断った。景公が「コートが、あすこに架けてあるんだが」と言ったら、「私は衣装係でもない」と言った。
景公はガタガタ震えて「じゃあ晏嬰は、なにをしてくれる臣なのだ」と問うた。「私は社稷の臣です。道理を弁え、序列を定めるのが仕事です。あなたの私臣ではありません」と晏嬰は答えた。 景公は、ぐはあ、と言った。
■雨が降ったなら、私は傘になる
晏嬰にいつも、してやられる臣がいた。一休さんのアニメに出てくる、桔梗屋さんみたいな人だ。晏嬰に、問答を吹っかけた。
「晏嬰さんは、3代の君主に仕えた。3君の心はそれぞれ違うのに、あなたは3君に従順だった。あなたは、心が多いのですか」
「二心を抱く」という言葉が謀反を意味するように、これは憎たらしい晏嬰への皮肉のようです。
晏嬰は答えた。 「私の心は1つです。心が1つあれば、100人の君主に仕えることができる。心が3つもあっては、1人の君主に仕えることも出来ない。あなたは、主君に迎合しているだけだ。私は主君に同調せずに、和合し、補い合っている。あなたとは違うんです(笑)」
また晏嬰は、「例えば、主君がスープの湯なら、私は出汁になる。しかしあなたは主君のマネをして、水になる。湯に水を混ぜても、美味しくならない」とも言ったとか。
■晏嬰の最期
晏嬰の危篤を聞いた景公は、渤海で水遊びをしていた。そんな休日の過ごし方があるとは驚きだけど(笑)
景公は馬車を飛ばしたが、じれったくなり、御者からムチを取り上げて、自分で手綱を取った。そのうち、じれったくなり、自分の足で走った。中国の文筆家というのは、本当に面白いことを書くなあと、感心させられます。いかにもありそうで、きちんとコミカルなお話です。
■晏嬰と諸葛亮は似ている
諸葛亮は「晏嬰になりたい」と、直接言ってない。 でも、弁舌だけで天下を主催することに、憧れと共感を持っていたと思う。頭の良い(と周囲に認められている)青年は、安楽椅子に座ったまま、どれだけの事件を解決できるか試したくなるのでしょう。
ぼくの勝手な推測ですが、諸葛亮の本質は、じつは晏嬰に似ていたんじゃないか。独善的な「オレの正義」を奉じて、他人をアゴで使おうとする。しかし、人心を掴むことがあまりうまくないから、世渡りで失敗する。 他人の協力があまり得られないから、そこそこの高みに手を掛けるが、登り切ることができない。 晏嬰は、斉に小康状態を出現させただけで、マイナーに留まった。諸葛亮も、益州を僅かに保ち、国力を削っただけ。曹操にはるかに劣る。 晏嬰も諸葛亮も、人の心というものを、あまり重視していない。KYはKYでも、「空気読めない」ではなくて、「空気読まない、読む必要性をあまり感じていない。そもそも空気を読むのが得意じゃないから、敢えて努力しない。ぼくは賢いから、それだけでも充分だ」だろう。
だから諸葛亮が、ふっと自我に籠もって口から漏れるのは、晏嬰の歌だ。性質が似ていて、身の丈に合ってるから、安心する。 管仲も楽毅も、諸葛亮よりは器がでかい。志が高く、頭脳が明晰なだけじゃなく、行動力があるし、人とうまくやれるし、戦闘指揮も武術もできる。諸葛亮は、彼らを目標だと公言することはあっても、背伸びしないと自己投影できなかった。
■諸葛亮の心の故郷
梁父吟は、諸葛亮の故郷の歌だという。徐州が曹操の勢力圏にあるから、地理的な意味で、故郷を偲んで歌ったのだという説明を、諸書で目にする。それはそうだろう。
同時に、自分にそっくりな過去の偉人を、心の故郷とした。(自称)遠大な志操と(自称)高潔な道徳と(自称)卓抜した能力と(他称)厚過ぎる自我の殻を持っているという点で、晏嬰と諸葛亮はそっくりなんだ。
晏嬰が病床に倒れたとき、頭がスカスカの斉ノ景公は、道を急いだ。諸葛亮が五丈原で「丞相、病、篤かりき」というスキルを発動したら、頭がカスカスの劉禅が真っ青になった。
晏嬰も諸葛亮も、人をどこかで軽んじていたから、性格の報いを受けた。すなわち、自我の弱い人としかうまくいかなかった。それが、人生の終着駅を決めた。 晏嬰も諸葛亮も、ちょっと脳の密度が低い君主の下で、宰相として頼られた。いや、そういう君主と出会えたからこそ、やや失敗っぽくても、歴史に名を成した。そんな晩年の結末まで、つくづく2人は似てると、ぼくは思うのです。「諸葛亮を知る」3部作、完結です(笑)090124
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