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楽毅を知り、諸葛亮を知る。
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1)楽毅の前半生
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諸葛亮が、「管仲や楽毅になりたい」と志を語っていたことは有名です。でも三国ファンにとっては、そんなこと言われても、誰なのか知らんというのが精一杯の感想だ。 『SWEET三国志』では、諸葛亮は自分の目標とする人を「SMAP?」ととぼけてる。『三国志男』では、「そういう管楽器の名前みたいなすごい人がいたんだよ」と書いてある。どちらも、そんなアホな、と思うものの、じゃあぼくが管仲・楽毅の何を知っているかと言えば、何も知らない。
というわけで、宮城谷昌光の『楽毅』を読み終わったタイミングで、楽毅について書き留め、諸葛亮の真意を探っておこうと思います。
■楽毅の生涯
楽毅の一生は、大きく2つに分かれます。(1)滅び行く中山国の将軍として孤軍奮闘し、(2)燕の将軍として、大国の斉を奇跡的に降した、という感じです。晩年は趙に亡命するんだけど、詳しくは不明のようです。
■亡国の将軍
まず(1)の時期。 楽毅は、中山国の宰相の子です。劉備が「中山靖王の末孫」と言ってるけど、まさにあの土地です。そこに、弱小な国があった。 中山国は、となりの趙に侵略されて、ついに滅びる。楽毅の父が仕えた中山王がいて、楽毅と仲のいい王太子がいて、楽毅を兄のように慕ったという王孫がいる。この3代が、楽毅の目の前で王位継承をしていく。趙の猛攻で中山王が死に、バトンが宙に浮く。バトンを受け取った太子も包囲されて死に、また王位が投げ出された。楽毅に助けられて中山王に就いた王孫は、山間に逃げて消えた。趙軍に抜き去られまいと、リレーに必死だ。
中山を攻めた趙は、胡服騎射を取り入れて、とにかく軍備を増強して攻めてくる。三国志にも、呂布や張遼、馬超など、異民族の戦闘スタイルを身に付けた武将は最強だ。あれと同じだ。
楽毅は、攻城戦、防砦戦、外交使節、暗殺突破、野戦、遷都と王族奉戴など、考えられるだけの全ての活躍のシーンを作って、趙を防いだ。楽毅は、火計を得意としたらしい。アブラを壷の中にブチ込んで、敵の頭上に落として火をつけた。守るときも攻めるときも使ってる。 しかし、国力がない上に、君主がアホだから、滅亡を止められなかった。
物語の諸葛亮は、すぐに火をつけたがる(笑) だから火計と聞くと、「またかよ、
つまらんなあ」と思う。でも、ちょっと誤解があるのかも。火という着想が独創的なのではなくて、火を使いこなす技術・訓練・統率・状況判断を真似できないのでしょう。
諸葛亮の放火ぶりはフィクションだが、楽毅との共通点を後世になってから作ってもらえて、あの世で喜んでいるに違いない(笑)
■祖国を滅ぼした趙
中山国が滅びたら、楽毅は食い扶持を失った。宮城谷さんの小説では、敵国の趙にある、妻の家に泊まったことになってる。
趙の位置・大きさを三国ファンに分かるように言えば、「并州を中心にして、幽州と冀州の西側を飲み込んだ国」です。土地柄から、中華の服装を脱ぎ捨ててもおかしくない。 もっとも宮城谷さんは、この武装の国策には反対が多かったという描き方をしてる。もし胡服で国力を拡大しても、中華諸国のリーダーにはなれない。むしろ「外国」だと見なされ、孤立するだろうと。
三国志を思い出すと、西方の軍隊を率いたので獣臭が強そうな董卓だが、純粋な漢人だった。それでも、知識人たちからの支持を得られなかった。曹操は、旧呂布軍や烏桓を使いこなしたけれども、あくまで戦闘ツールとして割り切っていた。文化の壁は高いのです。
■究極のタブー、親殺し
中山を滅ぼして領土を拡大した趙王ですが、後継問題はゴタゴタした。 宮城谷『楽毅』は全4巻の小説ですが、3巻の後半は、ずっと趙の物語をやってる。主人公の楽毅が出てこないのに、不自然なほど詳しい。 これを読んでると、「楽毅は、祖国の仇敵である趙に仕えるんじゃないか」と思いたくなる。作中で楽毅は、どの国に仕えるか検討していて、「消去法で考えると、趙かも知れない」と仄めかしてる。
分かりやすい伏線を堂々と張る作家さんなので、気になって仕方がない(笑)
さて趙王は、セオリーどおり長子を太子にしたが、次子が可愛いので、次子に王を継がせた。しかし、末子の方が可愛くなったので、今度は次子を退けようとした。趙王が仕組んで、長子と次子を争わせた。次子の振る舞いに、わざと「兄殺し」の汚点を作ろうとしたのだね。だが趙王は、逆に次子に包囲され、餓死した。
楽毅を招いていたのは、中山国を滅ぼした張本人の趙王だった。楽毅は、趙に少しは心が傾いていたが、趙王が餓死したのでご破算。
三国志には、親を殺す人は、出てきてないと思う。賈詡が「袁紹や劉表をお忘れか」と曹操に言うけれども、あくまで子供同士の争いのお話だ。二宮ノ変で、孫権が罰せられたなんて、聞いたこともない(笑)
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