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管仲を知り、諸葛亮を知る。
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1)管仲の下積み時代
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前回の楽毅に続いて、シリーズ2回目です。宮城谷昌光の『管仲』を読み終わったタイミングで、諸葛亮が何を考えていたのか、裏読みしてみます。
結論は、楽毅のときと同じで、諸葛亮は曹操の配下になって、天下の宰相となるのが最終目的だった。劉備に仕えたのは、曹操に自分を売り込むための実績作りに過ぎなかった、だと思います。
陳寿『三国志』をどれだけ読んでも、誠実に劉備・劉禅に仕え尽くした諸葛亮しか見えてきません。しかし、春秋戦国まで遡ってみることで、立体的に諸葛亮の真意が見えます。 学友と将来について話すときに、諸葛亮が「管仲・楽毅になりたい」と言っていたのは有名です。でも、管仲・楽毅にのどんなところを真似たいかは胸に秘めたままだから、後世の三国ファンだけではなく、蜀漢の人々も騙されていたに違いない。多くを語らない玄妙のなせるワザですね。
■管仲は描きにくい?
宮城谷さんが小説にしづらかったと告白しているように、管仲の人生は楽毅ほど面白くありません。 2つしかハイライトがない。まず1つ目は、鮑叔ととても仲良しだったということ。ただの分厚い友情というテーマだけでは、とても小説にしにくいだろう。これが宮城谷さんをも困らせた。 「管仲と鮑叔の交流は素晴らしいもので、これこそ『管鮑の交わり』の語源である」という解説が、必ずこの後に付くんだが、そんな言葉を使っている人は、会社では見たことがない(笑)
2つ目は、鮑叔の執り成しで仕え始めた斉の桓公を、覇者に押し上げたこと。これはドラマチックに見えそうだが、そうでもない。 斉の桓公は春秋戦国時代のプロローグに登場したのがだから、中国に統一の気風は充分に残っていた。外交の切り貼りがちょっと上手なら、曹操のように飛び回らなくても、即席で覇者になれた。 三国志に例えるなら、「黄巾の乱を鎮圧した皇甫嵩が、執政となって丸く収まりました」というくらい、あっけない。つまらない。
管仲は「いにしえの名宰相」の代名詞になっているものの、小説の題材としては、あまり美味しくない。名前負け・評判負けしている。
■管仲の挫折人生
ともあれ、管仲の生涯を見てみます。
宮城谷さんの管仲は、運が悪い人だ。その不運が、結婚の失敗に集約されている。前半の管仲はマジで冴えない。
結婚を誓った人がいたが、仲の悪い兄が勝手に断りを入れてしまい、破談になった。「兄貴が邪魔したから、結婚できなくなった」「いやよ、管仲さん、私を連れ去って」「勇気がなくて出来ないよ。3年待ってくれ」「3年なんて待てないわよ」という具合だ。 ジメジメして、気持ち悪い。
管仲はこの挫折を悔いて、自分を責め続けた。だが最後には「若いオレは意気地なしだったが、相手の女も悪かったよな」と悟って、次の恋に行くことになりました。なんだソレは(笑)
結婚だけじゃなく、管仲を認めてくれる主君にも巡り合えない。 鄭に仕えて戦争に出るものの、戦場で女のことを考えてて上の空で、ケガをする。戦場でうっかり退いたところを、主君に見咎められる。敵国のスパイだと疑われて、殺されかける。「管仲がいると負ける」と罵られ、出国。商人になる。ああ、可哀想に。
■斉での不発
商人を辞めた管仲は、鮑叔に世話をしてもらって、斉の公子に仕えるんだが、パッとしない。
斉には3人の公子がいた。長子は、諸兒という人で、実妹をセックスフレンドとし、酷薄でワガママ。次子は糾という名で、管仲の主人。末子は小白といい、鮑叔の主人。 名前が覚えにくいので、できるだけ省略して書いていきます。
あるとき長子が父を殺して、即位した(襄公)。道義に外れた長子が腕を振るうから、政治はめちゃくちゃ。 セックスフレンドである妹は、隣の魯公に嫁いでいた。長子は妹を呼び戻したかったから、魯公の腰骨を潰して殺してしまった。なんてこと!
斉の政治は乱れてます。 管仲が擁する次子は、ボケッと国内に残っていた。長子を否定したら睨まれるから、黙っていただけ。次子への期待は薄らいだ。管仲は「これじゃ拙いよなあ」と思いつつ、手をこまねいた。
鮑叔が擁する末子は、変事を予感して、辺境に逃げた。長子に無言の抗議を突きつけたことになる。期待を集めた。
管鮑の優劣を比べてみる。管仲はろくに進言が用いられず、主人を誤らせた。鮑叔は、局外に主人を連れ出して、万が一に備えてる。管仲のビハインドは、この時点で大きい。
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