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管仲を知り、諸葛亮を知る。
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4)司馬懿への期待
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■友達になって下さい
劉備を失った後、諸葛亮は南征して国力を回復した。 諸葛亮は丞相として確かな地位を築いたが、とにかく北伐して魏へ実力を誇示せねばならない。
物語は進み、諸葛亮と司馬懿が、接点を持った。
『演義』では、馬謖が謀計を使って、司馬懿を失脚させたことになっている。司馬懿は電光石火で孟達を切り捨てているし、諸葛亮が魏の実力者として、司馬懿を認識するようになったのは、間違いないだろう。 司馬懿は、曹丕・曹叡の覚えがめでたい。司馬懿が諸葛亮を推薦してくれれば、魏への就職が決まるんじゃないか。
勝ちすぎないで、最後尾で隠然とイニシアティブを握りたい司馬懿。 勝って勝って栄光にまみれ、天下に名を轟かせたい諸葛亮。 2人の(性分に起因する)利害は、ぴたりと一致したんじゃないか。少なくとも諸葛亮の目には、一致しているように見えたんじゃないか。
「司馬懿よ、私の鮑叔になってくれないか!」
諸葛亮の秘密の書簡が、司馬懿の手元に届いたのかも知れない。 鮑叔は、桓公の覚えがめでたかったが、「私を用いず、管仲を用いなさい。彼はこれまで敵でしたがが、実力は私より上です」と言って、引っ込んだ。鮑叔の後半生は、自らの手を動かさなかったが、桓公にも管仲にも感謝された。司馬懿が好みそうな役回りじゃないか!
「司馬懿よ、私と管鮑の交わりをしよう。友達になってくれ!」という、国境を越えた私信が、管仲の(3)を見習った諸葛亮の思惑だ。
■『秘本三国志』の孔明と仲達
諸葛亮と司馬懿の内通といえば、陳舜臣さんの本でしょう。参考に読み直してみました。
仲達は、張魯!を代理にして、孔明と会談させた。仲達は「明哲保身」で、簒奪を警戒されないように「大勝の心配」をした。孔明も立場は同じ。そこで八百長して、「天下万民のため」に「勝負なし。持久戦」を、魏蜀が行うことになった。
孔明が祁山を囲んで引いたとき、仲達は張郃に追撃を命じた。張郃は「おかしな命令だなあ」と思いつつ突っ込み、死んだ。孔明は、仲達が張郃を殺したのだと思った。ともあれ、馬謖の敵は討てた。
孔明は五丈原に布陣した。仲達は背水の陣だが、八百長の約束がある。八百長には、2つの例外があった。もし呉10万が魏を破って、仲達が撤退することになれば、本気で攻める。魏が蜀に大勝して、曹叡まで攻めてきたら、本気で防ぐ。
仲達には、筋書きにはなかった女物のプレゼントに苦笑した。仲達は、孔明の病気を心配した。「この芝居は、孔明が相手だからできる。孔明の後継者は、この睨みあいを続けてくれるか」と。
孔明は死ぬとき、仲達が追撃をするわけがないと予想し、撤退を命じた。仲達は、次は遼東に回される。遼東を滅ぼした後に強敵が残っていないと、彼自身が粛清される。すなわち、蜀を滅ぼせない。案の定、仲達は「死せる孔明」に走らされた。
以上が、『秘本三国志』のあらすじです。
■仲達の底意
孔明と仲達が通じているサンプルとして、先人の名作を引いてみましたが、あまり参考にならなかった(笑) だって、仲達と孔明の思惑が、完全に一致していることになってる。これでは面白くない。
孔明は仲達に、「1つ魏への転職斡旋をよろしく」と言ったとしましょう(ぼくの勝手な設定)。仲達は、「分かりました。いいでしょう」と返事をたびたび返した。だが仲達は、本当は孔明の世話をしてやる気はない。
仲達は、自己顕示欲・陽のかたまりのような孔明を、どこかで軽蔑してる。「主君を欺いて、国を踏み台にして、己の栄達を望むなんて、なんて不届きな男だ。協力してやるものか」と。 「固く守って、蜀の兵糧切れを待つ。これは、私が考えうるベストな戦法だ。兵を無駄にしないし、私の名声が上がり過ぎない。奇策にて私の防衛線を崩し、天下を決するというなら、お前が私より上だと認めよう。私がお膳立てしてやるから、洛陽で宰相をやれ」
仲達に白目をむかせる手段が、孔明になくはなかった。孫権や遼東の公孫氏、西や北の異民族をうまく使えば、魏だって危ういかも知れない。 管仲を自称するならば、北伐でゴリゴリ攻めるんじゃなくて、外交で洛陽を転覆させてみればいい。
孔明はいくらか試みているが、これは失敗に終わった。
孔明は五丈原で死に、その陣に踏み込んだ仲達は、そこで初めて孔明の本質を知ったのかも知れない。 「孔明は、天下の奇才だ。人の心の機微が分からないから、ついに天下の宰相にはなれなかったが、真面目さで右に出るものはいない。なぜ屈折した渡世を試みたんだ。屈折した渡世には、腹芸に秀でた立ち回りが必要だぞ。孔明には不得手じゃないか。もっと職人肌の仕事をすれば、大成したんじゃないか。古典の研究とか、執筆活動とかさ」
孔明は、劉備以下、蜀の人を騙し続けたことに、どこから後ろめたさを感じていたんじゃないか。根が真っ直ぐだから。そのせいで、死期を早めてしまったのかも知れない。 孔明は、管仲になれずに、お星様になったのでした(笑)楽毅と孔明を比べたときもそうだったけど、ついに模範に届かずに死んじゃった。
■おわりに
いちばん気安い友達ができそうな、荊州のサロンで、諸葛亮は周囲の人と距離を置いていた。「オレは管仲になるよ。キミらはせいぜい、太守にでもなりゃいいさ」と。 「歴史が好きで」と言っている人は、人付き合いが下手かも知れない。これを書いてる自分を省みつつ書いてます(笑)
生きている人は、心が移り変わる。でも歴史のキャラクターたちは、変わらないし、逃げない。その付き合いやすさに、どんどんハマって、現実世界でぎくしゃくするのです。
こんな孔明を物語にするなら、最後に救いがほしいよね。大勢が走り回る軍中で、孤独死。そんなのはイヤだ。孔明には、管仲・楽毅の素晴らしさを描いたエッセイでも遺してもらおうか。もちろんフィクションですが。 陣跡で、司馬懿に見つけてもらって、洛陽に持って返り、曹叡に献上してもらって、後世に読み継がれたことにでもしようか。090118
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