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1)歴史を味わうということ

ぼくの歴史に対する思い入れを書きます。エッセイ調というか、散文的でバラバラですが、率直に書いたものを載せました。

歴史を作る人

歴史を作るのは、英雄でも逆賊でもない。歴史家である。

ぼくはそう思っています。ある人にとっては当たり前の話だし、ある人にとっては歴史家を贔屓し過ぎていると感じるでしょう。
ぼくは18歳のときに大阪の大学に進学し、日本史学をやりました。20歳くらいまで常に考えたのは、「歴史とは何か」ということでした。日本史を学んでいたというよりは、日本史をとっかかり・材料にして、「歴史学とは何か」と戦っていたのだと思います。

3つの言葉を定義したい。辞書ではこんな区別はしないし、意味がカバーし合っている部分もある。この定義は、ぼくが考えるための便宜です。

「事実」 発生した全ての出来事。人間が知覚・記録しないものも含む。
「史実」 事実のうち、人間が知覚して記録したもの。
「歴史」 史実を踏まえて書き残された史料、思考の体系。

これを稚拙ながら図にすると、
こんな感じです。


罪深いのは、この3つを混同してしまうことです。
「歴史を勉強する」
というと、過去の「事実」を知ることだと思われる。だが、「事実」を知ることはできない。家の前の道路を、1時間前にどんな人が通ったか、ぼくは知りません。こんな身近なことすら分からないのに、どうして過去の「事実」を網羅的に知ることができましょうか。
じゃあ、ぼくらができるのは、どんなことか。 「歴史」すなわち文字列を読み、「史実」を推測する。メレンゲを作るときのように、「史実」に想像力を混ぜて膨らませ、「事実」を頭の中に描く。これだけです。上の図でいうと、右から左へ逆戻りする作業です。

歴史は誰が作るかという話に戻ります。
英雄や逆賊は、「事実」を作ります。
でも「事実」があったとして、ぼくには無関係です。アクセスする手段のない情報は、存在しないに等しいから。始皇帝が、紀元前221年に戦国の諸王を負かしたことと、1時間前にぼくの家の前をオッサンが通過したことは、同じレベルで、ぼくには関係のないことです。
歴史家が、彼の知りうる範囲の「事実」を取捨選択し、「歴史」を書きます。
「始皇帝の仕事は書き残すべきだなあ。オッサンの通過は、別に書き残すまでもないなあ」
と判断して初めて、「歴史」が生まれ、伝えられる「史実」が確定します。

今日は主題にしませんが、歴史学と考古学は車の両輪です。
日本の先史時代を掘る人たちは、石器や土器のカケラを見つけます。歴史学と考古学は、ちょっと仲が悪そうだったりします。
「考古学の連中は、運動部だ。学者じゃない。それに、1を手がかりに10をこじつけるから、例外品を掘り当てると、誤った全体を描きやすい。ゴッドハンドの偽装に気づかなかったのも同根だ」
「歴史学の連中は、史料を書いた奴の作為に、騙されてばかりいる。モノはウソを吐かないから、健全な研究ができる」
という具合に・・・
ところが中国で土を掘れば、豊富な文字資料が出てきます。日本よりは、歴史学と考古学の仲が悪くなりにくいと思うんだが・・・学会の雰囲気はどんなでしょう。知りません。

歴史家の恣意

近代?歴史学の基礎は、史料批判です。 つまり、書いてあることをそのまま信じるのは賢くない。
「この史料は、史実を正確に伝えているか」
「この史料が伝える史実は、事実の中から偏りなく選ばれているか」
ということを、延々と話す。

18歳のぼくは「事実」が知りたくて仕方なかった。だから、史料から歴史家の意図を取り除くことに執心した。それどころか、自分が過去の「事実」について描写するとき、自分の意図が混ざりこむことさえ嫌悪した。若いとは、苦労するということだ(笑)
いまぼくはこの文章を書いていますが、無我の境地ではありません。自分の考えを整理したい、ページの閲覧者の方に読んで頂きたい、という動機があります。目的やメッセージがなければ、そもそも文章を書き始めることはなく、ダラダラ寝ているでしょう。
筆者の意図の含まれない文章というのは、あり得ません。

20歳を越えてから、考えが変わりました。
「歴史」の楽しみ方とは、歴史家がどのように「史実」を選び、どんな姿勢で「歴史」を書いたかを味わうことだと思っています。人が殺し合い、ただ血が流れただけの現象に、どんな意味をつけていくか。
歴史家の恣意とは、克服の対象ではなく、賞味の対象なのです。