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3)天武天皇のときの読み方

前々回、「歴史」とは歴史家が遺した文字列や文化だと書きました。
前回、日本が建国したとき、隋唐までの文化を引き継いだと書きました。
今回は、この2つの話を繋げて、日本史に三国時代の「歴史」がどんな関わりを持ったか考えます。

日本の誕生秘話

中国には、統一国家であるときと、群雄割拠であるときが、交互に来るらしい。『三国演義』の冒頭でも語られてる。単純化し過ぎたキライはありますが、理解を助けてくれるから、否定はしません。というか、
「うまくいく日と、うまくいかない日があるでしょう」
という占いが的中率100%であるのと同じ理由で、この歴史認識は常に正しい(笑)事象のすべてを言い表しているんだもん。だから、他の地域の歴史についても、同じことが言える。

秦漢帝国と隋唐帝国のあいだにあって、戦闘が已まないのが、魏晋南北朝時代です。
中央の求心力が弱まると、辺境が活気づきます。「日本」を誕生させたのも、魏晋南北朝の拡散方向のベクトルです。秦漢帝国の領域に、(漢民族にとっての)異民族が入り込んで、自前の国家を作りました。劉淵、石勒、李特たちが先駆けです。彼らは、天武天皇の先輩です。
となると、
秦漢帝国の求心力が弱まった状況、集権に挫折した経緯、再集権を模索した過程、割拠を追認・受容した心情などを、見てみたくはないでしょうか。これはすなわち、日本誕生の秘話です。

天武天皇が見たもの

天武天皇が国を作ろうとしたとき、何を参考にしたか。隋朝までの「事実」ではありません。そんなもの、どうやって知るんだ。
タイムマシンどころか、マシな舟すら作れない。現地で発掘調査をしたくても、盗掘犯に間違えられて、死罪だ。司馬遷みたいにフィールドワークをしたくても、方言が聞き取れるとは思えない。
日本を建国するときに、ブレーンたちが参考にしたのは、隋朝までの「歴史」です。つまり、文字の記録です。漢字をせっせと輸入して、読み書きできるようにした狙いの1つは、「歴史」を学ぶことでした。

今日的な意味で「中国史」をやるなら、歴史書ばかり読んでいても仕方ありません。いや、仕方なくはないけど、手法が偏りすぎです。歴史書に書いている「史実」を批判して、考古学など他の学問も総合して、「事実」を探求しなくちゃならない。
とある研究者の本で読んだ言葉が、忘れられません。筆者の名前が思い出せないのですが、要旨は、
「私の研究は、『後漢書』を虚心に読んだだけのものだ。それなりの成果はあるつもりだが、どうも狭い気がする」
というものでした。 これが「中国史」の人の立場だ。

だけど、日本前史として魏晋南北朝を捉えるならば、歴史書ばかり読んでいても、けっこう大丈夫なのかも知れない。なぜなら、天武天皇が得られた情報は、それでほぼ全てだから。
もちろん「事実」に対する興味を、わざわざ消す必要はない。だが「中国史」の人よりは、「歴史」がどのように描き出されているかに、体重が乗っている。ぼくの関心の所在は、こんな感じだ。
ぼくは建国記念の日の一件で、日本史を破門された(ことにした)。だが、ぼくが小学生のころから親しんだのは日本史で、ぼくは日本人だ。
中華人民共和国という、今日の世界地図で言うところの「外国」の歴史に興味が尽きないのは、今日の世界地図で言うところの「自国」の歴史を知るためである。
べつに世界平和を訴える目的じゃなくても、宇宙に飛ばなくても、国境線は絶対じゃない。歴史に照らしたら、国境線は相対的なものである。

文学と史学のちがい

ぼくは中国の「事実」よりも、文字文化としての「歴史」に興味があると書きました。だったらぼくの志向は、「中国文学」なんじゃないか、という自問がある。だが、ぼくは文学がそれほど好きじゃない。
考古学と同じように、文学の研究態度についても大学時代に考えた。近接分野というのは、外から見れば同類なのに、中にいるといがみ合うものだ・・・
歴史学の研究室では、文学をやる人は、こんな印象で捉えた。
「事実を知ろうとせず、紙の上だけで完結する、メルヘンな人たちだ」

ぼくは大学で日本史学を志していて、文学をあまり好きじゃなかった。それは、研究対象とする資料の好き嫌いが原因だったと思う。研究手法の妥当性が・・・という高尚な話ではない。つまり、
「六国史は面白いが、源氏物語は面白くない」
という程度の、上っ面のえり好みだ。
また『源氏物語』を見ても、話の展開をろくに理解せず、作品を生み出した時代背景の話を始めてしまう。趣を解さない人間だが、それが性分。ストーリを素直に飲まず、背景に隠れているかも知れない「史実」を推測した。こじつけの危うさを犯してまで、裏から読んだ。

いま勉強したいと思っている漢魏の時代は、文学作品が少ない。なぜなら、曹操と曹丕が、これから文学を作っていく時期だからだ。明確に意識したことがなかったが、今も文学は好きじゃない。
そういえばぼくは、あの曹操の漢詩にすら、あまり興味がない。漢詩は技巧に富んでいるから、知らない漢字・知らない用法が多くて、難しい。かいつまんで史実だけ語ってくれよ、と苛立つ。
『世説新語』『捜神記』は、ジョークだと思っている(笑)

余談ですが、「史学史」という、メタな学問がある。歴史学の歴史を考える学問だ。ぼくは文学より、史学史に憧憬がある。歴史書という「作品」に注目するから文学のようであるが、あくまで史学だ。

とりあえず結論

天武天皇が中国の正史を読んだとき、どんな態度だったか。
今日の歴史学のように、史料批判・学際的な分析は、やらなかった(できなかった)だろう。かと言って、今日の文学のように、テキストそのものの研究を最終目標にしなかったはず。建国というニーズがあったから。
ぼくは会社員で、このホームページは趣味だから、大学の学問の分類に収まる必要はない。思いついたことを、思いついた順に、思いついた手法で考えていればいい。
どうせやるなら、日本を建国した人たちが読んだのと同じように、歴史書を読みたいと思う。

以上が、日本人のぼくが『三国志』をやる理由と、そのスタンスでした。自分の根幹に迫ることを書くと、文章に一貫性はなくなるし、精神的に追い込まれるし、ツライですね。お付き合い頂き、ありがとうございました。090810