3)『漢晋春秋』の6つの傾向
ちくま訳8冊を全てめくり、『漢晋春秋』とか「習鑿歯」が登場するページ番号を、網羅的にメモしました。途中まで引用していたけど、疲れて眠くなってきたので、もうまとめに入ります。
登場箇所を探しているとき、合わせて内容も読んだわけですが、全て引用する意味をあまり感じませんでした。計画倒れだな、こりゃ。
すみません、こんなんで。
『漢晋春秋』の傾向
1)曹魏をおとしめる
習鑿歯の執筆の根っこにある動機です。皇帝をしのぐ権力を持った曹操が、偉そうにすることが許せない。観念的な怒りだから、記事に具体性がない。陳寿の本紀にすら載っていない天変地異、当事者しか知りえないはずの些細な会話、などなど・・・が載っている。もう「小説」だ。
甄氏の死体を虐待した曹丕、遺言を改竄された曹叡、狂った政策を連発する曹爽、穴だらけのクーデターをやる曹髦・・・みんなフィクションかも。
2)司馬氏をたたえる
曹操を批判したことと裏表です。やはり資料的な裏づけがなく、観念的な賞賛だから、信憑性がどうも覚束ない。
魏末晋初の血生臭い名場面は、けっこうな比率で習鑿歯の創作だったりする。フィクションゆえに、自由に名場面に仕立てられるわけで、印象が深くなる。だから罪深い。眉につばをつけて、どこまでが陳寿なのか、頭の中で弁別しておきたいところ。
3)後漢-袁紹をたたえる
曹操を批判したことと裏表です。袁紹とその周辺について、完全な長文の書状が、ときどき載っている。入手ルートがあるわけないのに。袁紹の史料は残っていないだろうから、逆に好き勝手に、でっち上げることができる。だって誰も反論材料を持っていない。
袁紹は、歴史上の人物というより、習鑿歯にとっての偶像だ。『晋書』で列伝を読むと分かるが、習鑿歯は後漢を敬っている。後漢への愛情が袁紹に注がれている。注ぐ相手を間違っているような気もするが(笑)
漢と晋を持ち上げるから、この書名なわけで。
ちなみに、袁紹を褒めたいから、袁紹の敵の公孫瓉は悪者です。
4)劉備の即位を、消極的に支持
『漢晋春秋』は、劉備と劉禅に本紀を立てた。だから、蜀漢を支持する記事が多いかと思いきや、ほぼゼロだ。曹操があまりに凶暴だから、暫定的に劉備が漢帝の名を借りることを、しぶしぶ認めただけである。
陳寿の『蜀書』に出てくる習鑿歯は、曹操の批判ばかり熱心で、蜀の人自身について、ちゃんとコメントをしてくれるわけではない。
「死せる諸葛、生ける仲達を」
の出典は『漢晋春秋』だ。蜀漢を正統とし、有名な成語を載せているのだから、さぞかし諸葛亮万歳かと思いきや、特にアクセントがあるわけじゃない。後漢を敬っても、蜀漢は蚊帳の外だ。統一王朝を手放しに賞賛するので、割拠政権の蜀漢は評価しない。
5)人間の生き方を説教する
高い官位の人ほど、謙虚に振る舞うべきだ。これが習鑿歯の言い分。同時代の桓温に言いたいことだ。手を変え、品を変え、レクチャーが裴注に登場するわけですが、どれも同じ。
習鑿歯が曹氏の悪口エピソードを創作するときは、一様に傲慢キャラになる。司馬氏の賞賛エピソードを創作するときは、一様に謙虚キャラになる。作者のイメージが投影される。だから、『漢晋春秋』で、傲慢な曹氏と謙虚な司馬氏を見たら、どちらもウソ話だと思えばいい。
習鑿歯は、基本的にすごく言いたがりである。頑固な切り口で歴史を裁くことを、よくやる。張昭と孫権の関係に意見を言ったりね。
6)荊州で集めた史料
習鑿歯は荊州で就職し、荊州で左遷を食らって、『漢晋春秋』を書きました。
曹操を責めるでもなく、司馬氏を褒めるでもなく、主張がまるで入ってない異説が、唐突に登場する。これこそ、史料としては一級品だと思うわけです。
『襄陽記』を書いたのも、共通の手元史料を使ったんだろう。
おわりに
超投げやりですが、ここまでです。最後に、自分で書いておきながら、なるほどなあと思ったことを、再確認します。
至言だ(笑)
これさえ気をつければ、習鑿歯を正しく読めると思います。
090814