表紙 > 読書録 > 吉川忠夫「『後漢書』解題」で剥がすニセ後漢史の仮面

03) 政治オンチが政治を語るな

前回は、范曄本人の経歴と、
范曄が『後漢書』にかけた思いを見てきました。
これを元に、
『後漢書』を読むときのヒントを作ろうと試みます。

筆者のバイアス

文章を読むとき、作者の人生に照らすのは一般的な手法です。

歴史を叙述するときは、誰もが色眼鏡をかける。裸眼にはなれない。
それなら、何色の眼鏡を通した映像なのかを正しく認識すれば、読解が深まるはずです。フォトショップで補正をかけるように。

范曄は謀反人だと説明されるけれど、それは『後漢書』を書き終えた後の出来事だ。つまり『後漢書』を読むとき、劉義康の事件を織り込む必要がない。

じゃあ何を織り込むかと言えば、
いろんなタイプの人間を輩出した家に生まれ、歴史や人間に対する好奇心が強い世間知らずのキャラクターだ。温室の中で楽しむ、ご高尚なご趣味である。言ってしまえば、『後漢書』が提示している人間ドラマは、机上の空論である。高校生が、老人が主人公の小説を書くようなものだ。

范曄の曽祖父は東晋の将軍で重鎮だったが、范曄は曽祖父に教育されたのではない。范曄のキャラクター形成には、仏教に傾倒した隠者である、父の影響がでかいだろう。
だから范曄は、皇弟の母の葬儀の夜にバカ騒ぎをした。最低限の処世術をインストールされていれば、せめて灯火管制を布いて、こっそり騒ぐだろうに (笑)
竹林の七賢が、親が死んでも酒肉を食らったが、あれは服喪のスタンダードを分かっていて、敢えて外した行為だ。范曄は、スタンダードを分かってない。バカ騒ぎに政治的意図はなさそうだ。

日本史の例で恐縮ですが。織田信長は、正装の何たるかを知っていて、わざと着崩していた。だから斉藤道三をビビらせた。もし道三との会見場に半裸で臨んだら、単なるウツケだった。殺されていた。
范曄は、単なるウツケである。

結果からたぐり寄せるのは良くないが、最期に謀反に巻き込まれたのは、范曄のガードの甘さの証拠だ。

『後漢書』が分かりにくい理由

後漢は政治闘争が盛んな時代だ。私欲が乱れ飛んで、情勢が複雑だ。外戚と宦官と官僚が、付いたり離れたりする。
ぼくは『後漢書』を読破していないが、後漢は分かりにくい時代だという印象が強い。

それもそのはずで、著者の范曄が政治闘争の何たるかを分かっていなかったんじゃないか。まるでサッカーのルールが分かっていない人が、ラジオで実況中継しているようなものだ。
「蹴った、蹴った、何やら審判が止めました、ボールを運んでいますね。あ!違うところから蹴り直しました!なぜでしょう!あ、騒いでいます。え?ああ、ゴールのようです!」
とやられても、リスナーはさっぱりだ。
後漢を知りたければ、『後漢書』から飛び出さねばなるまい。
范曄が「諸甥姪に与うる書」でセールスポイントに挙げたのは、雑伝の序と論だ。ここは范曄の得意分野だから、真剣に読むべきであるが。

次回は、仮説を立てます。
後漢はそれほど腐敗していなかった。後漢は、自然災害が特別に多いわけではない。後漢は、比較的に輝かしい王朝だった。そんな非常識な話です。煽るわけじゃなく、真剣です。