04) 後漢史が暗黒である理由
前回は、范曄が政治の常識を心得ていないことから、『後漢書』が不当に難しくなってしまっているという話をしました。
「先人たちの残した後漢の史料に拠れば、それなりのものが出来るはずじゃないのか」
という疑問もあると思います。
でも、例えば国際恋愛をしたことがないぼくが、国際恋愛を描いた小説を切り貼りしたら、説得力のある物語が出来るものでしょうか。腕前不足もあるけれど、どうも信憑性に欠く気がする。
後漢王朝は腐敗していない
『後漢書』の本紀は、根底に「政治とは何たるか」というテーマが薄いので、出来事の羅列です。
反対に范曄が好きなのは、政治の文脈を丸っきり無視して、自分が思ったとおりに突っ走る狂人たちだ。吉川氏の言う「ますらお」です。独行伝に登場する人たちが、これに当たる。
『後漢書』には2種類の人が目立つ。
政府を腐敗させる邪悪な人と、正義を貫いて政府に特攻する肝っ玉人である。宮城谷『三国志』でも同じ構図を踏襲していると思う。
だがちょっと待った。
後漢は本当に、勧善懲悪ばかりが強調される、特撮番組みたいな時代だったのか?
もし范曄が、彼好みの特攻する人を強調したいという動機を持って、そのヒロイズムを『後漢書』に反映していたら、この分かりやすい構図を疑った方が良い。
正義を際立たせるには、悪役が必要だ。つまり政府を腐敗させた邪悪な人は、范曄が極端化したフィクションである。あれだけ腐ったくせになぜ後漢そのものが滅びないか、ぼくは疑問だった。もしかして、そこまで後漢は腐っていなかったのかも。だから存続した。
天譴はウソかも知れない
范曄は『春秋』が簡潔すぎることを嫌った。だから『後漢書』本紀で、細かく出来事を載せた。
でも後漢皇帝はあまりオモテに出てこないから、比率の結果、まるで後漢は自然災害ばかり多かったような体裁になった。
後漢皇帝の影の薄さを補うような思想を、范曄は持ってない。
前漢でも武帝以降の皇帝は、オモテに出ない人がいる。だが本紀は、最低限の物語性は備えている気がする。つまらなくない。テーマがあれば、無味乾燥や支離滅裂にはならない。班固による儒教のアレンジが強引すぎて、適切さを欠くという副作用もありますが。
范曄の描く後漢皇帝は、のっぺらぼうが多くて残念だ。
自然条件の話をすれば、確かに三国時代に入る頃から、平均気温が下がったらしい。そういう「異常気象」は事実かも知れないが、地震と日照りと洪水と日食ばかり、後漢代に集中して起きたわけじゃあるまい。
同じ理屈を当てはめるなら、温暖化が叫ばれている今日は、もっと人は幸せそうであるべきなんだけどなあ。
人間は変化を恐れる生き物だから、毎年が「異常気象」なんだ。後漢書と今日の気象報道は同じである。
後漢の政治史が暗黒の理由
『後漢書』では、邪悪な宦官が跋扈し、天災が頻発する。
「大分裂時代の前夜だから、人は腐り、天の怒りは今にも臨界点を越えそうである!」
という世界である。
中原を追われた東晋末に生まれ、南朝宋に生きた范曄は、後漢以降の歴史を知っている。だから後漢の悪い面ばかり探してしまう。范曄が後漢を描くことは、吉川が言うように、
「今日(南朝宋)の淵源を探す」
営みであるなら、マイナスのネタだらけになるんだ。
しかも『後漢書』が描く後漢は、ただ三国鼎立の前夜であるだけでなく、五胡による中原制覇や、両晋滅亡の遠因も背負わされている。
受験失敗=三国鼎立、自己破産=五胡十六国&南北朝です。例えが分かりにくくてすみません。
范曄が『後漢書』を書くとき、
「後漢人がもっとちゃんと政治をすれば、その後の200年の戦乱はなかったのに」
と、生々しい恨み込めたかも知れない。
三国ファンなら、大いに割り引いて読むべきだ。
対照的に陳寿『三国志』が、どちらかと言うと陽性で楽しげでイキイキしているのは、西晋に書かれたからだ。天下が無事に再統一されました、という大団円の中で歴史を振り返ったものだ。
おわりに
三国ファンが、三国前史を知りたいときに『後漢書』を主に参考にするしかないのは、とても不幸なことです。
少なくとも当事者たちは『後漢書』ほど後漢を悪く思っていないだろうし、西暦190年代の群雄は、ほどなく再統一と安定が成ると思っている。200年や400年の乱世を予期していない。
「三国ファンのために、明るい後漢史を作る会」を立ち上げるか。明るくなくてもいいから、せめて南北朝のバイアスを除き、味付けの薄い後漢を食べてみたいなあ。091129