表紙 > 読書録 > 安田二郎「八王の乱をめぐって―人間学的考察の試み―」を怪しむ

02) 本性が先か、制度が先か

西晋はジコチュウの時代である。
その内容について、さらに深く見ていくようです。

私怨的人間と、手段的人間

都督揚州諸軍事の陳騫は、司馬炎に言いつけた。
「揚州刺史の牽弘は、父の牽招のように立派な人物ではありません。クビにすべきです」
司馬炎はこれを聞いて、
「陳騫と牽弘は、仲が悪いのか。それじゃあ牽弘を涼州刺史にして、2人に距離を取らせよう
と判断した。司馬炎は、私怨によるチクりに耳を傾けたのだ。 果たして牽弘は涼州に行き、271年に羌族に殺された。

牽弘の最期は、この件と関係ないよね (笑)
当時の涼州は、刺史が殺されるのは予想外の結果だったが、異民族の叛乱が絶えない土地での激務である。涼州刺史は、西晋の命運を握っているポジションである。陳騫のチクりはキッカケの1つではあるが、それだけで任せられるほど、涼州刺史は軽くない。
安田氏は、私怨の横行を強調しすぎていないか。

司馬炎に見られるように、私怨が充分に政治に考慮される時代だった。

八王の乱のいちばん最初は、孟観と李肇の陰謀だった。2人は、楊駿から充分な爵賞を配ってもらえなかったから、楊駿を恨んで殺した。
楊駿を粛清するとき、どさくさに紛れて、荀ガイは武茂を殺した。交際を求めたけれど、相手にしてもらえなかった怨みを晴らしたのだ。楊駿とあまり関係ないのに、武茂は死んだ。
また司馬繇は、楊駿の私党ではない文俶を殺した。外祖父の諸葛誕が、文俶の父・文欽に殺されたから、恨みを晴らしたのだ。

三国志の名残ですね。こういうのが嬉しいですね。

司馬顒に仕えた李含も同じだ。司馬顒を皇帝にするために、司馬乂と司馬頴を操った。李含にしてみれば、司馬顒もまた、己の利謀を実現するための手段である。
私怨を晴らすことに熱心なのは、安田氏の名づけによれば「私怨的人間」である。また、私怨 自分を実現するために、他人を単なる手段として利用する人が、とても多かった。対立者は、抹殺するのみ。安田氏はこれを「手段的人間」と言った。

まるで哲学用語のようだが、やはり洞察は浅い。けっきょくは「ジコチュウ」と「他人を踏み台にする」ってことです。

「浮競」的人間と八王の乱

『晋書』には、浮競、浮華、華競、趣競の現象が、官界で多かったと書いてある。当時における人間のあり方を反映したものだろう。
もとは魏の明帝の230年、夏侯玄たち15人が浮華を構長したせいで、免職された。司徒の董昭は、夏侯玄たちが交遊・談論につとめて私党を形成したことを責めた。

正直に言うと、ぼくは浮華を、具体的にイメージできてない。
会議中に、関係のないジョークを飛ばし、自分がオタク的に好きなテーマを語り、仲良しでクスクス笑っている不真面目な奴かなあ。違うか (笑)

泰始年間の中ごろ(270年ぐらい)に、司馬炎の策問に応えた郤センの対策に注目して、浮華な人間の姿を探る。

司馬炎が政策をどうしたものかなあ、と聞いた。郤センは、
「官職に本物の賢者を選ぶべきだ。人材の賢愚を、賞罰の基準とすべきだ。だが今は、官職は求めれば得られる。ただし積極的に求めないと得られない。そのせいで、賢い人ではなくて、官爵を得るために奔走して、他人を蹴落とした人が役人になっている。勝つために朋党をつくり、他人を誣告しまくっている」

以前に実験心理学の本をこのサイトで紹介しました。
人は本来の性格ではなく、査定される基準に合うように行動する。どれだけ優しい人でも、他人を蹴落とさないとトクしない制度なら、他人を蹴落とす。どれだけ酷薄な人でも、他人と協力しないとトクしない制度なら、他人と協力する。
いくら仕事が面白くても、残業代が出ないならば、中断して帰るのだ。お金をもらうという前提の範囲で、仕事は面白い。タダ働きはイヤなのだ。

郤センが示した人間と社会の姿が、安田氏の言う「浮競」である。

上のぼくの注釈に照らすなら、西晋の人がジコチュウだったのは、西晋の人事制度のせいだと結論づく。他人を怨み、他人を蹴落とすことが、トクになる制度だったんだ。


安田氏は郤センの前提に、利欲主義的な人間観が、厳存していると言う。郤センは、「人は愚者も賢者も、みな高い官位を慕っている」「人が利をむさぼるのは、水が火を消すのと同じだ」と述べているから。
人間は本来から利欲的である。官人制度の不備に助長されて、朋党を形成して、排他的に競い合っているのだと。

人の本性が先か、制度が先か。
安田氏は、本性が先だと言いたいようだ。郤センの対策を斜め読みして、自説の補強に使っている。だが郤センは、朋党を組む風潮を批判しているだけで、人間の本性なんか語ってないじゃん。
ぼくは、制度が先だと思う。なぜなら、人の性質は移ろうものだから。もともと利欲的な人間もおらず、同様にもともと協調的な人間もいない。参加させられたゲームのルールに従って行動するんじゃないか。
ぼくは転職して、勤務ルールや環境が変ったから、とみに感じます。
生来の人格者に見えるのは、育った環境が原因だろう。他人と協調すれば褒められれば、そのように育つ。極端な例では、
「戦場で人を殺すと英雄だが、街中で人を殺すと犯罪者である」
という話です。戦場で人を殺すのは、英雄になれるからだ。街中で人を殺さないのは、犯罪者になってしまうからだ。
戦場で人を殺したら、本性が残忍か。街中で人を殺さなければ、本性は穏健か。必ずしも一対一対応はしないと思う。

西晋の多数派は、六経の倫理学と政治学を理解して実践するという、公化から程遠い。

安田氏の「公」の定義が、やっと分かりましたね。

同質の「浮競」な人々は、政敵の私党性を批判して取って代わる。だが、新しい政権担当も私党である。だから、別の私党に批判される。同じパタンの廃滅がくり返された。

八王の乱は、人間を解放して欲望を肯定する思想、官人制度の不備、爵賞の濫発に契機づけられて、群集心理的にエスカレートして、勃発と拡大をしたものだ。解放された個人は、浮競に走った。八王の乱は、そんな個人の清算的なカタストロフである。

安田氏の結論です。山場です。
個人的な体験に結び付けて恐縮ですが、次々に無能な人を左遷させて得意になっていたら、自分が足を引っ張られて、その場にいられなくなったことがある。「お前が一番この仕事を分かっていることは、誰もが認めている。だが辞めてくれ」と。足の引っ張り合いを面白がって煽る風潮、人事制度の不備、ボーナス査定、、
あれは清算的なカタストロフだったなあ (笑)