01) 4つのPと三国君主
微妙に古くて安い本(ブックオフで105円)ですが、読んでいて思うところがあったので、書きます。
山本直人『売れないのは誰のせい?』新潮新書2007
副題は、最新マーケティング入門、だそうで。
前に読んだ本で、占領政策は販売活動に似ているという指摘がありました。ここから発展させれば、
「ある王朝が天下統一するとは、ある商品が市場を独占することに等しい。魏呉蜀は、市場シェアを三分したライバル会社である」
という比喩を導くことができると思います。
そういうわけで、上の本をぼくが面白いと思ったところだけ要約&抜粋しながら、三国志とマーケティングを重ね合わせます。
べつに安易にビジネスの教訓を垂れたいのではない。人間の心の動きに普遍則がありそうな気がする。つまり、ぼくたちが当事者として参加している市場のゲームを投影すれば、史書に残らなかった三国志の人々の内面が明らかになるかもしれない。力点はこちらです。
権威と言い訳
ライバルの商品が、ちょっとした差で売れることがある。性能やデザインの差だったら諦めがつく。だが、売る仕組みで差が付いてしまうことがある。
巧みな売る仕組みには、2つある。
1つ目は、権威。スーパーのおじさん店員が、ボソッとジャガイモの品質を褒めた。歯磨きのCMに歯医者さんを出した。説得力が増す。
「あの荀彧が支持するんだから、きっと曹操は優秀だ」
袁紹の下から曹操の下へ、人材が流出した。
もう1つ。劉備が漢を継承するという権威を借りて、割拠した。
2つ目は、言い訳。日本シリーズ最終戦の日、プレイボールに間に合わせるため、出来合いの惣菜を買う。自分へのご褒美と称して、高いものを食べる。
赤壁前に孫権に降服を説いた人たちは、もともと曹操に合流したかった。でも孫権の方針と、揚州の遠さを理由に、割拠に手を貸している。在地勢力は、自己の利益のために、孫権を隠れ蓑にしているようでもあり。曹操は歯がゆいでしょう。
マーケティングの4つの観点
マーケティングとは、より上手にモノを売るために行なう。客の立場に立って知恵を使い続けることである。
いずれも頭文字がPなので、4Pと言う。製品=プロダクト、価格=プライス、流通=プレイス、販促=プロモーションである。
プライスとは、商品を手に入れるためのコストだと読み替える。つまり、王朝に所属するためのコストです。士大夫にとっては、人材登用方針です。門戸が緩いほうが、仕えやすい。平民にとっては、経済政策です。耕牛のレンタル、飢饉のときの施し、税率など。
プレイスとは、文字通りの領土の位置。幽州にいる人が、蜀に仕えるのはしんどい。きっと移動中に行き倒れる。
プロモーションは、宣伝文句と言い換えれば、王朝の正統性。揺るがない正統性があれば、支持を集めるときに有利です。
戦後の日本は統制の強い社会で、マーケティングが不要だった。銀行を選ぶとき、理由は単純だった。支店が家に近い、取引先の関係、友人の銀行員の勧誘のいずれか。
だが95年ごろから、優勝劣敗の時代になった。競争の激化、社会の成熟、情報環境の激変が起きた。ケチャップのナポリタンや、合成樹脂のバスタブのような代用品ではなく、付加価値の高い本物を提供するビジネスが求められた。
インターネットが普及して、消費者は情報優位になった。広告を見ただけでモノを買う人なんて、数%なのだ。価格.comを使うから、広告に騙されない。
知恵を使ったほうがビジネスの効率が上がるし、働くことが楽しくなる時代である。面倒くさい世の中になったと、文句を言っていても仕方がない。
後漢のとき、みんな同じOSをインストールして、同じ空気を吸っていた。後世人が後漢を知るには、専用のOSをインストールしないといけない。面倒くさい、っていうか、もう後漢OSはどこにも売ってない。しかし三国には、統一規格のOSがない。みんなOSを捨て、ふたたび真っ黒い画面にプログラムを入力した。後世人でも、少し訓練すれば、同じ土俵に参加できる。
ぼくは日本の20世紀で、大人を経験していない。だから、後漢の価値観をイメージしにくいように、バブル景気もイメージできない。安定した時代は、前提を共有しない人にとって、異世界だ。
次は、ブランドの話をします。