表紙 > 読書録 > 吉川幸次郎『漢文の話』より、ぼくらが漢文を読める理由

01) 漢文はプレゼン原稿だ!

日本近代の漢文研究の第一人者の本!
吉川幸次郎『漢文の話』ちくま学芸文庫2006
吉川幸次郎『読書の学』ちくま学芸文庫2007
ちくま学芸文庫だから、正史『三国志』の翻訳と同じシリーズです。活字に親しみがあって、なお読みやすかった。

漢文を読める理由

いきなりですが、吉川氏の話をぼくなりに置き換えると、黄枠のようなパワーポイントのスライドと、その下に書いたプレゼンの読み原稿に例えることができます。

三国志が面白い理由
  1.三国の性質の違い:成立過程、国是、創業者の人柄
  2.三国の関係性:数的な過不足のなさ
  3.結末:三国がいずれも敗者

(黄枠のスライドの読み原稿)
本日は、三国志が面白い理由を、3つお話させて頂きます。
1つ目は、三国の性質の違いです。三国とは魏呉蜀のことですが、それぞれ成立の過程や国是、創業者のキャラクターが異なります。並立した、三者三様の支配のあり方を見ることができます。
次の2つ目は、3つの国の関係性です。2国しかなければ、外交の関係図を描いても、線は1本で足ります。単純ですぐに飽きます。しかし3つの国があるので、外交の関係図は三角形の辺のごとく、3本です。4つ国があれば、四角形の辺だけでなく、対角線も含めて6本となり、複雑になって分かりづらい。国は3つが丁度良いのです。
最後に、3つ目は・・・云々

何が、どういう比喩なのか?
正史にある漢文は、伝えたい要点だけを抜き出した、パワポのスライドと同じです。
すなわち、プレゼンの場で、スライドをそのまま読む人はいないはずです。そのまま読んだとして、
「いち、三国の性質の違い、成立過程、国是、創業者の人柄、に、三国の関係性・・・、さん、結末、三国がいずれも・・・」
では、話し言葉として成立しない。下手くそだ。接続詞を足したり、論理関係を細くしたり、述語でリズムを作ったり、事例を補ったりして、「聞ける」言葉にアレンジするはずだ。

スライドと同じように正史の漢文は、陳寿の時代の口語とは違い、短く文章にまとめるために、機械的にくみ上げた人造語だそうです。

「人造語」は、ぼくが勝手につくった言葉です。正しくは「形式言語」と言うらしいが、ピンと来なくて。

西晋の時代ですら、誰も正史の文体で喋ってはいなかった! これが吉川氏の学説です。

人造語だから、いくら方言が多様でも、筆談が成立した。日本の戦国時代にポルトガル船が漂着したとき、漢文で筆談したらしいが、同じことが古代中国でも行なわれていた。
当時の口語で書かれたら、現代日本の歴史ファンは、お手上げです。しかし、読ませるための文語だから、時代と土地を越えて、読むことができます。
もっとも、中国人が漢文を読むときは、漢字の間に口語用の音を挟み込めば充分だが、日本人は語順を変えねば読めないけどね。

同じことを、裏返して言いなおします。
プレゼンテーションは、同じスライドを使っても、喋る担当者によって言葉が変わる。同じ人が喋るのでも、プレゼンを開催するたびに言葉が変わることもあるでしょう。
でも、要点を外さなければ、上司に咎められない (笑)
陳寿の文章を口語で表現するとき、西晋の河北の人と、西晋の江南の人は、違う言葉だった。唐代と清代で、同じことを口語で表現しようとしたら、きっと違った言葉になる。
しかし、正史のような「作られた」漢文を元ネタに喋れば、内容の均一さは、だいたい保たれる。ぼくのような現代日本人が読んでも、いちおう内容を取ることができる。

「自らの文章に普遍性を持たせるため、わざと自分がふだん使っている言葉と違わせ、美学をもって文語をつづった」
というのが、ぼくが描く古代歴史家のイメージです。
この美学は、方言の壁を乗り越えるどこか、数千年の時代と、海を越えて、ぼくたちに歴史書を読む喜びを与えてくれています。
あたかも、ビジネスマンが、
「自分が作ったプレゼン用のスライドが、他部署でも使ってもらえるように、わざと自分の言い回しや説明のクセを排除し、名詞だけを淡々と並べた。見る人にも分かりやすいように、文字数を削った」
という作業をするように。

次回から、吉川氏の本を順に抜粋&抜書きします。