表紙 > 読書録 > 吉川幸次郎『漢文の話』より、ぼくらが漢文を読める理由

03) 漢字の並び=芸術作品

ここから参考文献のうち『読書の学』に移ります。

事実よりも、言葉に目を向けろ

現代の学問(とくに歴史学者)には、
「言語は、事実を伝達するための、手段に過ぎない。事実が伝われば、言語は忘れ去られてよい
という風潮がある。そうではない! 週刊誌の記事なら、事実を知れば言葉は不要だ。記事の見出しを、いちいち覚えている必要はない。しかし古典漢文を読む人は、そんな態度では困る。

もっと言語そのものを見つめよ!というのが著者の主張。
これが書かれたのは、1970年代です。


『易経』の「繋辞伝」にある。
「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」
意味は、
簡潔に整理された文語では、口語の持っているニュアンスを描ききることはできない。いくら雄弁に語れる口語だって、無限の事実を言い表すことができない。
ここから何が分かるか。
「繋辞伝」が書かれた時代、すでに文語は口語から離れた人造語だったことが分かる。
中国の口語は、古典文学を見る限り、日本語ほど変わっていない。禅の語録や小説によれば、唐初の口語と現代の口語は、ほぼ同じだと推測できる。唐初の人が、古典漢文で喋っていたのではない。

人工的な文語は、その漢字の並び自体が1つの作品だ。著者の工夫や意思が詰め込まれている。書かれている事実だけ読み取って、それで捨ててしまっていいはずがない。

口語から文語に化けた例

例えば歴史書にて。

事例が歴史書でよかった。親しめるから。

地の文はもちろん文語だ。しかし会話の引用という形で、口語が見えることがある。『旧唐書』で安禄山が、
「阿與、我死也」
と口走った。発話者が、わざとおどけて、
「おやまあ、おれはもうダメだ」
と言った表現である。同じ表現は、元代の雑劇にも出てくる。

現代中国語でも「死」が気楽に出てきますね。とても疲れたら「累死了」で、とても愛していると「愛死了」です。

だが『新唐書』に書き改められたとき、
「我且死」
になった。感嘆詞が省かれ、セリフも、
「われ、まさに死せんとす」
になった。文章家の倫理として、引用であっても、口語は目障りだから改めた。文章は1つの作品だ。捨ててはいけない。

会社の会議で「パッとやっといて」と偉い人が発言したとしても、ぼくの議事録では「迅速な対応が急務だ」としています (笑)

同じ『旧唐書』本で、則天武后が「好漢」を望んだ。遊侠の腕が立つ男前を、抜擢したいと言った場面だ。しかし『新唐書』では、「奇士」に置き換えられた。

短さが、私たちの勝利

他の特徴として『新唐書』は、『旧唐書』の冗長さを攻撃した。
中国の著作は、巻末に文字数を載せる。自分の書いた文章が、文字の追加&削減を全く許さない完全なもの、という自負だ。

後漢か魏にいましたよね。「私の著作を1字でも直すことができたら、大金をやる」という、自信過剰な懸賞を主催した人が。

『新唐書』の著者の1人・宋祁の逸話。
歩いていたら、向こうで奔馬が馬を蹴り殺した。書生に、あの出来事を記録してみろと、課題を出した。書生が提出すると、
キミのような男に歴史を書かせたら、いったいどれだけの字数が要るんだろうか。オレなら、こんなに短く書けるんだぞ」

こんな調子だから、いくら名文でも、含まれる意味がなければ、400字を削ることもある。例えば『旧唐書』で、ある人の悪事を具体的に細かく描写する部分があるのだが、それを、
「彼は悪事を働き」
とだけに要約した。

ぼくが『晋書』を訳しているときも、同じ問題に突き当たる。美文の一字一句の意味は分からないのだが、「全体として褒めたいんだな」「とがめているな」なら分かる。これを訳して「彼は、誰々を褒め」と短縮してしまっていいのか、、と。
中国の南北朝時代を書いた『南史』『北史』は、他の史書にある上表文を削る反面、新事実を載せてある。吉川氏が紹介した『新唐書』の態度に同じだろうね。


次回、『史記』の劉邦の本紀がネタになります。