表紙 > 読書録 > 菊池道人の描く『関羽』を、フロイトで分析?

01) 関羽は、抜き身の青龍刀

関羽のことが気になり、関羽ばかり読んでます。
菊池道人『関羽』PHP文庫2005

このページが想定する読み手

このページは、こんな方に読んで頂ければと思います。
 ○すでに関羽という人を、大体知っている方
 ○菊池氏の本だけで読める関羽を、チェックしたい方
そういうわけで、関羽の人生をイチから追いかけません。他の史料や物語で読める関羽像ならば、引用して紹介しません。

菊池氏の小説をこれから楽しみたい方には、2重の意味でネタバレですので、本ページは適しません。関羽の史実での人生と、菊池氏の小説上の工夫を、どちらも暴露してしまいます。

本全体の感想

菊池氏の小説は、『三国演義』への反抗を試みた本です。ただし、単なる正史への回帰ではない。正史と『演義』から、リアリティのある部分をつまみ食いし、読みやすくアレンジしたもの。
例えば、
「義とは」という難題に取り組んでいる。
儒教のテキストを引用&読解した抽象論でなく、金銭や物品、恩と仇のやりとりを「物語内の出来事」として見せながら、関羽の価値観を教えてくれます。

何か言いたいことがあるとする。論文調なら「こうである、例えば・・・」と回り込まねばならん。だが小説は、そういう出来事を作中で「本当に」起こしてしまえばいい。小説の有利な点です。

「義」は、辞書を引けばそれなりの意味が出てくるんだが、分かるような分からんような概念です。それを解き明かした本だったと思う。

菊池氏の関羽を見た後、4ページ目で、このキャラクターがフロイトが唱えた「肛門期的な性格」であることを、チラッと見てみたい。うまくいくかは、未知数。

故郷の旧友

ストーリーテラーは、関羽と同郷の李生という人。民間伝承『三国外伝』に登場し、重要な役を果たすらしい。

李生の出典は、菊池氏の参考文献の1つ『三国志外伝』です。湖北省の芸術館が発行し、立間祥介氏らが翻訳した本。貂蝉のサイボーグ伝説も載っているらしい。
PHP文庫の小説から、参考文献へ興味が膨らむとは思わなかった!

李生の許婚が、地元の悪吏・呂熊にラチられた。関羽が怒って、呂熊を切り殺した。関羽は、故郷を出奔する羽目になった。李生や呂熊という固有名詞は、民間伝承に由来する。

李生はしばらく出番がなくなり、荊州で再会する。
諸葛亮がなかなか劉備に会わないから、関羽は面倒くさくなった。そのタイミングで李生は関羽と会い、
「修行だと思って、3回どころか9回でも諸葛亮に通え」
と関羽にアドバイスした。関羽を、荊州の水軍の人材と結びつけた。
最後に李生は、張遼からリークしてもらった、
「呂蒙の病気を信じてはいけない」
という情報を関羽に伝え損なって、関羽の死を救えない。

ああ、全部書いちゃった (笑)

関羽は徳、張遼は力

この本の第2の主人公は、張遼です。
 劉備:曹操=関羽:張遼
という構図にて、関羽の価値観を浮き上がらせる役割。

物語の冒頭、関羽は故郷を出奔して、中山国で塾講師をしている設定。たまたま関羽は、雁門郡馬邑県に来た。この地名を見て、大抵の人はニヤリとするわけです。だって張遼の故郷だから。
期待を裏切らず、関羽と張遼は会う!
関羽は「事情はどうあれ、盗みはいけない」と言い張る。張遼は「家が貧しければ、盗みも已むをえない」という意見だ。教科書どおりに清潔な関羽と、力を肯定するリアリストの張遼。2人の考え方の違いが、劉備と曹操の対立にスライドする。

関羽は青龍刀、劉備は鞘

関羽は青龍刀を持っている。

どうせ「青龍偃月刀は、時代考証的にあり得ない」という、面白くもない批評家たちの意見を、作者が真に受けたのだろう。絵にならん!

青龍刀には、鞘がない。たまたま劉備の倉に伝わる鞘が、ピッタリと一致した。関羽は、自分を収める鞘として、劉備に従う。

中公新書の、宮城谷昌光『孟嘗君』に、似た話が同じ話がありました。幼くして父をやり込めた孟嘗君の機転に対して、宮城谷氏が苦言する。「どれだけ鋭利な剣であっても、鞘がなければ無用だ」と。帯刀者の足が切れるからね (笑)
ぼくが経験した「従順なバカの方が、自己主張の強い有能者よりも、組織にとって価値がある」という教訓とも一致する。

関羽と劉備、すなわち青龍刀と鞘を引き合わせたのは、張世平。
正史では、初期の劉備軍を資金援助した人だが、この本では最後まで出てくる。北方謙三の『三国志』でも、馬商人は出番が多くて、大牧場を営んでいたなあ。

関羽が、物語の重要アイテム・青龍刀を使うのは2回だけ。故郷で悪吏を斬ったときと、白馬で顔良を斬ったとき。
青龍刀を使うと、関羽はその場に居られなくなる。はじめ故郷を亡命した。顔良を斬った後は、曹操軍にも袁紹軍にも属せなくなった。
「抜き身の青龍刀は、人を傷つける。刀は鞘の元にあらねば」
というわけで、関羽は劉備の下に帰っていく。この辺は、とても上手く話が出来ている。

ちなみに最期、孫権軍に追い詰められたときも、青龍刀を抜こうとした。だが腕を斬られて、抜けなかった。
もし青龍刀を抜き、孫権軍を突破していたら、どうなったか。関羽は荊州に居られなった足で、劉備の元に再び帰れたはずだ。だから青龍刀は、馬忠を斬れなかった。よく出来た小道具だ。