表紙 > 読書録 > 菊池道人の描く『関羽』を、フロイトで分析?

04) 関羽をフロイトで読めるか?

菊池氏の小説を受け、関羽を、フロイトで分析します。
素人の生兵法だが・・・
なんで連想が到ったのかも不明だが、いちおう書きます。

菊池氏の関羽のセコさを、日本語の慣用句で「ケツの穴が小さい奴」と言うんだなあ、と思っていたら、フロイトが降ってきた。

ケツの穴の小ささ

ウィキペディア他からで恐縮ですが、フロイト曰く、人間には「性的発達段階」があります。
第2段階である肛門期的な性格が、大人になっても強く残っていると、どうなるか。
 ○外部環境に対して、能動的&主張的すぎる
 ○自己中心的、情動的な傾向が強く、欲求を叶えたがる
 ○どんなものでも捨てるのを嫌がり、ケチだ
 ○極度に時間にこだわる
 ○清潔さを強調されすぎると、強迫観念的なパーソナリティに

子育てには全くぼくは疎いのですが、、
4歳から6歳の肛門期になると幼児は、決まった時間に、決まった場所で、清潔に排泄するように、トイレトレーニングをされる。
身体を制御する達成感から、自信を持ち、ものを諦める力(外に出すので)が育つ成長段階らしい。

菊池氏の関羽は、1銭の窃盗も、1ミリのルール違反も拒絶した。このキャラは、上に書いた肛門期の「固着」を思わせます。関羽は、どんな育てられ方をしたんだろう?
菊池氏の本を読み、
「なるほど義理堅くて、財神として祭られるに相応しい関羽だ」
と感心したならば、少なくとも世間の関羽像は、肛門期的な神さまです。この関羽をして、副題が、
「『義』に生きた智勇兼備の武人」
となるのですね。
人間関係を円滑にするためのルール違反とか、中長期的に回収する博打っぽい投資とか、そういう「悪事」は、神さまは大嫌いです (笑)

関羽と張飛の対比

怪しい土壌の上に、怪しい建物を作ったついでに。
張飛は、肛門期の前の、口唇期のキャラクターが強そう。
口唇期とは、生まれたばかりの子供が、母親から授乳をしてもらう段階に現れる性質です。母乳を吸うことで、外部環境との交流する。依存的で受動的だ。

ぼくは三国志が好きだから、台無しにする気はないが、大の男が3人も集まって、
「3人で1つだ」
って、ちょっと頼りない感じがしませんか? いい大人だったら、1人で1つだろ。1人で生き抜くには、あまりに過酷な時代だったのは承知しているが。
劉備はまた別の機会に考えるとして、関羽と張飛は、それぞれ肛門期と口唇期の性質が、強く残っていたのかも知れない。幼児は、親の援助なしには生きられない。関羽と張飛も、心理的に独立できなかった。だから劉備は、彼らの見返りのない協力を得ることができた。

関張の「子供っぽさ」が、死を招いた。関羽の子供っぽさとは、菊池氏が「青龍刀」と例えたような、他人への配慮のなさだ。
っていうか、張飛も傾向は違えど、やはり自分勝手すぎましたが。

目上に逆らって、目下に優しい関羽。
目下に厳しくて、目上に従順な張飛。
陳寿が列伝の評で言っていることですが、この対象性は、口唇と肛門の対比として捉えてもいいのかも? 都合よく劉備の下に、補完関係にある豪傑が揃ったものです。

おわりに

4ページ目で歴史学とは関係ない、眉唾な議論をしましたが、、
菊池氏の関羽が、かなりケチケチした「義」を実践しているのを読んで、同じことをお感じになる方はいないものか。
もっといろんな関羽を読みたいなあ。そして、書きたい。100117