表紙 > 読書録 > 菊池道人の描く『関羽』を、フロイトで分析?

02) 呂伯奢と関羽が出会うナゾ

菊池道人氏の小説的演出を、品定めしてます。

劉備との距離

菊池氏の関羽は、劉備が感情を表に出さないことを望んでいる。
だが劉備は督郵を殴って、官位を捨てた。義弟を侮辱された劉備は、怒り、そして涙ぐんだ。関羽は、そんな劉備に期待はずれである。
このあたりが、菊池氏があとがきで書いた、
「トップのすぐそばに仕え、見たくもないトップの横顔を見なければならない、ナンバー2の苦悩」
のようだ。菊池氏の小説の一環したテーマらしい。

あとがきを読み、本編を云々するのは、もっともダサい行為だとは弁えてます。小学校の夏休みの読書感想文でもあるまいに (笑)

菊池氏はあとがきで、劉備と関羽の「契り」を疑っている。いやしくも同じ日に死のうと誓ったわりに、劉備の運命を決める戦いに不参加なのは、どういうことか?と。

菊池氏に言われる前から、ぼくも同じ疑問は持ってました。2週間ほど前に書いたものでは、
漢文初心者の関羽ファンに贈る「関羽伝」の翻訳


劉備と関羽のすれ違いが、もっとも端的に出るのが、関羽の死後の劉備の独白だ。
「関羽は、いくつになってもウソが嫌いだ。益州を謀略で奪うには、関羽の正直さが邪魔なので、遠ざけた。後悔している」

もともと、関羽を益州攻めから外したのは、諸葛亮と龐統という設定。諸葛亮は、関羽が仲間はずれを恨むと思い、
「荊州に残りましょう。私と一緒だから、淋しくありまちぇんよ」
関羽をあやした。

本文中でも「関羽の正直さは、少年のようだ」と形容される。だから「あやす」という動詞を、ぼくは使ってみました。

のちに、諸葛亮がついに益州に行くとき、
「関羽さん。『俺の城』を持ちたくありませんか。邪魔者の私=諸葛亮は、益州に行きます。1人で荊州城を好きなように治めなさい」
と、関羽をくすぐった。

「俺の城」とは、第9章のタイトル。いかにも関羽らしい。作者のセンスが光ってるなあ。

虎牢関を開催した理由

督郵を劉備が殴ったところから、話が飛びました。ふたたび180年代に戻ります。
ご存知のように、張遼はすぐに曹操に仕えない。丁原に仕え、董卓に仕え、呂布に仕えた。
史実で、張遼と関羽は、関羽が曹操に降服するまで面識がない。だがこの本では、いきなり開始3ページで2人を会わせているから、その後も文通が続く。
張遼が中央の政争の近くにいるのに、関羽は北方をウロウロしているだけ。関羽は張遼を羨み、焦ります。
こんな世俗的な関羽は、ちょっと新しいと思う。

劉備たちは、袁紹が董卓を攻めないから、苛立った。曹操だけが突進したと聞き、劉備は攻め手に加わった。劉備は、曹操の指揮に入った。

関羽と曹仁が、ここで会ったという設定。関羽は、曹仁の態度が鼻についた。最期の樊城攻めの伏線か?と疑ったが、果たしてその通り。

虎牢関で、関羽と張遼は敵味方に分かれて再会した。張遼は関羽に目配せして、
「董卓は、近日死ぬだろう。劉備3兄弟がムリに攻める必要はない」
と仄めかした。
虎牢関で3兄弟が呂布と戦うのは、『演義』の名場面です。正史を意識した菊池氏が、『演義』のマネという泥沼に、分かっていて踏み入れたのは、なぜか。
関羽と張遼を再会させたかったからだろう!
ただし『演義』への抵抗を忘れない。菊池氏は、劉備が腕前が、まるで使い物にならなかった話とした。ここで3兄弟が呂布と対等に打ち合ったら、泥沼からの再浮上は不可能だ。

呂伯奢の、重要すぎる役回り

劉備は、董卓や黄巾の残党に敗走した。見ず知らずの家に、泊めてもらうことになった。歓迎された。

このパタン、どこかで知ってるぞ?
初読のとき、そう思った。予想的中。家主は、呂伯奢だ。

すでに呂伯奢は、曹操に子女5人と食客3人を殺された状態だ。そのくせ懲りず、落ち武者を匿っている設定だ。マゾなのか。

『演義』では、呂伯奢本人も曹操に殺されている。裴松之のいくつかの注で、呂伯奢は生き残っている。

呂伯奢は、曹操のときと同じように物音を立てて、劉備たちがどう反応するかテストした。結果、劉備たちは飛び出さなかった。呂伯奢は、劉備に言った。
「劉備さんの器量は、曹操の上です。なぜなら人を信じることができるから。劉備さんは、曹操の下に付いてはいけない」

このあと、呂伯奢が劉備を援助してくれるわけじゃない。じゃあなぜ余計な場面が挿入されたか。関羽に仕えないことを決意する理由を、作者が欲したようです。重要な場面である証拠に、作中の関羽は、呂伯奢のアドバイスを、何度も何度も思い出します。
裏返せば作者は、列伝の史料の中から、関羽が曹操を嫌うキッカケ&理由を発見できなかったってことになる。力量を疑う・・・

関羽が、曹操に直訴して怒る

曹操が徐州で虐殺した。青州黄巾軍が、略奪した。関羽は、曹操軍に単身で乗り込んで、直訴した。
関羽の怒りのポイントは、曹操が人命を疎かにしたことではない。

「人命のために関羽が怒り、曹操を憎む」
単純だから、小説家には苦労のない構図だ。
しかしそれでは、関羽が曹操のために顔良を斬った説明がつかない。人命についてタモトを分かっているなら、1秒たりとも英雄・関羽は、曹操に従ってはいけないはずだ。

関羽は何を怒ったか。
読み取りにくいが、どうやら略奪に対し、最も怒った。他人に迷惑をかけてまでも、曹操が自軍を強化したことを怒った。

これが本作の「義」らしい。 いかなる事情があっても、盗みはいけないと。パンチが弱い! だから、呂伯奢との絡みが創作されたのか。
作者は、曹操を明確に否定してくれるキャラを欲した。『演義』で曹操に殺される呂伯奢は、もっとも適任である。作者は『演義』に反発し、呂伯奢に自らの恨みを晴らさせた。


曹操は、いくらか義に悖るとしても、力を付けることを優先する。関羽は、頑固に義を重んじるだけで、劉備軍は弱いまま。

関羽の信念は、作中で曹操に包含されそうに見える。
なぜなら、曹操は義を否定しない。ただ二の次だと言うだけだ。

例えば、曹操が呂布を降したとき、関羽が張遼を弁護した場面にて。
「張遼は仁義に厚い人だから、救って下さい」と関羽。
菊池氏は、曹操にこう応えさせた。
「仁義や道義は二の次だ。張遼の、知恵と力量を用いる
他の例では、
下邳城で関羽を降服させたとき、曹操は関羽に対し、
「関羽の義は要らん。力を貸せ」
と誘っている。曹操の大きさばかりが、際立つ描写だよなあ。