表紙 > 読書録 > 菊池道人の描く『関羽』を、フロイトで分析?

03) 周倉=陸渾が、義を説く

菊池道人氏の鑑賞、最終回です。

夏侯惇の詭計、大ブーイング

関羽のいちばんの名場面と言ってもいいかも知れません。
劉備が小沛で曹操に破れ、関羽が降服するシーン。

菊池氏は、なぜ関羽が曹操に降服したのか、自前の仮説を持たなかったようだ。これは、関羽を描く人として、重大な欠陥でしょう。
ぼくが菊池氏に限界を見る理由は、関羽が自らの意志で投降する場面を設けなかったから。
本の中では、こんな流れです。
関羽の周囲で、情報が遮断された。劉備の旗印が見えた。関羽は、劉備の鎧の後姿を見つけて、慌てて呼びかけた。振り向いたのは、劉備に化けた夏侯惇だった。
関羽は進退窮まって、投降した・・・ ちぃーっとも面白くない!

『演義』で関羽が降服するときは、3つの条件を出す。
 A.後漢皇帝に降るのであって、曹操に降るのではない
 B.劉備の妻の安全と生活を保障してくれ
 C.劉備の居場所が分かれば、千里先にでも駆けつける
菊池氏の関羽も3つの条件を出す。
 a.うっかり捕われた劉備の妻を、返還してほしい
 b.曹操が劉備と戦うなら、劉備の元へ帰る
 c.私は義にために戦っていることを、忘れないでくれ
比べてみましょう。
まずaは、菊池氏が創作した、関羽に不利なハプニングを原状回復するだけ。プラマイゼロ。関羽が出す条件の数を合わせるために、創作されたか。なくても、面白さは変わらない。
bは、Cを劣化させただけ。劉備への愛着が、薄れている。
そして酷いのはcです。何を言っているか不明! 曹操がもし「忘れなかった」として、何がどう変わるのか?

関羽の無用なこだわりを聞いて、曹操は作中で「からからと笑うばかりであった」と。関羽は不器用に違いないが、これじゃあピエロだ。

曹操に1%の恩もない関羽

史書でも『演義』でも、関羽は曹操からの恩義に深く感じ入ります。これが三国志ファンを増やしているのだが・・・
菊池氏の関羽は、曹操から何の恩も受け取っていない。ただの戦争の道具として、使われているだけだ。曹操も関羽も、それを自覚している。片思いすら、成立しない。
だから曹操の下を去るとき、関羽は全く名残惜しくない。曹操からもらった宝物に手をつけていないから、後腐れがない。

曹操に財宝をもらったのに裏切ったら、関羽は、関羽自身が憎むべき盗賊になってしまう。菊池氏の関羽は、この特徴的な自分の心の動きを、自覚していたように描かれている。セコくないか?
男なら「もらった以上を、お返します」でしょ (笑)


赤壁の後、逃げる曹操と関羽は再会しない。だって菊池氏の関羽なら、曹操を殺すだろうから (笑)
ただ関羽は、逃げ疲れた張遼と会った。関羽は、張遼が殿軍の役目を立派に果たしたという名目だけを作ってやった。

関羽が見逃す相手が曹操だから、趣きがあるのだ。張遼がいなくても、天下はひっくり返らない。関羽と張遼とが茶番をやるくらいなら、赤壁の敗走路で鉢合わせしない方が、よほどマシである。
『演義』を台無しにするくらいなら、『演義』を無視してほしい。


この本では、『演義』で見ることのできた曹操と関羽の心の交流が、張遼と関羽に移される。あたかも『演義』で諸葛亮が、史書にある他人の知恵を、ぜんぶ横取りしてしまうのと同じだ。
張遼は武人で、列伝の記述が少ない。張遼の方が、曹操よりも料理しやすかったから、この扱いになったのか?

周倉の役割をかぶった、陸渾

陸渾という人は、作者が種明かししたように、1回だけ正史に出てきます。関羽が樊城を攻めたときに、印綬を受け取って呼応した人です。

この本の陸渾は、荊州の在地水軍の顔役です。
彼が説く利害は、「盗難は絶対にダメ」という関羽とも、「力次第で、盗難が必要なときもある」とする張遼とも違います。いわば「義とは」論争の第3勢力であり、恐らく作者の持論とも一致する人物。
彼の言い分は、
「私は貧しい人のために、ルールを破って便宜を図る。だが、見返りを求めない。恩を着せるために、施しをするのではない。前に助けた人からでも、ムリに軍へ船を借り上げない」
「曹操に支配されるくらいなら、貧しい人は関羽軍に船を差し出すでしょう。安心して暮らせる世を作るという大目的のためなら、目先の投資は厭いません」
関羽より、よほど柔軟な発想だ。

陸渾は、関羽と魯粛の単刀赴会で、こう言った。
「土地は人間のものではない。大自然の一部だ。国家なんて幻想だ。荊州の土地が、どの国家に帰属するかなんて議論は、無意味だ」
この意見は、陸渾がいつも関羽に言っていたという設定。陸渾は同じことを、魯粛にも聞かせてやりたかったらしい。

『演義』では周倉が喋る。正史では、名もない臣下が口を挟んだことになっている。水軍の連想といい、陸渾は周倉の陰を背負っている。作者が「周倉なんて、フィクションなんだ」とアピールするために、不自然なほど陸渾が活躍する。
陸渾の名は正史にあり、周倉の名はない。しかし菊池氏の陸渾は、史書にない働きばかりする。どっちが「歴史学から見て正しい」のか。ぼくはむしろ、架空キャラだと堂々と宣言した『演義』に親しみを覚える。

関羽が、食料を盗み出した?

樊城を攻める関羽は、孫権に食料の借用を求めた。呂蒙と陸遜が、借用証を叩き折ってしまった。

他で聞いたことのない話です。正史の関羽は、借用証を発行してない。菊池氏は、自分の関羽に窃盗させるワケにいかない。

借用証が孫権に届かないのに、傅士仁は食料を運び出した。つまり関羽軍は、もっとも彼が嫌う「盗み」を働くことになった。

「結果的に、盗賊と同じことをしたから、関羽は死んだ」
なんて話には、なってない。関羽の元から、麋芳と傅士仁の心が離れる過程が、丁寧に描かれている。だがぼくは、関羽は盗賊になったから死んだんだと思う。この本は、そうでなくちゃならんと思う。

次回、フロイトの話をしてみます。専門外だが・・・