表紙 > 漢文和訳 > 『世説新語』に登場する、司馬炎を総ざらい!

04) 人乳で蒸した豚肉はいかが?

司馬炎の後継者問題は、
後世の人にかなり多くの「おいしい」題材を提供したようですね。
このページでも、ネタにされています。

規箴7、この席が惜しうございます!

司馬炎は、バカ息子を次の皇帝にしようと思っていた。

あるとき司馬炎は、陸雲台に座っていた。
衛瓘が進み出た。衛瓘は酔ったふりをして、司馬炎のイスの前にひざまずいた。手を出して、イスを撫でて言った。
「この席が、惜しうございます!」
司馬炎は、衛瓘がバカ息子に嗣がせることに反対して、こう言っていると悟った。だが司馬炎は、解らないふりをした。
「衛瓘さんは、ちょっと酔ったみたいだなあ」

もっとも有名な逸話です!

豪爽1、東晋を追い詰める王敦のタイコ

王敦は田舎もので、言葉に訛りがあった。
司馬炎のサロンで趣味自慢が開かれたとき、王敦だけは特に自慢するネタがなかった。司馬炎は、王敦をからかった。
「王敦、お前は取り得がないんだな」
「タイコなら、ちょっと打てますがね」
「よし、タイコを持て」
王敦はタイコを乱打した。王敦の演奏は傍若無人で、一同は呆気に取られてしまった。

司馬炎がやり込められる話。
王敦は、やがて東晋の皇帝を追い詰めます。
「皇帝なんかに即位しなきゃ良かった」
と元帝に言わしめ、元帝を殺してしまう。
若いころから、初代皇帝の絶対権力者・司馬炎にさえ、遠慮をしていなかったんですね。

術解2、古い車輪の木材

司馬炎の設けた宴席で、荀勖がタケノコを食べた。
荀勖は、食べながら言った。
「む、まずい。これは、古い木材で作った蒸し器で炊いたな」
果たしてその通りだった。

へつらいの荀勖の、しょうもない味利きでした (笑)
料理に手を抜いた司馬炎が、へつらいの臣にも急所を突かれた話か?

排調5、亡国の皇帝・孫皓のうらみ歌

司馬炎は、孫皓に聞いた。

孫呉の最後の皇帝で、降服して洛陽にいる。

「南方では、オマエという言葉を入れて、漢詩を作るそうだね。ちょっと見せてくれないか」

司馬炎は、人の力量を試したり、劣等をからかったりするのが好き。アニメ『一休さん』の足利義満、つまり「将軍さま」の役割だ。

孫皓は歌った。
「昔はオマエと、隣国の君主として張り合った。いまオレは、オマエの臣下に成り下がってしまった。オマエに酒を注いでやる。せいぜいオマエの国(西晋)が永遠でありますよーに、ってか?」
司馬炎は、孫皓に歌わせたことを後悔した。

機転の利いた切り替えしで、司馬炎が黙り込むことが多い。基本、このパターンですね。

汰侈3、人の母乳で蒸した豚肉です

司馬炎は、王済の家に遊びに行った。

王済は、ひんぱんに登場します。

王済は、ゼイタクを尽くしたディナーを出した。司馬炎は、豚肉が妙に美味しいので、怪しく思った。
「王済よ、どうやって調理したんだ?」
「人の母乳で、豚肉を蒸しました。華美を競っている、王愷や石崇ですら、まだ思いついていないゼイタクですよ」
司馬炎は、気持ち悪くなって退席した。

司馬炎は、全てを凌ぐ万能の主です。万能ゆえに、司馬炎の発想の上を行くエピソードが面白い。物語の図式として、整頓できそうだ。

汰侈8、司馬炎の叔父・王愷の敗北

王愷は、司馬炎の叔父である。王愷はゼイタクが好きだった。司馬炎は血縁のよしみで、王愷に資金援助した。

司馬炎の母は、王朗の孫娘。

王愷は、ライバルである石崇に、宝物のサンゴを壊された。王愷は、石崇に怒った。石崇は、
「まあ王愷、ちっぽけなサンゴを失ったからって、そう騒ぐな。オレの家には、数十倍は立派なサンゴがある
王愷は、石崇のコレクションを見て、愕然とした。

王愷が負けています。しかしマイナーな王愷をやり込めても、読者はつまらない。これも司馬炎をやり込める話の派生だ。司馬炎が援助した王愷が、軽く負けてしまうから痛快なんだ。

惑溺4、夫婦を仲直りさせた司馬炎

孫秀は、呉郡の人。孫呉から西晋に帰順した。
司馬炎は、孫秀の人柄をとても尊重した。司馬炎は、自分の妻の妹・蒯氏を孫秀に嫁がせた。

この妻の祖父は、荊州の蒯良だ。

あるとき蒯氏が嫉妬して、夫の孫秀を「ムジナ」と罵ってしまった。孫秀は怒って、妻と口を聞かなくなった。

司馬炎は、孫秀を1人だけ残して、言った。
「天下が統一され、呉蜀の罪人たちも許されたんだ。孫秀もどうか、妻を許してやってくれないかな」
孫秀は冠を脱いだ。
「私が大人気なかったです。妻には申し訳ないことをしました。元のとおり、仲良く暮らしたいと思います」

司馬炎は、身内にとても甘い人です。それが現れたエピソードだと思う。名裁きとか、そんなじゃない。

おわりに

司馬炎が登場する話は、以上です。
彼は、バカ息子を愛し、優れた弟を退けた。有能な人を責めては論破され、変わり者をいじっては驚かされた。後世人が司馬炎を思い出すときは、長所ではなくて越度を探す。損な役だな。
ステレオタイプな物語を楽しめば良い。同時に、『晋書』にも流入した「物語の道化としての司馬炎」を、史実の原型が壊れないように慎重に剥がせば、素顔が見えるかも知れない。
『世説新語』おもしろい。また別の人でやります。090120