表紙 > 考察 > 孫策は袁術に、絶縁状を突きつけていない

02) 孫策は、会稽で独立しない

孫策は袁術に、絶縁状を突きつけていない。
この仮説を証明します。

孫策が快進撃したのは、袁術のため

袁術から、太守に任ずる約束を2回破られた孫策。しかし孫策は、不満は残るかも知れないが、袁術のために働き続ける。退職しない。

袁術の目先の敵は、劉繇。
先是,劉繇為揚州刺史,州舊治壽春.壽春,術已據之,繇乃渡江治曲阿.時吳景尚在丹楊,策從兄賁又為丹楊都尉,繇至,皆迫逐之.
袁術は、揚州を根拠地にしたい。先客の劉繇を駆逐するために、呉景らが劉繇と戦っている。だが、苦戦。樊能と于麋に防がれた。

術自用故吏琅邪惠衢為揚州刺史,更以景為督軍中郎將,與賁共將兵擊英等,連年不克.
袁術は、揚州刺史を任命して送り込むが、勝てない。これを見た孫策が、参戦を願い出た。
策乃說術,乞助景等平定江東.術表策為折衝校尉,行殄寇將軍.

これを孫策の独立に向けた動きだと、解釈する人が多い。『演義』では、そうなっていたっけ。
そんなワケない!
劉繇を追い詰めると有利になるのは、袁術だ。袁術から自立したければ、なぜ袁術のために戦うのか。道理に合わないことである。
もし孫策が勝ち、劉繇を追い払えば、跡地を袁術が接収するに決まっている。孫策が、独立の基盤を得られるわけがない。孫策は、政治組織を持ってないのだから。

張昭や張紘を整備するのは、もう少しあとだ。

もし、ほんとうに袁術と決別したければ、袁術の敵・劉繇の先兵となり、袁術に攻撃をするのが自然だろう。そして劉繇に、袁術の旧土を請求すればいい。いま袁術と劉繇は拮抗している。孫策が勝たせたほうは、孫策に大きな恩を感じねばならない。

賈詡が、袁紹でなく曹操に味方したロジックだ。

孫策は袁術の部将として、伯父たちの苦戦を助けただけだ。袁術からの独立を狙って、動いたのではない。

騎數十匹,賓客願從者數百人.比至歷陽,衆五六千.
孫策の配下は、急膨張した。これは孫堅のおかげだろう。孫堅は、袁術の部将として活躍した。孫策はその期待を、引き継いだのである。
くれぐれも言うが、袁術に失望した人が集まったのではない。袁術が劉繇を破ることに賛成した人が、集まったのである。

孫策の独立を創作した『江表伝』

孫策が軍事行動を始めたとき、裴注が4つ付く。
呉歴曰:初策在江都時,張紘有母喪.策數詣紘,咨以世務.
孫策は張紘をまねいた。
注意したいのは、孫策が張紘を招くことと、袁術から独立することは、べつに結びつかないということ。

夏侯惇だって、先生を軍中に招いたじゃないか!
だから夏侯惇は曹操から独立しようと、、なんて言えない。


次から、問題の『江表伝』だ。
江表傳曰:策徑到壽春見袁術,涕泣而言曰:「策感惟先人舊恩,欲自憑結,願明使君垂察其誠.」術甚貴異之,然未肯還其父兵.
袁術はケチって、孫策に兵を還さなかった。この記述が本当なら、袁術は孫策を警戒したことになる。
だが、ウソである。まえの陳寿と矛盾するからだ。
袁術は孫策が合流したとき、孫堅の兵を還した。劉繇討伐に出る孫策に、官位と騎兵を与えた。袁術は、兵力のやりくりできる範囲で、孫策を精一杯に応援したのだ。ちょっと少なかったが、それは言いっこナシだ。袁術の経営体力の問題であって、袁術の性格の問題ではない。

江表傳曰:術知其(策之)恨,而以劉繇據曲阿,王朗在會稽,謂策未必能定,故許之.
袁術は孫策に恨まれているのを、知っていた。だがどうせ孫策が失敗すると思い、行かせたと。
ぼくは、反論したい。袁術は劉繇を倒したいのに、どうして孫策の失敗を望むか。
もしも袁術が、絶対に揺らがない統一勢力なら、目障りな臣下をつぶすために、外征を利用してもよい。だが違う。袁術は、揚州を獲得できるかの瀬戸際だ。権力をおもちゃにする余裕はない。
矛盾だらけである。『江表伝』は、出来のわるい小説である。

孫策は、袁術に官位を発行してもらった

策為人,美姿顏,好笑語,性闊達聽受,善於用人,是以士民見者,莫不盡心,樂為致死.
人望があるのは、結構なことである。袁術のために、強くなれ!
孫策は劉繇を追い、厳白虎を破った。

盡更置長吏,策自領會稽太守,復以吳景為丹楊太守,以孫賁為豫章太守;分豫章為廬陵郡,以賁弟輔為廬陵太守,丹楊朱治為吳郡太守.彭城張昭﹑廣陵張紘﹑秦松﹑陳端等為謀主.
孫策が自ら、一族を太守に任命したように見える。いよいよ独立したのかと、思ってしまう。だが孫策が太守を任命することは、できない。

のちに皇帝・孫権が、官位を与える姿を、投影してはいけない。

太守を任命できるのは、皇帝だけだ。ないしは、皇帝と同レベルの権威があると、一定数以上の人が、認める君主だけだ。
190年代後半。このとき官位を発行できるのは、献帝を擁立した曹操と、せいぜい袁術だ。孫策は、袁術の爪牙として善戦しただけだ。孫策が官位を発行できるわけがない。もし発行したなら、孫策は、世間にさげすまれる袁術以上に、立場をわきまえない勘違い野郎である。

孫策は袁術に頼んで、一族に官位を撒いたのだ。

袁術がべつの会稽太守を任命していたら、ぼくの話は覆ります。しかし、「袁術の会稽太守が赴任してきて、孫策が追い返した」という記述を、ぼくは見つけていない。

孫策は、袁術の部将として、手柄が大きい。だから袁術は、孫策の身内を、特別にたくさん太守にしたんだ。陳寿が記す「盡更置長吏」とは、そういうことかな。
袁術から見れば、以前に反故にした孫策の2つの約束を、埋め合わせる意図もあったかも知れない。

袁術のボーナス付与は、ちょっと後手に回るが、妥当だ。


次回は孫策が、袁術の即位を祝福します!