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03) 孫策は、袁術の即位を祝福

孫策は袁術に、絶縁状を突きつけていない。
この仮説を証明します。

孫策は、袁術の即位を祝福した

時袁術僭號,策以書責而絕之.曹公表策為討逆將軍,封為吳侯.
いちばん難しい史料です。いちばん面白くもある。

いま袁術が皇帝を名乗り、孫策が絶縁状を突きつけたとある。孫策は袁術を見限り、曹操に討逆将軍にしてもらったとある。皇帝袁術でなく、後漢皇帝に従ったという構図だ。孫策は、めでたく後漢の忠臣だ。

韋昭『呉書』が、表現したかったことだ。

ほんとうか?
曹操の武帝紀に、孫策を任じた記述はない。孫策の官位が低いから省略した、と考えれば筋は通るけど、、
むしろ武帝紀で孫策は、許都を襲撃する逆賊として登場する。孫策は、献帝や曹操の敵対者である。孫策が、袁術から献帝に乗り換え、曹操に従ったとは、武帝紀から読めない。

孫策伝でも、すぐに孫策が許都に出兵する。短期間で、態度が変わりすぎである。もし史実だとしましょう。すると孫策の豹変は、「曹操を油断させる策略」を通り越して、単なる不誠実だ。
孫策は不誠実ではないから(笑)この不自然さは、歴史家が史実を改竄した痕跡である。糊が剥がれかかっている。


ぼくが思うに、孫策は袁術の即位を支持した。苦楽を供にしたベンチャー企業が、やっと上場したのだ。一緒に恩恵を受けたはずだ。
孫策は、袁術を祝ったはずだ。
だが、この事実を素直に書くのは、『呉書』の編集方針に合わないから、書き換えられた。ウソに自信がないのか、このあたりの孫策伝は、とても簡潔です。あまりたくさん書くと、ウソがバレるからね。

絶縁状は、ニセモノである

孫策が後漢に従ったというイメージは、どこから来るか。裴松之の注釈である。
江表傳曰:策遣奉正都尉劉由﹑五官掾高承奉章詣許,拜獻方物.
曹操に朝貢した、と。おお、忠義者だ! ウソくさい。

吳錄載策使張紘為書曰:(以下略)
吳錄載策上表謝曰:(以下略)
『吳錄』は、孫策から袁術への絶縁状を載せる。孫策が曹操に感謝した文章を載せる。

絶縁状は、陳寿の本文にはありません。

それぞれ、1100文字、190文字だ。ご苦労なことである。が、どちらも、後からいくらでも作れる文章だ。
日本語で宜しければ、ぼくが「孫策が袁術の即位を祝福した上表文」を書いてもいい。やりたい放題なんだ。上表が注釈されていても、事実を知るための、何の証拠にもならん。

面白いことに『江表伝』では、孫策を会稽太守に任命したのは、曹操だとなっている。
陳寿を順番に読めば、孫策が会稽太守になったのは、袁術と絶縁する前、曹操に通交する前だ。『江表伝』は、孫策の後漢への忠義を強調するあまり、勇み足をした。陳寿と矛盾した。

この時代、献帝が任じた太守と、袁術が任じた太守が、赴任地で衝突することは多い。誰に任じられたかが、政治的立場を決める。
『江表伝』は、孫策を会稽太守に任じた人を変更した。筆一本で、孫策が所属する勢力を変更したのは、面白い。

曹操は、孫策の取りこみに必死だ

袁術が死んだ。
いくらぼくが、孫策の袁術に対する忠誠を強調しても、袁術に死なれては、これ以上言うことはできない。笑

袁術は病死かな。歴史家に憎まれると、情けない死に様の逸話を、作り放題に作られる。極端だから逆に、ウソだと分かる。史料批判して、割り引きやすい。「蜜をなめたい」とか、参考にならない。


後術死,長史楊弘﹑大將張勳等將其衆欲就策,廬江太守劉勳要擊,悉虜之,收其珍寶以歸.策聞之,偽與勳好盟.勳新得術衆,時豫章上繚宗民萬餘家在江東,策勸勳攻取之.
袁術が死んだ。楊弘と張勳は、孫策に従った。袁術が死んだから、代わりに孫策を頼ったのだ。これを、劉勲が邪魔した。
孫策vs劉勲。
袁術が死に、袁術の残党が主導権争いをしているように見える。
孫策は劉勲をだまし討ちにした。

劉勲が孫策に騙されてくれたのは、孫策を必ずしも敵と見なしていなかったからかも。旧同僚として、あわよくば孫策と協力したかったかも。
劉勲は「袁紹や曹操に対抗するため、旧袁術軍は、団結すべきだ」と。
だが孫策は酷薄だから、劉勲を破り、主導権をねらった。

劉勲は、曹操を頼った。敵の敵は味方というロジック。

是時哀紹方彊,而策并江東,曹公力未能逞,且欲撫之.乃以弟女配策小弟匡,又為子章取賁女,皆禮辟策弟權、翊,又命揚州刺史嚴象舉權茂才.
曹操は袁紹と対決するため、袁術軍を切り崩しにかかった。
もしすでに孫策が、曹操&献帝に朝貢していたら、曹操は孫氏に官位をバラ撒く必要はない。まだ孫策が曹操に同調しないから、曹操は懐柔に必死なんだ。
ここを読んでも、孫策が袁術から献帝に乗り換えていないと、分かる。

架空の孫策が、袁術を攻める

江表傳曰:策被詔敕,與司空曹公、衛將軍董承、益州牧劉璋等并力討袁術、劉表.軍嚴當進,會術死,術從弟胤、女婿黄猗等畏懼曹公,不敢守壽春,乃共舁術棺柩,扶其妻子及部曲男女,就劉勳於皖城.
おもしろい小説です。
孫策が曹操の命令を受けた。劉璋と力を合わせて、袁術と劉表を討とうとした。たまたま袁術が死に、袁術の遺族は劉勲を頼った。そう『江表伝』にある。
ありそうな話を、うまく作ってある。
孫策が袁術を攻めようとしたが、その前に袁術が死んだ。つまり孫策は袁術を攻めていない。だが「攻めようとは思ったよ」と仄めかした。とても気持ち悪い、玉虫色の記述だ。

皮肉にも、孫策が袁術を、直接攻撃していないことを、示している。

史実で孫策が袁術を攻めない。いくら『江表伝』でも、ロコツなウソを書けない。仕方なく、孫策には、袁術を攻める心算だけはありましたよ、ということにした。

「やるつもり」は、誰にも検証できない。表立って、否定はできない。『江表伝』は、うまいところに、逃げ込んだものである。
とは言え、劉璋と結び、劉表&袁術を倒すという同盟マップは、面白い。劉璋は、曹操に同調していた。うまい創作だ。


『江表伝』は、「孫策が劉勲を攻めた」という史実を活かした。つまり劉勲に袁術の遺族を逃げ込ませ、孫策が袁術の遺族を討つ、という構図を作った。
これにより、孫策が袁術を攻撃するというウソこそ書けないが、ほぼ同じ効果を出した。孫策が袁術に敵対した、という孫呉の公式見解を、裏づけた。王朝的には、『江表伝』はグッドジョブ。
次回、孫策の死に関するウソを指摘します。