01) 孫策を眼に入れても痛くない
仮説:孫策は袁術に、絶縁状を突きつけていない。
孫策は袁術が死ぬまで、袁術に従った。
袁術の死後も、孫策は、袁術のかかげた路線を守りとおした。
今回は、この仮説を証明します。
歴史書のウソ、大人の都合
陳寿の呉志は、韋昭『呉書』が元ネタです。
韋昭『呉書』は、現存しない。内容を推測するに、
「後漢を継承した孫氏が、やがて天下を統一するだろう」
という、予定調和的な歴史が描かれていたらしい。
だから孫堅や孫策は、後漢の忠臣でなければいけない。孫策は、袁術から堂々と訣別したことを記されねばならない。
なぜなら袁術は「後漢の逆賊」として、コケたからだ。
しかし、ウソは必ずバレるもの。
孫討逆伝(孫策伝)は、さっそく破綻している。
今回、指摘します。
陳寿は、韋昭に引きずられて、ウソを書いた。だが、韋昭が個人的にウソをついたのではない。孫呉の王朝としての公式見解が、すでに事実から歪められていたように思う。公式見解に引きずられて書かれた史料も、ウソばっかり。それらの史料は、裴松之が紹介してくれています。
陳寿本文は何を言っているのか。裴注はどんな情報を加えているのか。検証&整理したい。
『晋書』虞溥伝を訳し、『江表伝』の作者を知る。
孫策は、袁術の部将の息子
孫策の列伝を読みます。
漢文は抜粋です。緑字は陳寿本文で、青字は裴注です。逐一は翻訳しませんが、日本語部分だけで、意味が通るように書いたつもりです。
策字伯符.堅初興義兵,策將母徙居舒,與周瑜相友.
父の孫堅は、袁術の部将。孫策の家は、ここから始まる。周瑜との関係性について、『江表伝』が注釈する。
有周瑜者,與策同年.便推結分好,義同斷金,勸策徙居舒,策從之.
だってさ。
美しい友情だ。周瑜と孫策を「断金」の関係というが、『江表伝』が出典である。信じてはいけない。実際は、三公の家の周瑜が、新興の孫氏に保護を加えただけだろう。「親友」なんかじゃない。
堅薨,還葬曲阿.已乃渡江居江都.
袁術の部将で、父の孫堅が死んだ。孫策は長江の北に住む。
徐州牧陶謙深忌策.策舅吳景,時為丹楊太守,策乃載母徙曲阿.
孫策は、長江を渡った。頼ったのは、外戚の呉景。呉景を丹陽太守に任命したのは、袁術である。
孫堅が死んだ。年長の呉景が、袁術の部将としての責任を継いだ。そう読むのが自然だと思う。
興平元年,從袁術.術甚奇之,以堅部曲還策.
194年、孫策は袁術に従う。呉景の保護を脱出して、一人前の袁術の部下となった。袁術も心得ていて、孫堅の部曲を還している。
孫策の約束を破ったのは、なぜか
袁術は、とても孫策を可愛がった。
太傅馬日磾杖節安集關東,在壽春以禮辟策,表拜懷義校尉.
と「懷義校尉」の官位を取ってあげた。異例の厚遇。
術常歎曰:「使術有子如孫郎,死復何恨!」
とも言う。訳せば、もし私に孫策のような息子がいたら、私は死んでも悔いがないと。最大の寵愛だ。
孫策の兵士が不祥事を起こした。孫策が謝罪した。袁術は、
「兵人好叛,當共疾之,何為謝也?」
である。甘すぎる。目に入れても痛くないみたい。
しかし次の行で、袁術と孫策に、行き違いが起きた。
術初許策為九江太守,已而更用丹楊陳紀.
官位に任ずると言ったのに、約束違反である。さらに袁術は、
謂曰:「前錯用陳紀,每恨本意不遂.今若得康,廬江真卿有也.」
と約束したが、
術復用其故吏劉勳為太守,策益失望.
なんてことになる。袁術は、なぜ約束を破ったか。
袁術が政権を安定させるための、苦肉の策だと思う。
陳紀は、袁術が移転した丹陽郡で、地元の有力氏族だったんだろう。劉勲は「故吏」とあるから、袁術に忠実な役人だ。どちらも、是非とも恩を売っておきたい。
袁術は思った。
孫策は、すでに懐義校尉だ。軍令違反を許してあげた。「お前が息子ならばなあ」と声をかけて、精神的な報酬も与えた。孫策が、討伐に成功した褒賞を、少し後回しにしても支障はないだろう。
袁術から孫策への「息子に」という発言に、袁術の思いが2つ見える。
①孫策は、身内のように苦楽を供にしてくれるはずだ
②子ども扱いだ(対等に付き合う部下とは、見なさない)
前者①について。孫策の進攻が速いのは予想外で、袁術は大いに助かった。ボーナスを出すべきだ。だが袁術は、孫策の扱いに甘えがある。
「今はちょっと待て。必ず将来、報いてやるから。今が堪えどきなのは、分かってくるよな」と。
袁術は、これが孫策に通じると思っている。
後者②について。良くも悪くも、孫策は見くびられている。孫策には、血縁や地盤の裏づけがない。ただの孤児だしね。だから陳紀や劉勲のように、おっかなビックリ厚遇する必要がない。
陳寿は、孫策が袁術にますます失望したと書く。どこまで本当か分からん。内面を、他人が知れるわけがない。のちに孫氏が袁氏から分離したことから遡り、推測で書いたのだと思う。
袁術に失敗があるとしたら、コミュニケーション不足だ。
「ぼくは孫策くんを、こんなに大切に思っているよ。目先の太守の地位が、後回しになったからって、気にしてほしくないんだ」
と、よく話し合うべきだった。
袁術が責められるとしたら、皇帝を僭称したことではない。ひとりの上司として、不器用だったことである。
次回、孫策が快進撃を始めます。