表紙 > 漢文和訳 > 『世説新語』に登場する、曹操を総ざらい!

01) 曹操のレベルで満足するな

『世説新語』より、
曹操が登場する全てを抜き出します。

『世説新語』は、裴松之が注釈にも使っている本。南朝宋に成立。
前回は同じことを司馬炎でやりました。
『世説新語』に登場する、司馬炎を総ざらい!

以下の方をターゲットに書いてみます。
 ○『三国志』の主人公・曹操をもっと知りたい
 ○図書館に行くのは面倒だが、『世説新語』を覗いてみたい
 ○専門書の口語訳ではなく、手軽な物語として読みたい
参考文献:『世説新語』新釈漢文大系(上中下)明治書院

言語8、孔融が禰衡を弁護する

禰衡は、曹操に罰せられて、太鼓係になった。

禰衡は口八丁の奇人。お馴染みだと思います。

禰衡が太鼓を叩くと、とても上手かった。列席した人は、顔色を変えた。孔融は、禰衡を弁護していった。
「禰衡は、罪を受けた。こんなに太鼓が上手いのに、聡明な君主に認められることがないのだな」

原文は「明王の夢に発す」です。よく解らん。
孔融は孔子の子孫。禰衡と孔融は、互いを認め合っている。

曹操は恥じて、禰衡を許した。

恥じたってことは、孔融に「見る目のない君主だ」と言われたからだと、ぼくは思います。曹操の人物眼を批判するなんて、すごい根性だ。

方正2、曹操など付き合うに値しない

南陽郡の宗承(あざなは世林)は、曹操と同時代の人である。若いときの曹操が、宗承を訪問した。しかし賓客がごった返しており、曹操は宗承に話しかけることも出来なかった。

「乱世の姦雄」というキャッチコピーをもらうため、曹操は、橋玄や許劭の間を駆け回った。後漢は、名声がないと、相手にされない社会だ。

曹操が出世して、後漢で司空になった。曹操曰く、
「私は充分に出世しました。宗承殿、そろそろ私と交際してもらえませんか
宗承は答えた。
「私は、松や柏の志を失っておりません」

松と柏は常緑樹だ。曹操が世俗的に出世しても、コロッと態度を変えて、付き合ったりはしないよ、と。

曹操は面白くない。曹操は宗承に、朝廷で相応しい位階を与えなかった。だが子の曹丕は、宗承に一方的にへりくだって、拝礼した。

魏の皇帝・曹氏は、じつは賤しい出自なんだ。200年後の時代になっても、それをいちいち思い出されていたようだ。可哀想に。
そりゃ曹操を個人的に嫌った人はいたはずだが、わざわざエピソードを忘れないで、伝えられていたようだ。

識鑑1、乱世の英雄、治世の姦賊

曹操は若いとき、橋玄に会った。橋玄曰く、
「天下は乱れている。天下を治めるのは、曹操くんではなかろうか。曹操くんは、乱世の英雄であるが、治世の姦賊でもある。私・橋玄は年老いてしまった。私は曹操くんが活躍するのを見られない。だが私の子孫は、曹操くんと関わり合いを持つだろうな」

言わずと知れた名場面。
孫盛『雑語』では「治世の能臣、乱世の姦雄」です。違います。

識鑑2、もし劉備が辺境に籠もったら

曹操は、裴潜に聞いた。
「裴潜よ。キミは昔、劉備とともに荊州にいた。劉備の才能は、どのようなものか」
裴潜は答えた。
「劉備が中原にいれば、人を乱すことはあっても、領国を経営することはできません。しかし、辺境に籠もって、地形を頼って防御をすれば、1つの割拠勢力となれます」

裴潜が言ったとおりになった!と褒めたくなる。だが、どこまですごい発言なんだ?
まず前半、中原では勢力を保てないというのは、過去の話をしただけ。裴潜の先見でも何でもない。
次に後半。これを話している時期は、間違いなく、劉表による荊州のサロンが崩壊した後だ。つまり少なくとも劉備は荊州南部にいた時期だ。裴潜は、未来を見たのではない。
「いま劉備は辺境にいますが、中原に出てくる脅威はないでしょう
が裴潜の発言意図なんじゃないか? その意味では、ナイスな先見。

規箴18、曹操になんか憧れないでくれ

東晋のとき、荊州刺史の庾翼が言った。
「私は、劉邦や曹操みたいになろうと思う。私の志について、感想はあるか」
長史の江虨が言った。
「庾翼さまには、斉の桓公や晋の文公のような仕事をして頂きたい。たかが劉邦や、せいぜい曹操みたいな仕事で満足なされるなら、私は残念に思います」

南朝宋の明帝『文章志』は言う。
「庾翼は、立派な人である。どうして、劉邦や曹操になりたいなんて軽率なことを言うもんか
曹操は『世説新語』の著者にも、注釈者にも嫌われてるなあ。天下統一し損ねた曹操を嫌うならまだしも、なぜ成功者・劉邦を嫌うんだろう。
『世説新語』を編集したのは、南朝宋の皇族。南朝宋が、同じ劉姓の劉邦を軽視していたとすると、これは場所を改めて考えたい議論だ。
残念ながら『世説新語』本文に登場する劉邦は、ここ以外にありません。