表紙 > 考察 > 『三国演義』の袁術の記述を集め、物語の演出手法を指摘する

02) すべて曹操にシワザにする

ぼくの好きな袁術について、『演義』の記述を網羅しました。

第14回、第15回:驅虎呑狼之計に、利用される

彧曰:「可暗令人往處通問,報說劉備上密表,要略南郡。聞之,必怒而攻備,公乃明詔劉備討。兩邊相併,呂布必生異心:此『驅虎吞狼之計』也。」操大喜,先發人往處;次假天子詔,發人往徐州。

荀彧のフィクションの計略。駆虎呑狼です。
劉備が袁術を討つため、南下。劉備の南下を、曹操の差し金のように描くため、『演義』が創作した。この話は、曹操が献帝を得た直後におく。読者に対して「献帝を手に入れたから、他の群雄を動かすことができるんだ」と示すための、話運びです。
先主伝では、袁術が先に攻めた。袁術の主体性を殺した。悲しいです。
袁術來攻先主,先主拒之於盱眙、淮陰。曹公表先主為鎮東將軍,封宜城亭侯,是歲建安元年也。


卻說玄德在徐州,聞使命至,出郭迎接;開讀詔書,卻是要起兵討。 卻說聞說劉備上表,欲吞其州縣,乃大怒。

劉備は、まんまと袁術を攻めましたと。
袁術を攻めろという詔書は、正史にないが、「絶対に存在しない」とも言えない。曹操は官位をくばり、劉備をバックアップしている。
袁術は、荀彧の駆虎呑狼に、乗せられました。


且說知呂布襲了徐州,(中略) 布正在遲疑,忽有書至。書意云:「高順雖來,而劉備未除;且待捉了劉備,那時方以所許之物相送。」布怒罵失信,欲起兵伐之。陳宮曰:「不可。據壽春,兵多糧廣,不可輕敵。不如請玄德還屯小沛,使為我羽翼。他日令玄德為先鋒,那時先取,後取袁紹,可縱橫天下矣。」

陳宮が呂布に、袁術と結べと言っている。
正史でも陳宮は、袁術との関係を重んじた。だが正史では、この時期に陳宮が、呂布をさとすセリフがない。『演義』が、分かりやすくするため、陳宮に喋らせた。ありがたい。

卻說玄德引兵東取廣陵,被劫寨,折兵大半。

劉備は、袁術に敗れました。広陵に逃げました。


第15回:孫策が、袁術の部下という境遇をなげく

卻說大宴將士於壽春。人報孫策征廬江太守陸康,得勝而回。喚策至,策拜於堂下。原來孫策自父喪之後,自己卻投甚愛之,常歎曰:「使有子如孫郎,死復何恨!」見策勇,復使攻陸康,今又得勝而回。

袁術が、孫策をかわいがる。正史に同じ。
「呉志」孫策伝に「使術有子 如孫郎,死複何恨!」とある。丸写し。


策見席間相待之禮甚傲,心中鬱悶。因思父孫堅如此英雄,我今淪落至,此不覺於聲大哭。

孫策の心理描写。正史の空白を埋める、演出。二次創作の王道。

策視其人,乃謀士,汝南細陽人:姓呂,名範,字子衡。策大喜,延坐共議。呂範曰:「只怕袁公路不肯借兵。」策曰:「吾有亡父留下傳國玉璽,以為質當。」範曰:「公路欲得此久矣!以此相質,必肯發兵。」

「呉志」の呂範伝にある。呂範が、孫策に味方した。
後避亂壽春,孫策見而異之,範遂自委昵,將私客百人歸策。
膨らまして、孫策に独立を説得させるセリフを作ったかな。


次日,策入見,哭拜曰:「今母舅吳璟,又為揚州刺史劉繇所逼;策敢借雄兵數千,渡江救難省親。恐明公不信,有亡父遺下玉璽,權為質當。」聞有玉璽,取而視之,大喜。

玉璽は、陳寿にない。裴注に書かれたとき、すでに「小説」っぽくなっている。検証がむずかしい。後日やります。


卻說劉繇字正禮,東萊牟平人也。舊為揚州刺史,屯於壽春,被趕過江東,故來曲阿。

『演義』はいう。劉繇が揚州にいたのに、袁術が追い出したと。
正史と違う。正史で寿春に先に入ったのは、袁術。劉繇は後からきて、寿春に入れなかった。袁術が横取りしたように、『演義』がアレンジ。


使人致書與取玉璽。 卻說暗有稱帝之心,乃回書推託不還。

孫策は、玉璽を返せという。袁術は返さない。
比べる必要のないくらい、正史と関係ない。エスカレートして、筆が滑っている感じである。孫策が独立をしそうなころ、袁術伝、孫策伝で、玉璽の取り合いはない。


第16回:呂布が袁術と戦うのは、すべて曹操の操縦

卻說楊大將獻計欲攻劉備。曰:「計將安出?」大將曰:「劉備軍屯小沛,雖然易取,奈呂布虎踞徐州,前次許他金帛糧馬,至今未與,恐其助備;今當令人送與糧食,以結其心,使其按兵不動,則劉備可擒。先擒劉備,後圖呂布, 徐州可得也。」喜,便具粟二十萬斛,令韓胤齎密書往見呂布。呂布甚喜,重待韓胤。胤回告遂遣紀靈為大將,雷簿、陳蘭為副將,統兵數萬,進攻小沛。

楊大将という人が、袁術に徐州北伐をすすめる。楊大将は、誰だかわからない。袁術と縁つづき、三公の家柄の楊彪を意識しているんだろうか? いま揚州にはいませんが。
楊大将はいう。さきに劉備を倒し、つぎに呂布を倒せ、と。楽観論である。これが大失敗するところが、『演義』の見せ場になってる。曹操+劉備+孫策+呂布で、袁術を討つシーンだ。


呂布看了書,與陳宮計議曰:「前者送糧致書,蓋欲使我不救玄德也。今玄德又來求救,吾想玄德屯軍小沛,未必遂能為我害;若併了玄德,則北連泰山諸將以圖我,我不能安枕矣;不若救玄德。」遂點兵啟程。

『演義』で陳宮は、呂布に云った。
「袁術は、劉備を見殺せという。だが、劉備を助けよう。なぜなら、もし袁術が劉備を倒したら、私たちが包囲されるからだ」
『演義』のここは、呂布伝から、引っぱってきてる。
術遣將紀靈等步騎三萬攻備,備求救於布。布諸將謂布曰:「將軍常欲殺備,今可假手於術。」布曰:「不然。術若破備,則北連太山諸將,吾為在術圍中,不得不救也。」
呂布は自分で、劉備を助けようと考えた。だが『演義』呂布は、戦闘マシンだ。頭の良さそうなことは、陳宮の発案だと置き換えられた。


不說玄德入小沛,呂布歸徐州。卻說紀靈回淮南見,說呂布轅門射戟解和之事,呈上書信。大怒曰: 「呂布受吾許多糧米,反以此兒戲之事,偏護劉備;吾當自提重兵,親征劉備,兼討呂布!」
從之,即日遣韓胤為媒,齎禮物往徐州求親。(中略)韓胤回報即備聘禮,仍令韓胤送至徐州。

袁術は、紀霊が劉備を討たずに帰ったので、怒った。
「呂布が戟を射たからって、仲裁されている場合じゃないだろう!」と。
正史では、直接は描かれない場面。ストーリーをつなげるために登場。


陳珪が呂布に「袁術を捨てろ」という場面があるが、省略。
だいたい正史と同じです。「袁術=僭号=婚姻してはいけない」と。

呂布伝にある。「曹公奉迎天子,輔贊國政,威靈命世,將征四海,將軍宜與協同策謀,圖太山之安。今與術結婚,受天下不義之名,必有累卵之危。」
これを冗長に3倍くらいに伸ばせば、『演義』の記述になる。『演義』は、ダラダラと延ばして、分かっていることをくり返すんだ。読者の理解を助けるため?


不說曹操還兵許都。且說王則齎詔至徐州,布迎接入府,開讀詔書,─封布為平東將軍,特賜印綬。─又出操私書。王則在呂布面前,極道曹公相敬之意。布大喜。忽報遣人至,布喚入問之。使言:「袁公早晚即皇帝位,立東宮,催取皇妃早到淮南。」布大怒曰:「反賊焉敢如此!」遂殺來使,將韓胤用枷釘了,遣陳登齎謝表,解韓胤一同王則上許都來謝恩;且答書于操,欲求實授徐州牧。

『演義』はいう。呂布が袁術の僭称に怒ったのは、曹操と心を通じ合ったから。呂布と袁術の戦況は、すべて曹操が動かしたことにしてある。『演義』らしい単純化だ。
正史で呂布は、曹操-陳珪の思うとおりに動かない。どちらかと云えば、袁術-陳宮に同調するように動いている。


曹公曰:「淮南、江東孫策、冀州袁紹、荊州劉表、益州劉璋、漢中張魯,皆狐兔也。」布擲劍笑曰:「曹公知我也!」正說話間,忽報軍來取徐州。呂布聞言失驚。

『演義』はいう。曹操が呂布を「お前だけが、勇者だ。お前のほかは、キツネやウサギだ」と承認する。呂布は喜んで曹操のために働く。袁術に敵対する。正史での出典は、呂布伝かな。
太祖曰:「布,狼子野心,誠難久養,非卿莫能究其情也。」とか、
登不為動容,徐喻之曰;「登見曹公言:'待將軍譬如養虎,當飽其肉,不飽則將噬人。'公曰:'不如卿言也。譬如養鷹,饑則為用,飽則揚去。'其言如此。」布意乃解。
オオカミ、トラ、タカと例えながら、呂布をたぶらかす。笑


次回、袁術が20万で北伐しますが、フィクションです。