表紙 > 考察 > 『三国演義』の袁術の記述を集め、物語の演出手法を指摘する

01) 罰ゲーム:関羽をけなす

中国文学として『三国演義』を分析したとき、
袁術の役回りは、どう位置づけられるか。 これを考えます。

井波律子『三国志演義』から抜書き というページを以前につくました。
本の内容のメモとともに、ぼくの感想を記しました。
張飛はバーバラスな民間の英雄。劉備は、虚なる中心で、三蔵法師と同じ。関羽は、士大夫の価値観を象徴。曹操は高められ、孫権は低められた。
袁術についての記述が、、ない、、


関羽の神格化の研究があるなら、袁術の負けっぷりの考察があっても、いいんじゃないかと思います。
なぜなら袁術は、陳寿『三国志』よりも、『演義』でたくさん負けるからです。観客にウケるための、何らかの操作があるはず。類似の例が、ほかの中国文学のなかにあるはず。

吉川英治を読んで、お腹いっぱい。『三国演義』の翻訳すら読まない。
ぼくは、そういう(典型的な?)日本人です。まして『三国演義』以外の中国文学については、さっぱり暗いです。


ぼくの好きな袁術について、『演義』の記述を集めました。

テキストは、漢籍電子文獻資料庫より。いつの版本を活字化したサイトなのか、それすらよく分かっていません。すみません。。

ぼくの知っている範囲で、正史と比較しました。
態度を表明します。正史を正とし『演義』を誤とし、『演義』を責めません。今日は「どんなふうに違うか」に興味があります。

ぼくの指摘事項(このページの結論)は、右の小窓「ページの概要」に書いておきました。宜しければお先に、お目通しください。


第3回:袁術が宦官をきる

於是袁紹、曹操各選精兵五百,命袁紹之弟領之。全身披掛,引兵布列青瑣門外。

袁術の初登場場面です。宦官を切り殺すシーンです。兵数、防具、集合場所はオリジナル。行動は、正史にある。


引兵突入宮庭,但見閹官,不諭大小,盡皆殺之。

正史より詳しく、「見てきたように」書いてある。


第5回:兵糧を惜しみ、部将を失い、関羽をけなす

第一鎮,後將軍南陽太守。(中略)第十六鎮,烏程侯長沙太守孫堅。第十七鎮,祁鄉侯渤海太守袁紹。

董卓を囲み、諸侯が集結するのは、フィクション。
正史で、袁術は南陽にいるが、南陽太守ではない。孫堅が、南陽太守の張咨を殺したところ。袁術は、董卓に任じられた後将軍だ。
19鎮の筆頭に、描かれる。正史では、諸侯のリーダーみたいな記述はない。『演義』で袁術は、正史よりも高められている? もしくは、『演義』作者の意地が悪く、「上げて落とす」というパタンか。


紹曰:「吾弟總督糧草,應付諸營,無使有缺」

正史で袁術は、兵糧係ではない。それどころか袁紹とは、別行動である。はじめから、協力していない。
ただし袁術が、孫堅に兵糧を送らなかったのは、「呉志」にあること。孫堅の話を載せるために、同盟軍全体の、兵糧係を任されてしまった。余計に働いた分、職務手当を、別途支給してほしい。笑

孫堅引兵回至梁東屯住,使人於袁紹處報捷,就於處催糧。或說曰:「孫堅乃江東猛虎;若打破洛陽,殺了董卓,正是除狼而得虎也。今不與糧,彼軍必散。」聽之,不發糧草。

孫堅をうたがう袁術です。
「呉志」より。是時,或間堅於術,術懷疑,不運軍糧。
この陳寿の本文に、裴松之の注がつく。
或謂術曰:「堅若得洛,不可複製,此為除狼 而得虎也」故術疑之。
この部分は、『江表伝』に基づいて書かれたと分かる。いちおう正史の注釈だが、『江表伝』は信憑性が低いんだよね。


背後轉出驍將俞涉曰:「小將願往。」

袁術が華雄を倒すため、ユ渉をだす。ユ涉が死ぬ。
ユ渉は、正史にいません。どんな姓でも良かったはずなのに、なんで敢えて「ユ」氏にしたんだろう? 明王朝に、悪辣なユ氏がいた?


帳上大喝曰:「汝欺吾眾諸侯無大將耶?量一弓手,安敢亂言!與我打出!」
大怒,喝曰:「俺大臣尚自謙讓,量一縣令手下小卒,安敢在此耀武揚威!都與趕出帳去!」曹操曰:「得功者賞,何計貴賤乎?」曰:「既然公等只重一縣令,我當告退。」

袁術が、「華雄を斬るぜ」と名乗り出た関羽を、けなす場面。曹操が「まあまあ、関羽さんに頼んでみようよ」と理解を示す。
すべてフィクション。『演義』の主役&神様、関羽をけなすという、いちばん損な役回りだ。呂蒙は関羽を殺して出血したが、袁術も同じ。


第6回:孫堅に兵糧をせまられ、心底ビビる

堅引程普,黃蓋,至寨中相見。堅以杖畫地曰:「董卓與我,本無讎隙。今我奮不顧身,親冒矢石,來決死戰者:上為國家討賊,下為將軍家門之私;而將軍卻聽讒言,不發糧草,致堅敗績,將軍何安!」

孫堅が袁術に、兵糧を催促するところ。
「呉志」にある。陽人去 魯陽百餘裏,堅夜馳見術,畫地計校,曰:「所以出身不顧,上 為國家討賊, 下 慰將軍 家門之私讎。堅與卓 非有骨肉之怨也,而將軍 受譖潤之言,還相嫌疑!」
孫堅が地図を描いたのは、同じ。『演義』孫堅のセリフは、「呉志」をシンプルに短縮したもの。言った場所が違うけれど。


惶恐無言,命斬進讒之人,以謝孫堅。忽人報堅曰:「關上有一將,乘馬來寨中,要見將軍。」堅辭

袁術は孫堅に恐れ入って、謝った。孫堅は、戦闘にもどった。
「呉志」では、術踧唶,即調發 軍糧。
正史で袁術は、反省した。『演義』で袁術は、孫堅にビビった。『演義』で孫堅は英雄となり、袁術はキモの小さな人になった。


第7回:袁紹と劉表にねだり、孫堅に呆れられる

卻說在南陽,聞袁紹新得冀州,遣使來求馬千匹。紹不與,怒。自此,兄弟不睦。又遣使往荊州,問劉表借糧二十萬,表亦不與。恨之,密遣人遺書於孫堅,使伐劉表。

『演義』の袁術は、袁紹に馬をねだった。劉表に食糧をねだった。正史で袁術は、ねだらない。それどころか、豫州で袁紹と戦争している。
袁術は、彼なりの戦略に基づいて、袁紹と劉表と対立した。袁術の戦略を台無しにして、馬と米の恨みにすり替えた。ひどいなあ。


程普曰:「多詐,未可准信。」堅曰:「吾自欲報讎,豈望之助乎?」

『演義』の孫堅が、袁術は信用ならんといい、袁術を切り捨てた。
いちじるしく正史と反する。正史で孫堅は、死ぬまで袁術の部将だった。孫堅が袁術から自立したと、みなに印象づけたのは、ココ。重罪(笑)


第8回:袁術が郵便事故を起こし、張温を殺す

卓笑曰:「諸公勿驚。張溫結連,欲圖害我。因使人寄書來,錯下在吾兒奉先處,故斬之」

袁術が、張温に手紙を書いた。董卓を暗殺しようと。 袁術の手紙は間違って、呂布に届いた。張温は斬られた。
まったくのフィクション。たまたま間違えた相手が、董卓の下で「最強」の呂布だ。マヌケにも、ほどがある。袁術は、ピエロか。
だが、袁術と張温のパイプは、興味深い。出典は『三国志』董卓伝。
故太尉張溫時為衛尉,素不善卓,卓心怨之,因天有變,欲以塞咎,使人言溫與袁術交關,遂笞殺之。


第9回、第11回:呂布が袁術をたよる

呂布只得棄卻家小,引百餘騎飛奔出關,投去了。

呂布は長安を脱出し、袁術をたよった。
呂布伝『英雄記』にある。將數百騎,出武關,欲詣袁術。
出典は、これかなあ。「去」に口語のにおいがする。

原來呂布自遭李、郭之亂,逃出武關,去投怪呂布反覆不定,拒而不納。

呂布伝では、術惡,其反覆。拒而不受。
『演義』は正史とほぼ同じことを言うのに、長い。
ちなみに『後漢書』袁術伝では、袁術は呂布にやさしい。寛大だ。
乃將數百騎,以卓頭系馬鞍,走出武關,奔南陽。袁術待之甚厚。布自恃殺卓,有德袁氏,遂恣兵抄掠。術患之。布不安,複去從張楊於河内。


第12回、第14回:敗軍の将が、集まってくる

張超自焚,張邈投去了。
楊奉、韓暹勢孤,引敗兵投去了。

展開は、正史と同じ。張邈が、袁術を頼る。楊奉と韓暹も、袁術を頼った。表現は、呂布のときと同じで、ワンパタン。


次回、袁術が戦争に参加します。盛大に、負けます。