表紙 > 読書録 > 本田透『ろくでなし三国志』から妄想のタネをひろう

01) 2000年の思想犯・諸葛亮

本田透『ろくでなし三国志』を読みました。
大阪梅田の、ブックファーストで買ってきました。

妄想の先例

著者が10年来ネットに書きため、妄想した本です。
東洋史の専門家ではない著者が、三国志が好きというだけで、勝手なことを書き散らしていた。もしかして、ぼくと同類&大先輩ではないか、という気がしてきました。笑
そういうわけで、面白かった話を、ひろい集めます。あわよくば今後、本田氏の妄想を、ぼくが史料を読解して肉付けしていけないかな、とも思っています。今回は、ネタを探すための、メモです。

著者は、漢文を読まないらしい。ぼくは、マネゴトですが、漢文を読む。だから、ぼくのほうが、マコトしやかに、妄言を吐けるはず。本田氏に、追いつき、追いこせ!という意気ごみで。

地の文は本田氏が云ったこと。グレイかこみの注釈は、ぼくのメモ。この体裁で書きます。本田氏の文章が、すでに妄想の集合体だから、ぼくの妄想と混ぜると、マジでゴチャゴチャになります。それを避けます。


序章:低成長の日本は、三国志に学べる

曹操をビッグマンに描いた作品は、『蒼天航路』だ。人を撲殺しても、笑顔で「ならばよし!」というイケイケ。日本のバブルの風潮を、反映した作品だった。
しかし、三国時代とバブル日本は、似ても似つかない。低成長・デフレ・移民時代の話である三国志を、バブル時代の企業経営にダブらせるなど、不適当だった。
バブル日本と似るのは、前漢の武帝の時代。時代はくだり、現代の不況な日本が、三国志の世界に近い。
 宦官-永田町の官僚-政治を仕切る、有能な人
 清流派-国会議員-官僚から権力を奪還したくて、アジる
 後漢皇帝-総理大臣-おかざり

ぼくは、現代政治を語る見識がありません。ただ、現代を後漢末に比すのは、同じ意見です。人口を増やすことに、それほど義務感がない。笑

三国志の英雄全員が、負け組だ。現代日本にとって、三国志は、反面教師となる。

本を読み終わっているから、先回りしますが。「現代日本は、諸葛亮のマネをしてはいけない」というのが、この本の趣旨。
諸葛亮のどんな部分を、マネしてはいけないか。それが、この本のもっとも面白い指摘です。順に要約します。


諸葛亮の脳内勝利主義

「現実の戦闘では負けたが、思想では、こちらが正統だ
諸葛亮が云いはじめ、北畠親房『神皇正統記』がついだ。

本田氏曰く。海外市場で日本製品が売れないことを隠し、「日本の技術は世界一」と納得する。これは諸葛亮の言い分と同じだから、やめなさいと。
ここまでで、この本の旨みの8割は終わってしまった。笑


孫権が劉備を雇っていた

劉備はヤクザだ。古今東西の高級官僚は、ヤクザをつかって、賊を討伐する。劉備は、黄巾討伐に参加した。県の役人になるが、政治と梁山泊を混同し、町長すら務まらない。
劉備は、派遣社員だ。君主から見ると、戦闘のとき以外、つねに雇っておく必要がない。経費節減になる。ただし派遣社員は、忠誠がない。

劉備は孫権の傭兵となり、周瑜にこき使われた。赤壁の前、諸葛亮は、劉備と孫権を同盟させたのではない。諸葛亮は、孫権に劉備をこう売りこんだ。
「劉備は、アンチ曹操。曹操との戦いで、鉄砲玉に使えますよ」
孫権から見れば、諸葛亮は、腹心・諸葛瑾の弟。天下三分という妄想の持ち主だとは知らない。孫権は、諸葛亮を雇いたい。諸葛亮が劉備を管理するならと、契約してやった。

孫権が劉備を傭兵として使った話は、本田氏の指摘を知る前から、ぼくも考えてました。孔明のワナ、魯粛のサギ。笑
王朝の歴史家が伝説化した、孤高の詐欺師・魯粛伝
本田氏が出版したのが10年6月25日。ぼくが魯粛を公開したのは、10年3月11日。まあ争いは不毛で、きっと多くの人が同じことを言っているでしょう。史料を読み込めば、そんな気がしてくるからね。

劉備が荊州の南郡を占領したのは、周瑜の指示。
孫尚香を嫁がせたのは、劉備を「呉の親族部将」として、正社員雇用するため。忠誠心を引き出すため。

『呉書』の外戚列伝に劉備が入っていることを想像すると、ワクワクする。そういう目次を想像するだけで、なんだか落ち着かない。笑


劉備の蜀攻めは、周瑜の代理。

「孫権が命じて、劉備に行かせた」という話。軍事行動は同じでも、孫権の指示だと捉えなおせば、まるで作戦の意味がかわる。すごい。こういう「妄想」を、ぼくもできるようになりたい。

劉備は蜀で独立した。孫権と手切れした。孫策が領土を得て、袁術から独立したのと同じ。

後半で袁術の話がある。袁術は、孫堅や孫策の勇猛をおそれ、煙たがったという話だ。これには、賛成できなかった。笑

劉備は、主君の孫権を裏切り、蜀皇帝となった。これは黒歴史だから、孔明=陳寿コンビが抹殺した。だから、史料に載らない。

それなら、韋昭『呉書』では、孫堅と孫策が袁術の部下だったことを、抹殺してあったのだろうか。韋昭を参考にした陳寿は、呉を悪くいうため、孫氏が袁術に臣従した話を、復活させたのかな。
袁術-孫策の関係については、この観点で要検討。


五胡十六国は、諸葛亮のせいで始まった

「王でも皇帝でも、名乗ったもの勝ち」
これを発明した思想犯が、諸葛亮。天下を統一できないなら、国を勝手に分割して、勝手に皇帝を名乗っても構わない。中国の歴史に、もっともダメージを与えたのが、諸葛亮だ。
実際の蜀は、亡命政権ですらない。献帝が健在だから。

陳寿は諸葛亮の信者として、加担しまくった

陳寿は「諸葛亮は戦争が下手」と書いた。だが陳寿は、孔明信者である。すぐ次の行から陳寿は、共産主義独裁国家の国営放送アナウンサーみたいに、諸葛亮をほめる。

たしかに。史料をもう1回読んでみたい。

陳寿が「戦争が下手」と書いたのは、戦後まもなくだったから。蜀漢が敗れたことは、西晋の人にとって、記憶に新しい。だから留意つきで、記さざるを得なかった。

陳寿が『三国志』の完成を急いだのは、なぜか。王沈『魏書』が正史に認定される前に、完成させねばならなかったから。正史が『魏書』でなく『三国志』となれば、諸葛亮の思想が後世に伝えられる。
『三国志』が正史に認定されたのは、西晋の敗北による。中原を失いつつあったから、諸葛亮の思想に飛びついた。

三国志というイビツな体裁の本が残ったのは、西晋のおかげ。ぼくは08年ごろ『晋書』に熱中しました。やはり三国志を理解するためには、西晋を知らねばね。


蜀漢に歴史官がいなかったのは、自分にまつわる黒歴史を書き残させないため。蜀の有力武将は、諸葛亮に抹殺された。関羽、張飛、黄忠、馬超、龐統、法正、馬良、劉備。諸葛亮は、夷陵で陸遜に、政敵を焼いてもらった。

蜀将が一気に減るのは、たしかのこのタイミング。しかし、あまりに強引だから、ぼくは賛成できません。
馬超の死に様が分かりにくいことに、諸葛亮の陰謀を設定することは、面白そうだけれど。笑

諸葛亮は、自分の言い分だけを、後世に残したい。『諸葛亮集』を託し、陳寿に書かせた。

後漢の班固は「国史を改竄しています」と逮捕された。文筆は、国家権力だけに許された仕事。そのことを、言っているのでしょう。


次回、関羽について。
本田氏は、蜀について、いちばん妄想が深い。面白い。じっくり味わって、ぼくのページのネタを得たいと思います。