表紙 > 読書録 > 本田透『ろくでなし三国志』から妄想のタネをひろう

02) 独立した荊州王・関羽

本田透『ろくでなし三国志』を読みました。
大阪梅田の、ブックファーストで買ってきました。復習用に抜粋。

関羽は、諸葛亮が除くべきライバル

関羽の見せ場は、諸葛亮が加わる前ばかり。
関羽が荊州に残ったのは、左遷だ。
劉備は孫権の傭兵をやめ、蜀で独立した。孫権は、せめて関羽だけでも手元に残そうと、婚姻を申し出た。関羽が孫権に賛成したら、蜀はやばかった。
関羽は劉備の部下ではない。義兄弟、同格だ。関羽の頭には、学問思想が詰まっているから、諸葛亮のアバターにはなってくれない。諸葛亮にとって関羽は、劉備党のナンバー2を争うライバル。

劉備が漢中王になったとき、関羽は独断専行権をもらった。荊州王として、独立したに等しい。
関羽は、諸葛亮の人事にキレている。魯粛と、理不尽な外交をさせられ、ストレスをためている。益州に攻め込みかねない。

関羽が浮いているのも、こちらに書きました。8ページ目に飛びます。
王朝の歴史家が伝説化した、孤高の詐欺師・魯粛伝

だから諸葛亮は、上庸に孟達と劉封をおいて、関羽を防いだ。

妄想のお手本です。そこに軍がいる。これは歴史書にあること。覆せない。覆してもいいが、代替案がない。駐屯の事実は認めつつ、その意味を、正反対に変えてみる。新しい話ができます。


関羽が北伐した。曹操も諸葛亮もおびえた。もし関羽が天下をとれば、諸葛亮は殺される。
ここで陳寿は、司馬懿に「孫権を動かしましょう」と云わせた。前歴の少ない司馬懿が、ひょっこり出てくるのは、妙だ。麋芳と傅士仁、孟達と劉封が、一丸となって関羽を裏切るのも、できすぎだ。麋芳は、麋竺の弟だ。劉封は、じつは劉備の実子だという可能性はないか。

劉封の件、なるほど。諸葛亮が、劉備の実子を殺したのなら、都合が悪いという話ですね。たしかに、すでに劉禅が生まれているのに、劉封をもらったのは変だったが。
でもたしか、関羽が劉封をもらうことに反対したのでは? ああ、それも諸葛亮=陳寿の捏造だと、本田氏は言いたいのか。笑

陳寿は、関羽が「わけがわからないうちに敵中孤立」した理由を、性格のせいにした。だがじつは、劉備&孔明と、荊州の関羽が、事実上の手切れになっていたせいなのだ。
荊州の諸将は、劉備や孔明の味方だが、関羽の味方ではないから、関羽を裏切った。

関羽が、勝手に動いているのは、みんなが指摘するところ。だが、劉備から専断権をもらっているよね。勝手に動いていい。なにがどうなれば「手切れ」なんだろう。電話がない。独断で動くしかない。
分かりやすい「絶縁状」でもあれば、明白になろうものだが。

関羽は、荊州王だった。関帝になってもおかしくない。

曹操も呂蒙も、関羽に殺された。だが陳寿は、孔明の敵・関羽をけなすために、これを隠した。呉と魏も口裏を合わせた。

さすがに、これはね。まあぼくも、けっこう強引なことを、無責任に云います。本田氏のことを、とやかく云う権利はない。


夷陵の敗戦をつくったのは、諸葛亮

張飛の死も、陳寿は性格のせいにした。しかし、信用できない。
張飛は、孔明と孫権の密約により、殺された。益州は孔明が領有するが、荊州は孫権に返すと、約束していた。
夷陵の戦後、陸遜が益州を攻めなかったのは、密約による。

石兵八陣はフィクションです。ただしフィクションが必要になるくらい、陸遜の行動が不自然ということかな。


諸葛亮に消された、軍師と武将

龐統は、周瑜の死体を運んだ。周瑜の臣だった。その後、益州攻めの軍師になった。龐統が周瑜を暗殺し、その功績を評価して、劉備が軍師中郎将に用いた。出世が早いのは、暗殺のおかげ。

思いついた。龐統は、周瑜を暗殺などしない。益州を攻めるとき、呉の軍師&目付けとして、周瑜の遺志をついで出陣しているとか。龐統って、蜀臣として、ほとんど何もしてないし。呉臣としての功績を消し、蜀書につっこまれた? 若死にしたから、矛盾が見えにくい。
諸葛亮や龐統の「軍師中郎将」というポストは、劉備でなく、孫権が任じたものだとしたら、どうかな。呉の同時期の、人事配置はどんなだっけ。いかん。テキトーなことを書いてしまった。笑

徐庶は、孔明に消されることを恐れて、逃げた。

魏延は長安を奇襲し、孔明から手柄を奪いそうになった。このせいで、孔明から疎まれた。

魏延が疎まれるのは、いつからか。荊州で会った直後から、諸葛亮と仲が悪かったとするのは、物語だ。初めての対立が、北伐のときでは?

馬謖は、孔明の弟子。馬謖が勝てば、孔明の手柄。馬謖が負ければ、馬謖の責任。諸葛亮は、損はしない。
馬謖は向朗伝で、逃げた。こちらが真実。史書にある「馬謖が孔明に書いた手紙」は、陳寿の創作。たかが9歳上の孔明を、馬謖が、父だと呼ぶのが不自然。

五丈原の木造は、本人だった

諸葛亮は、生きたまま棺に入った。司馬懿を脅かしたのは、生きた諸葛亮・本人だ。だが棺ごと、魏延に斬られた。馬岱は、あえて諸葛亮を見殺しにした。ダサいから、陳寿が記さなかった。

あ、そう。としか感想を述べられません。史料的根拠なし。笑


以下、第2章「魏」にうつります。

曹操はチビでスキッ歯で猫ヒゲで小心者

『蒼天航路』の荀彧が、曹操のルックスに近い。横山光輝の荀彧も、ブサイクな小男だ。

横山光輝を読んだことがない(5ページで飽きる)荀彧、分かりません。

曹操は、突然に自閉して、涙のポエマーに化ける。もうダメだ、逃げようと、すぐに心が折れるダメ君主。品がない。

『三国志』荀彧伝を読んだとき、曹操はこんな感じだった。

しかし孔明=陳寿からしたら、悪役は強くなくてはいけない。

本田氏は、曹丕をもっとも嫌う

曹丕は、評論家気質。

ビジネスでも、嫌われるパタンです。頭か手を動かせよ、と。

「文章は-」は、戦さに弱く、創作もいまいちな自分への居直り。于禁、夏侯尚、人肉を食べた王忠へのいじめ。呉蜀が残っているのに、皇帝を名乗ってしまった。中華を分裂させた責任がある。
北方謙三は「ドS」だと、清清しく説明しきった。

曹丕には、ろくな逸話がない。西晋からの批判、陳寿からの批判を、一身に受ける立場です。けっこう割り引くべきなのか?


「理想の司馬懿」は、徳川家康

司馬懿は、諸葛亮が弱すぎても、曹爽が弱すぎても、困る。出しゃばらず、でも払い箱にもならず。バランスを取った。五丈原は、諸葛亮は真剣で、司馬懿だけが八百長。

著者は、諸葛亮の考察が面白いのだが、魏呉は「ふつー」です。司馬懿についても、新しい話がなくて。以下、マキでいきます。

このごろ中国で、徳川家康がブームだ。同じ陰険な狸ジジイでも、見事に250年の太平をつくった徳川家康は、「理想の司馬懿」だ。

魏、うすいなあ。つぎ最終回、呉です。