表紙 > 人物伝 > 王朝の歴史家が伝説化した、孤高の詐欺師・魯粛伝

08) なぜ荊州問題が起きたか

孫権を欺き、曹操と戦わせたり、劉備を養わせたり。
そんな魯粛に、年貢の納めどきがきます。軍神との単刀会です。

劉備が、益州に逃亡した

劉備が、益州に入った。
この劉備の行動には、
 1.劉備が、新しく劉璋の傭兵となり、
 2.付き合うのが面倒になった、孫権の元から脱出した
という2つの意味があったと思います。

かつて劉備は、公孫瓉の下にいづらくなったとき、陶謙からの援軍要請に乗じて、徐州に移った。袁紹の下にいづらくなったとき、汝南の攻略に行くと言って、逃げ出した。劉表が死に、襄陽にいづらくなったら、南方へ逃げた。いくら諸葛亮が、襄陽を占領する好機だと行っても、攻城しなかった。魯粛に拾われて、孫権へ逃げた。
いま劉備は、孫権の影響下に、いづらくなっただけだ。いつものことである。
人間は年齢を経ると、学んで賢くなる。でも、根本は同じだ。基本的に同じことをくり返すだけだと思う。そのやり方が、上手くなるだけだ。
「荊州にいたら、身がもたねえよ!」
という、劉備の嗅覚が、彼を益州に駆り立てたのだと思う。残された関羽は、たまったものではないが。

劉備は諸葛亮の戦略を、採用したとされる。
逃げるのをやめ、領土を持ち続けるという方針を選んだように見えた。だがじつは、逃げ続けるというポリシーを変えていない。荊州を陥落させたのは、劉備だ。
荊州は、ネズミが逃げ出した船のようなものだ。

関羽に残された、ムチャなお仕事

荊州は、関羽と魯粛が境界を接した。
「しばしば狐疑を生じ、強く紛錯を場し」

2つ目の文節が、日本語になっていませんが・・・対句で読みたい、、

というわけで、ピリピリしている。
なぜ緊迫するかと言えば、いちども、境界の取り決めをしたことがないからだ。明確な国境があり、そのラインだけを守るなら、しんどいなりにも、関羽がやるべき仕事が明確である。
しかし、劉備の荊州赴任は、もともと魯粛がわざと曖昧に結んだ契約に基づくものだ。「貸与」があったのか、守備を「あてがった」だけのものか、分からない。真に、誰にも分からない。

契約者のはずの劉備が、さっさと益州に逃げてしまって、残された関羽は、どうしていいか分からない。守ると言ったって、何を?どこを?
上司の指示で仕事していたはずが、その上司が、
「まあ、あとは、とにかく宜しく頼む」
と言って、無責任に出かけてしまったのだ。最低だ。

孫権が、荊州を攻め始めた理由

劉備が、益州を定めた。孫権は劉備に対し、
「長沙、零陵、桂陽を求めた」
と魯粛伝にある。「返せと言った」のではなくて、ただ「求めた」のだ。いちおうこだわっておく。

孫権は、なぜ「求めた」か。
劉備が益州という寝ぐらを手に入れたから、孫権が生活保護を打ち切ったのではない。孫権は、お人よしではない。
劉備が、孫権領の荊州に軍を置いてよい理由は、孫権の傭兵として、曹操からの守備を担当するからだ。魯粛が取り付けてきた契約は、孫権から見れば、そういう内容だった。

それなのに、劉備は益州に行き、孫権のために働く様子がない。当然、兵を引けと言うだろう。
例えば、会社を辞めるときは、会社から支給された携帯電話を、返さなければならない。退職したのに、勝手に自分のものにして、使い続けてはいけない。
会社は、ぼくを好きだから、ぼくを憐れんだから、携帯電話を持たせたのではない。仕事に使用させるためだけに、持たせていただけだ。

下らない例え話で、すみません。


劉備は、公安まで降ってきたが、牽制を加えるのみ。
孫権と劉備が開戦したら、曹操の思う壺だ。だが大丈夫。劉備は、面倒な戦さはしないんだ。ポーズだけだ。面倒に巻き込まれて死ぬのは、関羽だけで充分だ。・・・ひどいな、ぼくの考える劉備は。

ついに単刀会、魯粛のウソ

魯粛は関羽を呼びつけた。魯粛曰く、
「関羽よ。劉備さんが路頭に迷っていたから、孫権さんは、荊州を貸してあげた。すでに劉備さんは益州を得た。孫権さんが譲歩して、返すのは3郡だけでいいと言ったのに、それすら返そうとしない」
これを読むと、魯粛がお人よしに見えてくる。だって切々と、好意を裏切られて、いかに魯粛が悲しがっているか、アピールしているから。

・・・さて。
ぼくが今まで書いてきた魯粛の発想と、魯粛の台詞が矛盾します。ぼくは、魯粛は投資の対象&傭兵として、劉備を使っただけと言った。
しかし、矛盾していいんです。
なぜなら魯粛は、関羽に対して、ウソを付いているから。
思慮の浅いぼくですら、会社の上司に対しては「臨機応変な言い換え」をやります。まして魯粛ほどの大詐欺師ならば、心にもないことを、平気で言うでしょう。
関羽をだますには、恩義に訴えるのがよい。利益にこだわる人、博愛な人、名目を立てる人・・・云々。相手のキャラに合わせたトークは、社会人の基本なんだ。

魯粛がペラペラとウソを述べているとき、邪魔が入った。
「土地は、徳のある人に所属する。なぜ同じ人が、領有し続けていいものか!
この関羽側のギャラリーの台詞が面白い。だって自ら、荊州が孫権の領土だと、認めてしまっているから。劉備の人徳を称えているようで、劉備が横取りしようとしていることを、暴露している。

この文脈で、領有し「続ける」人とは、孫権だ。

魯粛は、厳しい言葉と顔つきで、邪魔者を叱り付けた。
冷静になれば、いくらでも反論できるのに。魯粛は、よほど緊張していたのだろう。
演技以外の理由を考えるなら、なにか。
ヒゲの武神と、差し向かいだからだ。いつ殺されてもおかしくない。バカは何をするか分からないから。バカは怖いのだ。

関羽は、外交の後先を考えず、孫権を侮辱する人です。魯粛を斬っても不思議ではない。

魯粛がなぜこんな危険を冒しているかと言えば、劉備の投資価値を見誤った、自分の尻拭いである。劉備をサービス残業させて使い潰すつもりが、孫権の脅威になってしまった。
劉備の嗅覚に基づく「逃亡」まで、魯粛は読めなかった。つづく。