表紙 > 人物伝 > 王朝の歴史家が伝説化した、孤高の詐欺師・魯粛伝

09) 単刀会=傭兵契約の更新

魯粛伝のうち、単刀会を読んでいます。

関羽のやるせなさ、関羽の寝返り

関羽のギャラリーから、魯粛に野次が飛んだ。
「土地は、徳のある人に所属するんだ(前掲)」
関羽は、刀を掴んで立ち上がり、後ろに向かって言った。
「国家の話をしているんだ。お前の知ったことか!」
関羽は、部下を去らせた。

関羽が刀を執ったとき、魯粛はさぞビビっただろう。
バカなヒゲの関羽の思考がショートして、ギャラリーに同調し、
「おのれ魯粛め!」スパッ!とやったかも知れない。


驚いたことに、孤立無援の場で、魯粛の唯一の味方は、関羽である。魯粛の、泣き落とし作戦にハマってしまったらしい。
単細胞だ。
モノを売るとき、いちばんラクなのは、お客同士が説得を始めるときだ。例えばお客様の企業から、部下と上司が商談に出ている。上司が先に商品のメリットに納得したらしい。部下は、疑問が消えていない。

部下が留保している疑問が、じつは急所だったりする。

すると、上司が部下に、商品のメリットを説明し始める。営業マンは、ただお客様の上司が熱弁を振るうのを、聞いていればよい。みごとに成約するでしょう。
ウソみたいだが、けっこうある。家族に営業をかけると、お母さんが、お父さんに対して、勝手に売り込みを始めてくれるパタンもある。

いま関羽は、立ち位置がおかしい。
なぜ関羽が魯粛に好意的か。きっと関羽は、劉備から与えられた任務に、納得していないんだ。
よく分からない指示で、責任が重そうな仕事を振られた。必要な情報が、引き継がれていない。仕事に着手する以前に、自分が領土交渉を担当することに、不満が残っている。
関羽は、自分勝手な上司・劉備よりも、目の前にいて話の分かる魯粛のほうに、共感を覚える。

単刀会『呉書』バージョン

裴注『呉書』は、台詞が違う。
関羽は、
「劉備は赤壁でがんばったんだ。少しも土地が手に入らないなんて、あまりに理不尽ではありませんか」
と言った。
この論法でいくと、劉備に土地を与えるのは孫権である。つまり孫権が上である。また、ひとかどの大人ならば、努力したのに報われないことに、不服を訴えてはいけない。自分のせいだ。結果が全てなのだ。

魯粛は言った。
「劉備は、荊州の土地や士人の力を愛さず、使いこなすことが出来ませんでした。荊州から追い出されることは、当然の結果でしょう」
いかにも正しい。ぼくもそう思う。
ちなみに、ちくまは誤訳をしている。孫権が劉備を愛して、土地や人士を貸してあげたのだ、と書いてある。

この部分は、けっこう自信を持って、ちくまを否定できる。訳者は、お人よしの魯粛というイメージに、縛られています。主語も目的語も、どこから引っ張ってきたのか、ちくまが分からない。


さらに魯粛が言う。
「関羽さんは、大切な任務に就いているのに、道理が分からないようだ。頭のほうは、大丈夫か」
魯粛は、まだまだ言う!
劉備の兵は、老弱だ。老弱な兵を率いて、孫権さんと戦って、勝てると思っているのかい?」
ちくま訳は、ここでも意味が取りにくい。魯粛が、
「不正の軍には力が涌かぬという」
という、よく分からない法則ようなものを語りだす。原文を読むと、違います。もっと直接的に、脅しを駆けているんだ。
例えば、ウソを言った相手を叱るとき、
「ウソをつくな!」
と凄めば、迫力がある。だが、
「虚言を致す人は、天命に従って罰せられるとやら」
なんて法則を語られても、怖くない。反省をする気が起きない。

赤壁の前に、魯粛は孫権を脅した。それと同じことを、いま関羽に対してやっています。単刀直入に徴発するのが、魯粛のやり方。

そう言えば、魯粛が孫権に「曹操に降服してみなさい。孫権さんは、食いはぐれるだろうよ」と脅した話を、ぼくは引用し忘れた。

単刀会のゴール

交渉には、理想の姿と、現実の落としどころがある。
事前にビジョンなくして会見に行くなら、何も得られないだろう。魯粛にとって、関羽との会見は、何が狙いだったか。
 理想:益州の劉備は、孫権の傭兵&先鋒に過ぎぬと、認めさせる
 現実:劉備の代わりに、関羽に荊州を守らせ、曹操を防ぐ

劉備が逃げたので、孫権は一方的に契約を破棄された。仕方ないので、前頁に書いたように、魯粛が自ら危険を冒して、契約更新に来ている。


では、関羽のビジョンは?
 理想:劉備からの引継ぎがテキトーだったので、よく分からん
 現実:荊州の土地を、1平米でも広く割譲する

ぼくが設定したビジョンのポイントは、魯粛は土地の話をしていないということです。荊州はもともと孫権の土地だから、話の俎上にすら乗せない。むしろ話題にしたら、負けである。
魯粛は、傭兵としての契約内容と、その報酬について話しただけだ。いわゆる「国境線」は、領土の割譲の話ではない。報酬の払い方について、調整したに過ぎない。
魯粛は、思っただろう。
「益州と荊州の2方面で、劉備と関羽には、曹操の脅威を引き受けてもらう。孫権さんのためにね。ご苦労だから劉備は、荊州のうち、湘水より西の税収を、一定期間は独り占めしてもいいですよ」

魯粛と関羽の思惑が、もしぼくの想定したとおりだったら、双方とも納得した結果を得られたことになる。
魯粛は、関羽と緊迫しても、一貫して穏便に収めたという。当たり前だ。部下を手懐けられない管理職なんて、経営に必要ない。管理職たる者、部下の稚拙なワガママでも、広い心でなだめてやらねばならん。

次回、最終回。魯粛の死と、王朝での存在意義。