表紙 > 人物伝 > 王朝の歴史家が伝説化した、孤高の詐欺師・魯粛伝

05) 赤壁は、魯粛の詐欺

魯粛が孫権をだまし、赤壁を始めます。

劉備を味方にした理由

魯粛は、劉表の弔問に行くとか言い、荊州へ旅立った。孫権としては、公職にない食客がどこに行っても、どうでもいい。とりあえず偵察してきてくれるなら、ラッキーだと思ったので、行かせた。
魯粛は出発前、荊州の情勢をいろいろ孫権に喋っている。だが、孫権は魯粛の発言など、聞いていない。

魯粛その人のファンなら、細かく分析したい内容でしょう。でもぼくは、誰も聞いていない話に、あまり興味がない (笑)


魯粛は単独で交渉して、劉備と同盟した。
劉備と同盟した理由は、孫権を曹操と敵対させるためだ。劉備は曹操の敵だ。劉備と同盟したら、孫権は、曹操と戦わざるを得なくなる。

魯粛がなぜ、後漢や曹操を滅ぼしたいかは、分からない。政治を荒廃させた恨みか、徐州で殺戮した曹操への恨みか。
父の仇、という私怨説とか・・・それはないか (笑)
「オレの発想した戦略で、天下を動かしたい」という、興味本位で、ここまで頑張れないと思います。

曹操を討つため、魯粛は、孫権を利用した。そんな風に表現してもウソじゃないくらい、強引に魯粛は開戦をさせたと思う。

魯粛は荊州に入った。魯粛は、胡散臭い。
「私は、諸葛子瑜の友人です」
と言って、諸葛亮の信頼を勝ち取っている。
諸葛瑾とほんとうに仲が良ければ、弟の諸葛亮にも、ウワサが聞こえてきそうだ。いちいち魯粛が、こんな自己紹介をしたこと自体が、魯粛と諸葛瑾との、交流の薄さを、自白しているようだ。

諸葛瑾と亮は、あんまり連絡を取っていなかったらしいが。

よほどムリな交渉をするときほど、
「私は、誰々と知り合いでね」
と、第三者をチラつかせる。法律家や警察官の役が、オレオレ詐欺の電話に登場するように。魯粛は、よくある詐欺である。

いま諸葛亮は、劉備のために戦略を立てている。劉備が荊州を取れず、敗走した。さっそく前途が暗い。
魯粛が兄の友人かどうかは別として、魯粛の利用価値を認めたから、諸葛亮は打ち解けたフリをしたのかも。
同じ徐州人として、話題は欠かなかっただろうしね。

『資治通鑑』を読むと顕著だが、赤壁は、魯粛と諸葛亮が、2人で走り回って、始めてしまった戦いです。劉備も孫権も、蚊帳の外です。

初めての官職は、当てつけ

孫権は、魯粛が劉備と結んでしまったので、仕方なく開戦した。戦うからには、士気を高める工夫を怠らない。孫権は、机を切った。ハンパなことをやっては、無様に滅びるのみだから。
ただし孫権は、戦闘を周瑜に丸投げして、後方で動かない。
そもそも、物事を決めるプロセスに加われなかった人は、つねにモチベーションが低いものなのです。孫権も例外ではない。

周瑜の思惑については、後日また考えます。


魯粛は、初めて「賛軍校尉」という官位を得た。孫権が魯粛を認めたから、任命されたのではない。仕方なくだ。
「こら魯粛。当事者として、ちゃんと責任を取りやがれ」
というつもりで、任命したんだと思う。
賛軍校尉とは、前にも後にも出てこない官名らしい。

『呉書見聞』より。

孫権がヤッツケで創作した、内実のないポストだろう。お前も一蓮托生だ、という当てつけでしかない。ぼくは、そう読む。

赤壁に勝ったあとの驕慢

赤壁の戦いで、勝ちました。
魯粛は、軍事的には何もしてないけど (笑)、とにかく勝ちました。
孫権曰く、
「魯粛よ。私が鞍を支えて、キミの下馬をエスコートしたら、キミの功績に報いるのに充分だろうか」
魯粛が言うには、
「不充分です。せいぜい天下を統一した後、迎えに来て下さい」

魯粛の驕慢ぶりを伝えるエピソードですが、ぼくは魯粛の気持ちが分かります。
だって孫権は、曹操と戦うつもりがなかった。開戦に導いたあとも、孫権はイヤイヤだった。それなのに、勝った途端に孫権がすり寄ってきて、いちいち恩を着せてくるんだ。ウザいよ。
魯粛の本音は、
「私の手柄を、横取りしないで下さい。孫権さんは、自らちゃんと苦労をして、天下を取りなさい」
孫権は、手をなでて、笑うしかなかった・・・。陳寿は「歓笑」したと書いたから、孫権が魯粛の野心を頼もしく思ったと読めなくはない。だが違うだろう。アハハ・・・と笑うしかなかったんだ。孫権が曹操を迎えるつもりだったのは、万人が知っていることだから。

次回、孫権と劉備の関係について、魯粛が詐欺します。