袁紹を挙兵させ、董卓軍を統べた鄭泰
吉川版で、鄭泰伝やります。ただ抄訳して、読みなおしやすくした。
上表文のたぐいをはぶき、、関連する事件と人物にしぼった。どうぞ。
訓読された文書を見て、口語に要約する。それほど意味のある活動ではない。では、なぜやっているか。「読んだ」という行為の痕跡を、ホームページに叩きつけているだけ。あとで読み直すとき、自分用のガイドとする。
何進が董卓を召し、荀攸にグチる
鄭太字公業,河南開封人,司農眾之曾孫也。少有少略。靈帝末,知天下將亂,陰交結豪傑。家富於財,有田四百頃,而食常不足,名聞山東。
鄭泰は、あざなを公業という。河南の開封の人だ。司農の鄭衆の曾孫だ。才略がある。霊帝末、天下が乱れる。ひそかに豪傑と交結する。家財と田地はおおいが、つねに食糧がない。山東に名が聞こえた。
財産を、豪傑に、くばっちゃったからだ。八廚といい、魯粛といい、ほどこしが流行っている。
初,舉孝廉,三府辟,公車征,皆不就。及大將軍何進輔政,徵用名士,以公業為尚書待郎,遷待禦史。進將誅閹官,欲召並州牧董卓為助。公業謂進曰:「董卓強忍寡義,志欲無CA75。若借之朝政,授以大事。將恣凶欲,必危朝廷。明公以親德之重,據阿衡之權,秉意獨斷,誅除有罪,誠不宜假卓以為資援也。且事留變生,殷鑒不遠。」又為陳時務之所急數事。進不能用,乃棄官去。謂潁川人旬攸曰:「何公未易輔也。」
はじめ、孝廉にあげられ、三公府に辟されたが、就かず。大將軍の何進は、鄭泰を尚書待郎、待禦史とした。何進は、宦官を誅すため、董卓を召す。鄭泰は何進に言った。「董卓は強忍で、義にすくない。過信は外戚なんだから、自分で宦官を誅せ。董卓を召すな」と。
董卓を召すことに賛成したのは、袁紹だけ?みんな、反対してる。
何進は、もちいず。鄭泰は、官位を棄てた。潁川の荀攸に言った。「何進の輔政は、うまくいかない」と。
董卓をだまし、袁術の揚州刺史となる
進尋見害,卓果作亂。公業等與侍中伍瓊、卓長史何顒共說卓,以袁紹為勃海太守,以發山東之謀。及義兵起,卓乃會公卿議,大發卒討之,群僚莫敢忤旨。公業恐其眾多益橫,凶強難制,獨曰:「夫政在德,不在眾也。」卓不悅,曰:「如卿此言,兵為無用邪?」公業懼,乃詭詞更對曰:
何進が殺された。董卓が乱す。鄭泰は、侍中の伍瓊、董卓の長史・何顒とともに、董卓に説いた。「袁紹を渤海太守とせよ」と。鄭泰は、袁紹を太守にすることで、山東の謀議をスタートさせた。
袁紹が太守となるために、鄭泰が協力した。知らなかった!
董卓は、大兵を発し、山東を討ちたい。みな反対できない。鄭泰は、董卓の兵がおおく、横暴になることを恐れた。ひとり鄭泰だけ、董卓に反対した。「政治は、徳でやるものだ。兵でやるのでない」と。董卓は悦ばない。董卓は、鄭泰に聞いた。「では、兵は無用なのか」と。鄭泰はおそれ、ごまかして言った。
非謂無用,以為山東不足加大兵耳。如有不信,試為明公略陳其要。今山東合謀,州郡連結,人庶相動,非不強盛,然光武以來,中國無警,百姓優逸,忘戰日久。仲尼有言:「不教人戰,是謂棄之。」其眾雖多,不能為害。一也。明公出自西洲,少為國將,閑習軍事,數踐戰場,名振當世,人懷懾服。二也。袁本初公卿子弟,生處京師。張孟卓東平長者,坐不窺堂。孔公緒清談高論,噓枯吹生。並無軍旅之才,執銳之幹,臨鋒決敵,非公之儔。三也。山東之士,素乏精悍。未有勇賁之勇,慶忌之捷,聊城之守,良、平之謀,可任以偏師,責以成功。四也。就有其人,而尊卑無序,王爵不如,若恃眾怙力,將各棋峙,以觀成敗,不肯同心共膽,與齊進退。五也。關西諸郡,頗習兵事,自頃以來,數與羌戰,婦女猶戴戟操矛,挾弓負矢,況其壯勇之士,以當妄戰之人乎!其勝可必。六也,且天下強勇,百姓所畏者,有並、涼之人,及匈奴、屠各、湟中義從、西羌八種,而明公擁之,以為爪牙,譬驅虎兕以赴犬羊。七也。又明公將帥,皆中表腹心,周旅日久,恩信淳著,忠誠可任,智謀可恃。以膠固之眾,當解合之勢,猶以烈風掃彼枯葉。八也。夫戰有三亡,以亂攻理者亡,以邪攻正者亡,以逆攻順者亡。今明公秉國平正,討滅宦豎,忠義克立。以此三德,待彼三亡,奉辭伐罪,誰敢禦之!九也。東州鄭玄學該古今,北海邴原清高直亮,皆儒生所仰,群士楷式。彼諸將若詢其計畫,足知強弱。且燕、趙、齊、梁非不盛也,終滅於泰;吳、楚七國非不眾也,卒敗滎陽。況今德政赫赫,股肱惟衣,彼豈贊成其謀,造亂長寇哉?其不然。十也,若其所陳少有可采,無事徵兵以驚天下,使患役之民相聚為非,棄德恃眾,自虧威重。
「山東の平定には、兵を用いるまでもない。光武帝より以後、山東の百姓は戦闘を忘れた。董卓だけ、西方で鍛えた。袁紹は洛陽そだち、張邈は東平の長者として、室内で見てるだけ。孔伷は、枯木を咲かす清談をするだけ。山東にいる鄭玄や邴原は、山東が弱いことを、袁紹らに教えるだろう」と。
卓乃悅,以公業為將軍,使統諸軍討擊關東。或說卓曰:「鄭公業智略過人,而結謀外寇,今資之士馬,就其黨與,竊為明公懼之。」卓乃收還其兵,留拜議郎。
卓既遷都長安,天下饑亂,士大夫多不得其命。而公業家有餘資,日引賓客高會倡樂,所贍救者甚眾。乃與何顒、荀攸共謀殺卓。事泄,顒等被執,公業脫身自武關走,東歸袁術。術上以為楊州刺。未至官,道卒,年四十一。
董卓は悦び、鄭泰を将軍とした。関東を討伐する諸軍を、鄭泰に統率させた。ある人が董卓に言った。「鄭泰に軍を兵士と馬を与えたら、董卓の脅威になる」と。董卓は、鄭泰から諸軍をとりあげ、議郎にとどめる。
鄭泰が、関西の総大将。おもしろい展開だった。袁紹と結んだはず。鄭泰は、混乱の時代にあって、董卓より先に出て、ウラで糸を引いていた感じ。いろいろ妄想すると、楽しい。そもそも、財産があるから、謀略が成就しやすい。笑
董卓は長安にゆく。天下は飢えた。士大夫は、寿命を生きられない。鄭泰は、家に資産があまる。賓客をまねき、士大夫を救った。何顒、荀攸とともに、董卓を謀殺したい。もれた。何顒はとらわれ、鄭泰はにげた。袁術をたよる。袁術は、鄭泰を揚州刺史にしたい。揚州刺史となる前、道中で死んだ。41歳だった。
袁術が皇帝即位する前に死んだ人は、袁術を悪く言わない。むしろ、袁術を頼りにしたと、史料に残る。っていうか、残さざるをえない。「死んだら、罪をつぐなえない」のと同じ。
つぎは、孔融伝です。つづく。