くわしい宦官全滅のいきさつ
吉川版で、竇武伝やります。ただ抄訳して、読みなおしやすくした。
上表文のたぐいをはぶき、、関連する事件と人物にしぼった。どうぞ。
潁川太守、河南尹、大将軍となる
何進は、あざなを遂高という。南陽の宛県の人。異母妹が、掖庭にはいって貴人となる。霊帝に愛された。何進は、郎中、虎賁中郎將、潁川太守となる。光和三年(180)、妹が皇后となる。何進は、侍中、將作大匠、河南尹となる。
四年,滎陽賊數千人群起,攻燒郡縣,殺中牟縣令,詔使進弟河南尹苗出擊之。苗攻破群賊,平定而還。詔遣使者迎于成皋,拜苗為車騎將軍,封濟陽侯。
中平元年(184)、張角が起兵。何進は大将軍となる。左右羽林の五營にいる兵士をひきいて、都亭にいる。器械を修理し、京師をまもる。張角の別党・馬元義は、洛陽で起ちたい。何進は、馬元義をあばく。慎(汝南)侯になる。
中平四年(187)、滎陽の賊が、郡県をやき、中牟の県令をころす。何進の弟・河南尹する何苗を、出撃させた。使者は、成皋で何苗をむかえた。何苗は、車騎将軍となり、済陽侯に封ぜらる。
中平五年(188)、望気する人はいう。「京師で大兵があり、両宮で流血する」と。大將軍司馬の許涼、假司馬の伍宕が勧めた。「天子の兵をあつめて、四方を圧倒しよう」と。何進はこれを、霊帝に薦めた。平楽観で、閲兵した。
霊帝は、無上将軍を自称した。西園八校尉をおく。
小黃門の蹇碩=上軍校尉、虎賁中郎將の袁紹=中軍校尉、
屯騎都尉の鮑鴻=下軍校尉、議郎の曹操=典軍校尉、
趙融=助軍校尉、淳于瓊=佐軍校尉、ほかに左右校尉。
蹇碩は霊帝に信任された。蹇碩は、司隷校尉より以下、みなを督した。何進は大将軍だが、蹇碩の指揮のもとに入った。
蹇碩は、何進を畏れ忌む。常侍たちとともに、霊帝に言った。「何進を西にゆかせ、辺章と韓遂を撃たせよ」と。霊帝はみとめた。
これを知った何進は、袁紹に徐州、兗州から、兵を集めさせた。「袁紹がもどってから、出撃する」と言い、出撃を延期した。
在外三公の張温が、辺章と韓遂を撃ちにゆく。董卓や孫堅、陶謙がしたがう。いまの何進と、前後関係が、どうなっているのだろう。ともかく、三公クラスが出撃するほど、辺章らは強かった。後漢にとって脅威だった。
劉弁を即位させ、蹇碩を殺す
六年,帝疾篤,屬協於蹇碩。碩既受遣詔,且素輕忌于進兄弟,及帝崩,碩時在內,欲先誅進而立協。及進從外入,碩司馬潘隱與進早舊。迎而目之。進驚,馳從B367道歸營,引兵入屯百郡邸,因稱疾不入。碩謀不行,皇子辯乃即位,何太后臨朝,進與太傅袁隗輔政,錄尚書事。
はじめ、何皇后は、劉辯を生む。王貴人は、劉協を生む。郡臣は、劉協がいい。だが何皇后、何進が重んじられ、劉辯のまま。
中平六年(189)、霊帝は重病。蹇碩に、劉協をあずける。蹇碩は、霊帝の遺詔をもらう。蹇碩は、何進をころし、劉協をたてたい。蹇碩の司馬・潘隠は、何進に目配せした。何進はにげて、こもる。
劉辯が即位。何太后が臨朝。何進は、太傅の袁隗とともに、尚書を録す。
天下は宦官をにくむ。何進は、蹇碩をにくむ。何進は、蹇碩を殺したい。親客の張津は、何進に言った。「宦官は、長楽太后(霊帝の母)につうじる。宦官を除け」と。
また袁氏は、累世に寵貴だ。海內に歸される。袁紹は、士人や豪傑にかこまれる。従弟の虎賁中郎将・袁術は、気侠をたっとぶ。何進は、袁紹と袁術を、厚遇する。逄紀、何顒、荀攸らを、腹心とする。
蹇碩は、不安になる。中常侍の趙忠に、文書をあたえた。「何進は、党人とともに、宦官を滅ぼす気だ。私は、禁兵を動かせる。何進を召しだし、何進を殺そう」と。中常侍の郭勝は、何進と同郡だ。何太后は、郭勝をかわいがる。郭勝が、蹇碩の作戦を、何進にバラす。何進は蹇碩をころし、蹇碩の兵をうばう。
袁紹が太后をおどし、宦官を殺したい
ふたたび袁紹は、何進に説いた。「竇武は、作戦が漏れて、宦官に殺された。禁兵は、宦官をおそれた。竇武の失敗を、くり返すな。いま何進は、禁兵を動かせる。軽々しく、何進が宮省に出入りしなければ、宦官を殺せる」と。何進は、霊帝の葬儀に、参列しない。何進は、何太后に「宦官を殺す」と言った。何太后は、許さない。「宦官は、後漢の制度だ」と。何進は、太后に逆らえない。何進は「宦官のうち、放縦なものだけ、殺そう」と言った。
袁紹は、宦官を全滅させたい。何太后の母・舞陽君と、何苗は、宦官からワイロをもらう。舞陽君と何苗は、何進に言う。「宦官を殺すな」と。何進は、宦官に手出しできない。
袁紹は、四方から猛将や豪傑をあつめ、洛陽にむかわせ、何太后を脅したい。主簿の陳琳は、袁紹を諌めた。陳琳の言葉は、はぶく。袁紹は、きかず。
ついに、前将軍の董卓を、関中の上林苑におく。府掾する泰山の王匡は、東から強弩をもってくる。東郡太守の橋瑁は、成皋にくる。武猛都尉の丁原は、孟津を焼く。洛陽は、火に照らされる。何太后は、ゆるさず。
何苗は、何進に言った。「南陽のいなかから、宦官のおかげで出てきた。宦官と和そう」と。何進はまよう。袁紹は、何進をおどす。「はやく決断を」と。何進は、袁紹を司隷校尉、仮節とする。従事中郎の王允を、河南尹とする。董卓を、平楽観にうつす。何太后はおそれて、帰宅した。
宦官は、何進にあやまる。何進は言った。「董卓がくる。宦官らは、はやく郡国にゆけ」と。袁紹は何進に、「宦官の殺害を命じろ」と、せまる。何進は許さない。袁紹は、文書を州郡にまわす。何進の命令だといつわり、州郡にいる、宦官の親属を捕えさせた。
何進の作戦はもれた。宦官は、日に日にビビる。張譲の子の嫁は、何太后のめいだ。張譲は、何太后のめいに言った。「いちど何太后に会えれば、私は死んでよい」と。何太后のめいは、何太后につげた。何太后は、宦官らを身近におく。
何進が、張譲や段珪に殺される
189年6月、何進は長楽宮にはいり、太后に言った。宦官をころし、士人の郎官に役所をまもらせたい。宦官は言った。「何進は、霊帝の葬儀をさぼりながら、長楽宮に入った。竇武とおなじ計画か」と。張譲は、ひそかに状況を知る。常侍の段珪、畢嵐ら数十人と、かくれる。張譲は、何太后の詔だといつわり、何進をよぶ。張譲は、何進をなじる。「天下が乱れたのは、宦官のせいでない。何太后が王貴人がころしたとき、何太后を弁護して、霊帝をなだめたのは、宦官だ。何進は、宦官が濁流というが、公卿より以下で、いったい誰が清いのか」と。
尚方監(宦官の官)する渠穆は、剣をぬいて、何進を嘉德殿前で斬った。張譲と段珪らは、詔をつくる。もと太尉の樊陵を、司隸校尉とする。少府の許相を、河南尹とする。尚書は、詔がニセモノだと疑う。尚書は言った。「大将軍の何進に、確かめたい」と。宦官は、何進のクビを投げつけた。「何進は、すでに誅した」と。
袁紹が何進を仇討ち、董卓が何氏を滅ぼす
何進の部曲将は、呉匡や張璋だ。何進が殺されたと聞き、宮に入りたい。門が開かない。袁術は、王匡と門を攻めた。宦官がふさぐ。日が暮れた。袁術は、南宮の九龍門、東西宮をやく。張譲を、あぶりだす。張譲は、何太后、劉協をつれ、複道で北宮ににげる。尚書の盧植は、ほこを握り、複道の段珪をとがめた。段珪は、何太后をはなす。何太后は、宦官から解放された。
袁紹と袁隗は、詔を偽造した。樊陵、許相を召して、斬った。何苗、袁紹は、朱雀門のもとにいる。趙忠を斬る。呉匡は、何苗に怨みがあり、何苗と心をあわせない。呉匡は、何苗が宦官と通じると疑う。
呉匡は言った。「何進を殺したのは、何苗だ。仇討せよ」と。呉匡は、董卓の弟・奉車都尉する董旻とともに、何苗を斬った。袁紹は、北宮の門を攻めた。宦官を、みな殺し。ひげのない人は、身体をさらす。2千余人が死ぬ。
董卓遂廢帝,又迫殺太后,殺舞陽君,何氏遂亡,而漢室亦自此敗亂。
張譲、段珪は、追いつめられる。穀門を出て、小平津にくる。公卿は、平常観にくる。尚書の盧植だけが、黄河で追いつく。王允は、河南中部掾の閔貢をやり、盧植をおう。
閔貢は、剣で数人を斬る。宦官は、黄河に飛びこむ。明日、公卿や百官は、劉辯をつれて宮にもどる。閔貢を、郎中、都亭侯とする。董卓は、劉辯を廃した。何太后、舞陽君をころす。何氏がほろび、ここから漢室も敗乱した。
戦闘の経過が、こまかく書いてあり、よく分かりました。110422