表紙 > ~後漢 > 『後漢書』陳蕃伝を抄訳し、桓帝と霊帝初を整理

桓帝を諌め、竇太后の宦官に殺される

吉川版で、陳蕃伝やります。ただ抄訳して、読みなおしやすくした。
ながい諫言をはぶき、関連する事件と人物にしぼった。どうぞ。

庭を掃除せず、周景とケンカする

陳蕃字仲舉,汝南平輿人也。祖河東太守。蕃年十年,嘗閑處一室,而庭宇蕪穢。父友同郡薛勤來候之,謂蕃曰:「孺子何不灑埽以待賓客?」蕃曰:「大丈夫處世,當埽除天下,安事一室乎!」勤知其有清世志,甚奇之。

陳蕃は、あざなを仲舉という。汝南の平輿の人だ。祖父は、河東太守だ。陳蕃が15歳のとき、庭がきたない。父の友・同郡の薛勤は、陳蕃に言った。「室の庭を掃除しろ」と。陳蕃は言った。「天下を掃除すべきだ。室の庭なんて、掃除しない」と。陳蕃は、世を清める志を認められた。

初仕郡,舉孝廉,除郎中。遭母憂,棄官行喪。服闋,刺史周景辟別駕從事,以諫爭不合,投傳而去。後公府辟舉方正,皆不就。

汝南郡につかえ、孝廉にあがる。郎中となる。母が死に、辞職。豫州刺史の周景が、陳蕃を辟して、別駕従事とした。陳蕃は、周景と言い争った。割符を捨てて、去った。

『続漢書』百官志はいう。別駕従事は、司隷校尉がめぐるとき、先導して車をひく。ここでは、豫州刺史の先導である。
ぼくは補う。周景は、袁氏の門生・周栄の子孫。周瑜の家柄。

のちに三公府は、陳蕃を方正で辟す。みな就かず。

李固と李膺につきあい、梁冀をこばむ

太尉李固表薦,征拜議郎,再遷為樂安太守。時,李膺為青州刺史,名有威政,屬城聞風,皆自引去,蕃獨以清績留。郡人周DA78,高潔之士。前後郡守招命莫肯至,唯蕃能致焉。字而不名,特為置一榻,去則縣之。DA78字孟玉,臨濟人,有美名。民有趙宣葬親而不閉埏隧,因居其中,行服二十餘年,鄉邑稱孝,州郡數禮請之。郡內以薦蕃,蕃與相見,問其妻子,而宣五子皆服中所生。蕃大怒曰:「聖人制禮,賢者俯就,不肖企及。且祭不欲數,以其易黷故也。況及寢宿塚藏,而孕育其中,誑時惑眾,誣汙鬼神乎?」遂致其罪。

太尉の李固が上表し、陳蕃を議郎とする。楽安(青州)太守となる。ときに李膺は、青州刺史は、青州刺史となる。李膺がきびしく、太守たちは辞職した。陳蕃は、李膺にビビらず、楽安太守にのこる。

李固に推され、李膺とも接点あり。さすが清流のエリート。

楽安の郡人・周璆は、高潔だ。陳蕃の招きにだけ、応じた。陳蕃は、周璆をあざなで呼び、とうとんだ。民に趙宣がいた。20余年も服喪すると評判だ。趙宣は、服喪のあいだに、5子をつくった。陳蕃は、趙宣を処罰した。

大將軍梁冀威震天下,時遣書詣蕃,有所請托,不得通,使者詐求謁,蕃怒,答殺之,坐左轉脩武令。稍遷,拜尚書。

大将軍の梁冀によばれたが、陳蕃はことわる。使者は、陳蕃をだまし、梁冀に会わせたい。陳蕃は、梁冀の使者を答殺した。脩武の県令に左遷された。尚書になる。

梁冀と交際しない。わかりやすい清流。っていうか、陳蕃の昇進とともに、「清流」という生き方が、確立していくんだろう。陳蕃が、ルーツである。


桓帝の政策を、5回諌める

時,零陵、桂陽山賊為害,公卿議遣討之,又詔下州郡,一切皆得舉孝廉、茂才。蕃上疏駁之曰:「昔高祖創業,萬邦息肩,撫養百姓,同之赤子。今二郡之民,亦陛下赤子也。致令赤子為害,豈非所在貪虐,使其然乎?宜嚴敕三府,隱核牧守令長,其有在政失和,侵暴百姓者,即便舉奏,更選清賢奉公之人,能班宣法令情在愛惠者,可不勞王師,而群賊弭息矣。又三署郎吏二千餘人,三府掾屬過限未除,但當擇善而授之,簡惡而去之。豈煩一切之詔,以長請屬之路乎!」以此忤左右,故出為豫章太守。性方峻,不接賓客,士民亦畏其高。征為尚書令,送者不出郭門。

零陵と桂陽に、山賊がいる。後漢は、山賊を討ちたい。陳蕃は反対した。「三公府は、太守や県令、県長を審査せよ。地方官のせいで、山賊が出ていないか、調べよ」と。後漢は、孝廉や茂才をあげろと言いたい。陳蕃は反対した。「三公府の郎吏には、2千余人がいる。郎吏は、年限をすぎても、就職していない。いま詔して、猟官の運動をあおるな」と。
いちいち陳蕃が反対するので、豫章太守になった。性格が方峻で、畏れられた。陳蕃が尚書令になったとき、豫章の役人は、陳蕃を見送らない。

遷大鴻臚。會白馬令李雲抗疏諫,桓帝怒,當伏重誅。蕃上書救雲,坐免歸田裏。複征拜議郎,數日遷光祿勳。時,封賞逾制,內寵猥盛,蕃乃上疏諫曰:(中略) 帝頗納其言,為出宮女五百余人,但賜F651爵關內侯,則萬世南鄉侯。
延熹六年,車駕幸廣成校獵。蕃上疏諫曰:(中略) 書奏不納。

陳蕃は、大鴻臚にうつる。白馬の県令・李雲が、桓帝を諌めた。桓帝は、李雲を殺したい。陳蕃は李雲を救った。陳蕃は、田里に帰る。
のちに議郎となり、数日で光禄勲となる。ときに、桓帝の寵愛ある人が、のさばる。陳蕃はいさめた。

『資治通鑑』の抄訳:159年冬、宦官と外戚鄧氏を厚遇
こちらで内容をやりました。このページは、漢文もはぶきました。

桓帝は陳蕃をみとめた。宮女5百人を出した。だが桓帝は、陳蕃を聞かず、黄儁を関内侯とし、鄧万世を南郷侯とした。
延熹六年(163)、桓帝は、校猟したい。陳蕃が諌めた。桓帝は聞かず。

外戚の鄧氏、桓帝の宦官との対決

自蕃為光祿勳,與五宮中郎將黃琬共典選舉,不偏權富,而為勢家郎所譖訴,坐免歸。頃之,征為尚書僕射,轉太中大夫。八年,代楊秉為太尉。蕃讓曰:「'不愆不忘,率由舊章',臣不如太常胡廣。齊七政,訓五典,臣不如議郎王暢。聰明亮達,文武兼姿,臣不如B327刑徒李膺。」帝不許。

陳蕃は光禄勲になってから、五官中郎将の黄琬とともに、選挙をつかさどる。権威や富奢に、かたよらない。だが、外戚の鄧氏の子弟にそしられ、陳蕃は免じられた。
延熹八年(165)、楊秉に代わり、太尉となる。陳蕃は、ことわった。「太常の胡広のほうがよい。議郎の王暢のほうがよい。党錮の李膺のほうがよい」と。桓帝は許さず、陳蕃を太尉とする。

いま名が出てきた人たち、列伝を抄訳せねば。ほめ言葉をはぶいてしまったが、けっこう重要だろうなあ。列伝のうち、胡広は、去年やった。
『後漢書』胡広伝:主義主張なく、人事に興味のない事務官の三公


中常侍蘇康、管霸等複被任用,遂排陷忠良,共相阿媚。大司農劉祐、廷尉馮緄、河南尹李膺,皆以懺旨,為之抵罪。蕃因朝會,固理膺等,請加原宥,升之爵任。言及反復,誠辭懇切。帝不聽,因流涕而起。時,小黃門趙津、南陽大猾張汜等,奉事中官,乘勢犯法,二郡太守劉質、成瑨考案其罪,雖經赦令,而並竟考殺之。宦官怨恚,有司承旨,遂奏質、瑨罪當棄市。又山陽太守翟超,沒入中常侍侯覽財產,東海相黃浮,誅殺下邳令徐宣,超、浮並坐髡鉗,輸作左校。蕃與司徒劉矩、司空劉茂共諫請質、瑨、超、浮等,帝不悅。有司劾奏之,矩、茂不敢複言。蕃乃獨上疏曰:(中略)
帝得奏愈怒,意無所納,朝廷眾庶莫不怨之。宦官由此疾蕃彌甚,選舉奏議,輒以中詔譴卻,長史已下多至抵罪。猶以蕃名臣,不敢加害。質字文理,高唐人。瑨字幼平,陝人。並有經術稱,處位敢直言,多所搏擊,知名當時,皆死於獄中。

中常侍の蘇康、管霸らは、忠良な人を陥れる。大司農の劉祐、廷尉の馮緄、河南尹の李膺らは、罪をうける。陳蕃は、劉祐らを許せという。桓帝はゆるさず。
ときに小黃門の趙津、南陽の悪党・張汜らは、宦官とともに違法する。太原太守の劉シツ、南陽太守の成瑨は、違法した人を殺す。2人の太守は、宦官のせいで棄市される。
山陽太守の翟超は、中常侍の侯覽から財産をうばう。東海相の黄浮は、下邳令の徐宣を誅殺した。翟超、黄浮は、髡鉗され、輸作左校された。
陳蕃は、司徒の劉矩、司空の劉茂とともに、ただしい官人を救おうとした。桓帝はよろこばず。陳蕃だけ、ふたたび上疏した。

『資治通鑑』抄訳:166年秋、太学派の太守が宦官を弾圧と、次のページ参照。『通鑑考異』はいう。このとき司徒は胡広だ。劉矩は司徒でない。

いよいよ桓帝は怒った。宦官は、陳蕃を危害をくわえたい。陳蕃の長史より以下、罪を受けそうだ。だが陳蕃は名臣なので、危害をくわえられず。

第一次・党錮の禁、霊帝の即位

九年,李膺等以黨事下獄考實。蕃因上疏極諫曰:(中略) 伏見前司隸校尉李膺、太僕杜密、太尉掾范滂等,正身無玷,死心社稷。以忠懺旨,橫加考案,或禁錮閉隔,或死徙非所。(後略) 帝諱基言切,托以蕃辟召非其人,遂策免之。

延熹九年(166)、李膺らは、党事で下獄された。陳蕃は諌めた。「さきの司隸校尉の李膺、太僕の杜密、太尉掾の范滂らは、正しい」と。桓帝は、陳蕃がキツいので、陳蕃を罷免した。

永康元年,帝崩。竇後臨朝,詔曰:「夫民生樹君,使司牧之,必須良佐,以固王業。前太尉陳蕃,忠清直亮。其以蕃為太傅,錄尚書事。」時,新遭大喪,國嗣未立,諸尚書胃懼權官,託病不朝。蕃以書責之曰:「古人立節,事亡如存。今帝祚未立,政事日蹙,諸君奈何委荼蓼之苦,息偃在床?於義不足,焉得仁乎!」諸尚書惶怖,皆起視事。
靈帝即位,竇太后複優詔蕃曰:「蓋褒功以勸善,表義以厲俗,無德不報,《大雅》所歎。太傅陳蕃,輔弼先帝,出內累年。忠孝之美,德冠本朝;謇愕之操,華首彌固。今封蕃高陽鄉侯,食邑三百戶。」蕃上疏讓曰:(中略) 竇太后不許,蕃複固讓,章前後十上,竟不受封。

永康元年(167)、桓帝は崩じた。竇皇后が臨朝した。「さきの太尉・陳蕃を、太傅とし、録尚書事させる」と。いま、皇帝がいない。尚書たちは、出仕しない。陳蕃は尚書たちを劾めた。尚書は、出仕した。
霊帝が即位した。竇太后は、陳蕃をいたわり、高陽郷侯、食邑三百戸とする。陳蕃は、10回もことわった。

竇武とともに、竇太后にクーデター

初,桓帝欲立所幸田貴人為皇后。蕃以田氏卑微,竇族良家,爭之甚固。帝不得已,已立竇後。及後臨朝,故委用於蕃。蕃與後父大將軍竇武,同心盡力,徵用名賢,共參政事,天下之士,莫不延頸想望太平。而帝乳母趙嬈,旦夕在太后側,中常侍曹節、王甫等與共交構,諂事太后。太后信之,數出詔命,有所封拜,及其支類,多行貪虐。蕃常疾之,志誅中官,會竇武亦有謀。蕃自以既從人望而德于太后,必謂其志可申,乃先上疏曰:
(中略) 言侯覽、曹節、公乘昕、王甫、鄭颯等與趙夫人諸女尚書並亂天下。陛下前始攝位,順天行誅,蘇康、管霸並伏其辜。」太后不納,朝廷聞者莫不震恐。蕃因與竇武謀之,語在《武傳》。

はじめ桓帝は、田貴人を皇后とした。陳蕃は、良家の竇氏を、皇后に推した。陳蕃と、竇太后の父・竇武は、霊帝の朝廷を主催した。陳蕃は、霊帝の乳母・趙嬈、中常侍の曹節、王甫がウザい。陳蕃は、竇太后を諌めた。
侯覧、曹節、公乘昕、王甫、鄭颯らが天下を乱している。彼ら宦官を、蘇康、管霸のように殺せ」と。竇太后は納れず。天下はおそれた。陳蕃と竇武は、クーデターをたくらむ。竇武伝にくわしい。

用理泄,曹節等矯詔誅武等。蕃時年七十余,聞難作,將官屬諸生八十餘人。並拔刃突入承明門,攘臂呼曰:「大將軍忠以衛國,黃門反逆,何雲竇氏不道邪?」王甫時出,與蕃相迕,適聞其言,而讓蕃曰:「先帝新棄天下,山陵未成,竇武何功,兄弟父子,一門三侯?又多取掖庭宮人,作樂飲宴,旬月之間,貲財億計。大臣若此,是為道邪?公為棟樑,枉橈阿黨,複焉求賊!」遂令收蕃。蕃拔劍叱甫,甫兵不敢近,乃益人圍之數十重,遂執蕃送黃門北寺獄。黃門從官騶蹋DD22蕃曰:「死老魅!複能損我曹員數,奪我曹稟假不?」即日害之。徙其家屬于比景,宗族、門生、故吏皆斥免禁錮。

クーデターがバレた。曹節は、詔をいつわり、竇武を殺した。陳蕃は70余歳だ。官属80余人をひきい、叫ぶ。「大将軍の竇武が国をまもるのに、宦官が謀反した。なぜ竇武に罪があるか」と。宦官の王甫は言った。「霊帝が即位したばかりなのに、竇武はゼイタクした。陳蕃は、国家の重任にあるのに、なぜ竇武をかばうか」と。
陳蕃は抜刀し、王甫を叱った。数重に陳蕃をかこい、近寄れない。宦官は陳蕃をとらえ、黄門北寺獄で、その日のうちに殺した。

陳蕃の最期は、小説めいて楽しい。王甫、圧倒されつつ、名場面。

陳蕃の家属は比景に流された。宗族、門生、故吏は、みな禁錮された。

陳蕃の友・陳留の朱震が、陳逸をかばう

蕃友人陳留朱震,時為銍令,聞而棄官哭之,收葬蕃屍,匿其子逸于甘陵界中。事覺系獄,合門桎梏。震受考掠,誓死不言,故逸得免。後黃巾賊起,大赦黨人,乃追還逸,官至魯相。
震字伯厚,初為州從事,奏濟陰太守單匡臧罪,並連匡兄中常侍車騎將軍超。桓帝收匡下廷尉,以譴超,超詣獄謝。三府諺曰:「車如雞棲馬如狗,疾惡如風朱伯厚。」

陳蕃の友人は、陳留の朱震だ。銍県の県令だ。陳蕃の死体をほうむる。朱震は、陳蕃の子・陳逸を甘陵の境界にかくまう。拷問されても、陳逸をかくす。黄巾で党人が大赦され、陳逸をはなす。陳逸は、魯国の国相となる。
陳震は、あざなを伯厚という。濟陰太守の單匡のワイロをあばく。單匡の兄は、中常侍の車騎将軍・単超である。桓帝は、單匡と単超をせめた。みな陳震をたたえた。

ながい諫言をはぶき、関連する事件と人物にしぼった。おわり。110420

後漢書』陳蕃伝を読んだ。なぜ陳蕃が、諫言をくり返して桓帝の不興を買ったくせに、逆に昇進したのか分からない。殺されても文句言えないほどだ。陳蕃が助かった理由、「名臣」て何? 名声とか人脈とか、実態がわからん。
【追記】mujinさんはいう。陳蕃爺のビジュアルイメージはもちろんチンパンジーですよねっ!ところで、陳蕃は汝南郡平輿のひとですが、同県の許靖が蜀に連れこんだ陳氏がいますよね。その辺になにか底流があるように感じます。