表紙 > 孫呉 > 孫権を曹操に帰順させ損ねた、一途の虞翻伝

03) 呉王就任をボイコット

『呉書』第十二より、虞翻伝をやります。
虞翻は、張紘とおなじく、孫策と孫権を、曹操に帰順させようと動いた人。張紘と対比して、見ていきます。

虞翻の自信と、孫権の独立心が衝突

孫權以為騎都尉。翻數犯顏諫爭,權不能悅,又性不協俗,多見謗毀,坐徙丹楊涇縣。

孫権は虞翻を、騎都尉にした。虞翻は、孫権の顔をつぶし、諫言した。孫権は気分を悪くした。

孫策と仲がよかった虞翻。孫権とは、うまくいかない。なぜか。
まず孫策は、後漢の部将であろうと努めたが、孫権は心の底で、独立をねらっている。虞翻は、これが気に食わない。「孫権さん。私があなたを孫暠から守ったのは、後漢に尽くさせるためですよ」という、不満がある。虞翻から見ると、ときどき、孫権が傲慢に見えただろう。
また虞翻は、孫策の時代、芽が出ないイナカ者だった。いま孔融に認められ、中央への人脈ができた。虞翻の態度は、必然、偉そうになるだろう。自信の表れだ。「わざわざ孫権に、仕えてやっている」という意識が、芽生えてくる。
そりゃ、対立するでしょう。左遷されるでしょう。

虞翻は、丹楊の涇県にうつされた。

涇県は、孫策伝に盧弼が注釈した。


孫策の兵士・呂蒙に、救われる

呂蒙圖取關羽,稱疾還建業,以翻兼知醫術,請以自隨,亦欲因此令翻得釋也。

呂蒙は、関羽を殺そうとした。

まえの段落のあと。虞翻が涇県にいるあいだに、協調者&ライバルの張紘が死んでる。虞翻は、張紘の遺志を、継いでゆくことになる。

呂蒙は病気を称し、建業にもどった。虞翻が医術も知っているから、呂蒙は従軍させた。呂蒙は、虞翻が涇県から出られるように、はからったのだ。

呂蒙のどこから、そんな意図が。呂蒙伝を読んだときは、気づかなかった。
呂蒙は、孫策のしたで、叩上げた兵士だった。孫策が単騎でウロウロしているとき、虞翻に叱られた。それを呂蒙が見ており、、なんて妄想したくなる。笑
盧弼はいう。これは後世の「挙を保ち、復を開く」の意味である。人の才能を愛して惜しみ、その才能を用いるやり方である。
ぼくは思う。呂蒙がいなければ、虞翻は枯れて終わっただろう。張紘とおなじ時期に、オモテ舞台を去り、足跡が分からなくなっていた。


後蒙舉軍西上,南郡太守麋芳開城出降。蒙未據郡城而作樂沙上,翻謂蒙曰:「今區區一心者麋將軍也,城中之人豈可盡信,何不急入城持其管籥乎?」蒙即從之。時城中有伏計,賴翻謀不行。
關羽既敗,權使翻筮之,得兌下坎上,節,五爻變之臨,翻曰:「不出二日,必當斷頭。」果如翻言。權曰:「卿不及伏羲,可與東方朔為比矣。」

呂蒙は、南郡太守の麋芳をくだした。

呂蒙伝がひく『呉書』はいう。士仁が公安にいた。呂蒙は虞翻に、士仁の説得を命じた。南郡太守の麋芳は、呂蒙の仁にふれ、投降した。

呂蒙が油断したので、虞翻が戒めた。虞翻のおかげで、呂蒙は敵の残党から、奇襲を受けずにすんだ。

虞翻は、呂蒙への恩を、きちんと返したことになる。呂蒙の軽率さは、虞翻から見て、孫策に似ていたか。久々に、協力したくなったか。

虞翻は孫権に聞かれ、関羽の首が斬られる日を占った。的中した。孫権は、虞翻に感心した。

『易経』には、未来を予想する機能が、本当にあるのか。これは、陳寿の本文が書いていることです。盧弼は、虞翻のだした卦から、日数の算出方法を説明しているが、はぶく。分かるような、分からんような。


于禁を責めるのは、後漢を裏切ったから

魏將於禁為羽所獲,系在城中,權至釋之,請與相見。他日,權乘馬出,引禁並行,翻呵禁曰:「爾降虜,何敢與吾君齊馬首乎!」欲抗鞭擊禁,權呵止之。後權于樓船會群臣飲,禁聞樂流涕,翻又曰:「汝欲以偽求免邪?」權悵然不平。

関羽にとらわれた于禁と、孫権が会見した。
孫権は、于禁と馬を併走させようとした。虞翻は、于禁を叱り、于禁をムチで打とうとした。孫権は、虞翻をとめた。

虞翻から見たら、献帝を裏切った于禁は、罪人である。さらに云えば、献帝をないがしろにして、于禁を厚遇する孫権も、罪人である。于禁をなじりつつ、孫権を批判している。ぼくはそう思う。そりゃ孫権は、止めるでしょうよ。

べつの日。船上で、酒を飲んだ。于禁が音楽を聴いて、涙を流した。虞翻は、于禁を責めた。
ウソ泣きして、許しを乞うているのか」
孫権は、虞翻の言葉を聞いて、気分を損ねてしまった。

虞翻は、孔融に認められた。また虞翻は、『易経』の知識をつかい、関羽の死を予言した。虞翻はすでに、一流の「知識人」だ。孫権は、一目おかざるを得ない。そのくせ、行動が孫権の意に逆らう。正直、ウザい。


吳書曰:後權與魏和,欲遣禁還歸北,翻複諫曰:「禁敗數萬眾,身為降虜,又不能死。北習軍政,得禁必不如所規。還之雖無所損,猶為放盜,不如斬以令三軍,示為人臣有二心者。」權不聽。群臣送禁,翻謂禁曰:「卿勿謂吳無人,吾謀適不用耳。」禁雖為翻所惡,然猶盛歎翻,魏文帝常為翻設虛坐。

『呉書』はいう。のちに于禁は、曹魏に返されることになった。虞翻は、于禁を殺せと主張した。孫権は、虞翻を却下した。
虞翻を聞いた曹丕は、虞翻を迎えるための座席を、いつも朝廷に用意した。

曹丕は、漢をつぐ立場。後漢の忠臣を、褒めねばならない。
ただし虞翻は、孫呉を離れない。故郷・会稽の近くにいたいのか。中原にいくと、自分の二流が暴かれると、自覚があるのか。
曹丕にとって、虞翻の実害はない。うやまうポーズだけで、曹丕の度量を示すことができる。
盧弼はいう。虞翻のセリフは、『左伝』文公の十三年が元ネタ。


呉王への就任を、祝わない

權既為吳王,歡宴之末,自起行酒,翻伏地陽醉,不持。權去,翻起坐。權於是大怒,手劍欲擊之,侍坐者莫不惶遽,惟大(司)農劉基起抱權諫曰:「大王以三爵之後(手)殺善士,雖翻有罪,天下孰知之?且大王以能容賢畜眾,故海內望風,今一朝棄之,可乎?」

孫権は呉王になった。宴会で、虞翻は酔ったふりをして、地に伏した。孫権が去ると、虞翻は起き上がった。

胡三省はいう。虞翻の振る舞いは、孫権を諌めるものだ。
ぼくは思う。虞翻は、あくまで孫権が、独立することを、おもしろく思わない。虞翻はガンコだから、初志を変えない。すでに死んだ張紘の意思を守るためにも、孫権が君主ヅラをするのは、許せない。

孫権は怒り、手ずから剣をとり、虞翻を斬ろうとした。
大司農の劉基だけが、立ち上がり、孫権を抱きとめた。

劉繇伝はいう。孫権が呉王となったとき、劉基は「大農」となった。
盧弼は考える。劉繇伝に「大司農」とは、書いていない。出土した、べつの「呉志」でも、「大農」となっている。「大司農」は、誤りである。
盧弼が云わないから、ぼくがいう。劉基は、劉繇の子である。

劉基がいう。
「虞翻のような賢人を、斬ってはいけません」

權曰:「曹孟德尚殺孔文舉,孤於虞翻何有哉?」基曰:「孟德輕害士人,天下非之。大王躬行德義,欲與堯、舜比靈斯,何得自喻於彼乎?」翻由是得免。權因敕左右,自今酒後言殺,皆不得殺。

孫権はいう。「曹操は孔融を殺した。私が虞翻を斬ってもよい」

どういうリクツだ。でも虞翻は、嬉しかっただろう。孔融と同列に、論じてもらえたわけだから。

劉基はいう。「孫権さんは、曹操よりも優れた君主です。ガマンして下さい」
孫権は、酒の席で死刑を云っても、執行するなと命じた。

有名な逸話です。しかし、この命令が出された状況に留意したい。
孫権が、「呉王への就任に反対する人を斬った」というのは、支配の安定のため、好ましくない。このデリケートな問題を、ただの酒の席の問題に、すりかえたという気もする。
似たことが、おじさんが読む週刊誌で、行われていた。ある大臣の政策を批判するとき、言うにこと欠いて「顔が気持ち悪い」「マザコン」とか、どっちでもいい話で盛りあがる。読者は、大臣をやっつけたと思い、溜飲をさげる。すりかえだ。
「孫権は酒ぐせが悪い」と、茶化しているうちに、呉王や呉帝への権力は、着々と集中していくのかも知れない。笑
何焯はいう。孫権の命令から推測するに、虞翻より前に、酒席で殺された人がいた。孫晧の暴虐は、孫権に似たのだ。


虞翻の見せ場は、これにて終わり。
次回、最終回。孫権と協調せず、虞翻が不幸に死にます。