表紙 > ~後漢 > 臧嵘『東漢光武帝劉秀大伝』を抄訳する

5章-10章:目次だけ確認

臧嵘『東漢光武帝劉秀大伝』(人民教育出版社・2002)の抄訳です。
333ページから、最後までにあたる、目次を見ておきます。

5 後漢初、諸臣の構成

光武の臣下は、6つにわかれる。1つ、宗親。2つ、当初からの臣下。3つ、河北で創業したときの臣下。以上3つを「雲台28将」という。4つ、東西を攻めるとき、したがった臣下。5つ、敵対勢力から、くだった臣下。6つ、開国後に採用した文官。

1つ、宗親。劉氏は、列伝4。李通、来歙、鄧晨、樊宏、陰識をくらえる。鄧禹、竇融、馬援は、のちに外戚となる。

王常、李通、竇融、卓茂は、のちに28+4将にくっわる。来歙、鄧晨は、おなじくらい戦功があるはずだが、雲台からぬけてる。以下、列伝からの紹介があるが、はぶく。

2つ、3つ、雲台28将。南陽、頴川、河北の集団にわかれる。河北がおおい。
4つ、5つ、もと敵対した人。洛陽をまもる朱鮪。盆子の将・徐宣、楊音、樊崇。隗囂と公孫述からくだった、王元。彭寵の奴隷。

以下、目次だけ、訳しておきます。


光武の柔道は、君民だけでなく、君臣の関係にも、あたる。功臣を4つ、厚遇した。1つ、爵賞をあつく。2つ、婚姻して恩寵をかためた。3つ、官位をたかめ、尊崇をしめした。4つ、旧情をおもい、同心をむすんだ。
功臣と貴戚を、きびしく制限した。特殊な要求にこたえない。「吏事は三公を責める。功臣を吏事にもちいない」と。退いて、致仕(退職)させる。地方の職務を、激励する。廉倹と自守を、要求する。儒教をおもんじ、まなぶ。こまかく管理する。

6 賢良をえらび、戦乱の世で礼をとうとぶ

光武の朝廷における、君士と関係。
名節をおもんじ、賢者をもとめる。王莽は、士大夫を劫難した。卓茂をえらんで、宰相にする。名節の士が、一朝にあつまる。
清官をすすめ、地方を靖んじる。職務に清廉な地方官。豪強を弾圧した、酷吏。賢能な循吏。
儒者をおもんじ、文吏は経典につうじる。治国の中心には、儒臣をおく。儒学をもって、地方官の方針とする。
吏治をおもんじ、懲劣を伏することをするめる。邦邑を治めるものは、その官位を全うする。みずから吏事をこのみ、三公を課核する。
君臣の関係をしめす、2つの事例。馮衍と厳光。

7 もう軍旅すると言わない

光武の異民族政策。
辺境の兵をやすめる。吏士から、弊害をのぞく。野には、さらさらた骨があるという、きびしい形勢。辺境の兵をやすめるという、政策のすべて。
光武の時期の、匈奴。光武の前期は、匈奴にたいし、守勢にまわる。光武の後期は、匈奴を、帰付させる。
光武の時期の、東北と、西北の異民族政策。烏桓と鮮卑との関係。西域において、兵をやすめる保守政策。
光武の時期の、西羌、西南夷、南方の諸民族との関係。光武の時期に、武陵蛮を2回征伐した。

8 制度の改革と、文教の振興

中央官制の改革。三公のは、定員をそなえるのみ。尚書台の機構と、その権力の増大。
監察機構と、軍制の改革。中央と地方で、監察する権力を再分配する。中央を強化して、軍権をおさえる。

この2段落分だけは、興味を持ったので、あとで読みましょう。

文教事業の振興。礼楽が分崩して、群賢をあつめる。太学をおこし、古典を式する。五経をたて、儒学をふるわす。師と学をおもんじ、儒学を、宮中の教育にとりいれる。

9 光武の性格と、家庭について

感情を重んじる君主。光武の夫婦の情。父親としての光武。光武と、ほかの親属との感情。

ここも、興味があるから、こまかく訳しましょう。

儒者皇帝。儒者の気質と、風範。儒家の文采。儒家の思想と、行為の規範。才能を愛し、近づきやすい皇帝。
讖文を信じ、封禅する。讖緯が両漢のあいだに、はやる。光武と讖文。光武が讖文を信じることへの、分析。泰山で封禅する。
光武の死。最後の数年。薄葬。身後の栄衰。

とりあえず、おわり。明日、三国志学会だなあ。110825