表紙 > エッセイ > 『ツチヤ教授の哲学講義』より、史料の読解と考察の態度について

02) 言語ゲームのルール緩和

いわゆる歴史哲学について、11年の夏休みに考えたこと。
このページでは、はじめに、ウィトゲンシュタインへの反論をひく。

岩波講座・哲学03『言語/思考の哲学』

岩波講座・哲学03『言語/思考の哲学』2009で、
飯田隆「言語論的転回の世紀の後で」はいう。
21世紀の哲学者に、ウィトゲンシュタインは、広く受けいれられていない
言語論的転回のもとで、主張されたのは、以下の2つ。
 (1) 哲学の問題は、言語の論理への誤解から発生する
 (2) 哲学の答えは、言語的なことがらについて考察して、得られる
21世紀の哲学は、これを支持しない。

 (1) について。21世紀の主流は、日常言語(自然言語)の言い回しを研究する学派から、ひろがった。この学派は、意味、指示、真理をはじめ、比喩、皮肉まで、言語の性質をしらべる。ウィトゲンシュタインが「意義がない」と言いそうな内容だ。
 (2) について。ウィトゲンシュタインは「哲学は、科学をマネるな(土屋氏の言い方では、観察するな)」と言った。だが、哲学者が、科学的であることを、あきらめられない。科学を無視しないかたちで、哲学の方法をさぐるのが、21世紀だ。

飯田氏の論文は、岩波講座の、この巻の導入だ。ぼくはこの巻を、いちおう通読しました。でも、よく分からなかった。ダメだなあ。
ともあれ、ウィトゲンシュタインは「哲学の問題は解消した」と、刺激的なことを言ったが、それで哲学なんて終わっていないと。ウィトゲンシュタインに構わず、現代も哲学が続けられていると。


消化不良なのに、ぼくが岩波講座を生半可にひいた意図は、3つです。
1つ。せっかく買ったから。
2つ。ウィトゲンシュタインへの反論があることを、確認した。

べつにぼくは、ウィトゲンシュタインに傾倒したのでない。もしぼくがウィトゲンシュタインの話をもとに、史料の読み方をくみたてても、その動機は、ウィトゲンシュタイン万歳だからではない。
飯田氏によれば、ウィトゲンシュタインは、一般的に「人気」があるが、高度な専門の研究者には、あつかわれないらしい。
ぼくが邪推するに、ぼくら一般の人は、哲学者が難解な本を書くから、ウンザリしていた。ウィトゲンシュタインが、難解な哲学書を、一刀両断にしたから、一般の人には、痛快だった。そういう表面的な理由だろうか。ウィトゲンシュタインを「明解だ」と歓迎する人(ぼくを含む、っていうか、ぼく自身)は、言語ゲーム分析する忍耐がないから、どっちみち哲学向きでない。

3つ。ウィトゲンシュタインへの反論がおよぶ範囲を確認した。おもな反論が届かない範囲でなら、ウィトゲンシュタインの学説を借用してもいいことを、確認した。

(1) ウィトゲンシュタインでは、日常言語を分析できない。そうなのだろう。だが、ぼくが読もうとしている史料等は、文語として整理・編纂されたものだ。ウィトゲンシュタインを、史料等に当てはめて考えても、いいだろう。 「ああ」「うー」を言語ゲームで分析できなくても、ぼくの三国志の活動に限っていえば、関係ないのだ。
(2) 科学を無視したくない、という。よくわかる方向性だと思う。ただしぼくらは、三国時代の事実を、観測することはできない。過去だから。
史料等を扱って考えると、結果的に、拒みにくいかたちで、言語ゲームの分析のマナイタに乗ってくる。もちろん、考古学的な成果その他を考えあわせて考察することは絶対に必要。しかし、日本で会社員をやっているぼくは、掘りに行けない(&掘らせてもらえない) のだ。曹操墓の研究報告などを読むのが、精一杯である。日常的にできる考察は、いきおい言語を、こねくり回すことに偏らざるを得ない。


ぼくの歴史学は、何でないか

言語ゲームを推進する 土屋氏を1ページ目で引用し、
言語ゲームの限界をいう 岩波講座の論文を、いま引きました。
結果、とりあえず土屋氏に依拠して、史料を読む態度を明らかにしても、だいたい大丈夫だという結論に到りました。ウィトゲンシュタインに対する主な批判は、少なくともぼくが史料を読む態度を決めるとき、大ダメージを与えない。そう判断した。

土屋氏のいう哲学の定義を、ぼくが2011年12月時点で考えた、ぼくのやりたい「歴史学」に引きつけて、性質を書いてみる。

前ページで断りましたが、ここでいう「歴史学」とは、歴史を学ぶこと、くらいの意味です。今日の大学で常識となっている「歴史学」について、その性質を確認しているのではない。っていうか、全然ちがう。ぼくには、語る能力も資格もないし。
大学のマナーや常識から逸脱した「歴史学」を、現代日本では「小説」「創作」という。他の多彩な文書とまとめられるので、大雑把すぎるカテゴライズだと思うが、、このページの読者の方(ここをお読みのあなたです) にとって、そちらのほうが馴染むなら、以下に書くぼくの「歴史学」を、「小説の創作姿勢」と置き換えて頂いても同じことです。
あえて「小説の創作姿勢」でなく「歴史学」と書く理由は2つです。文字数が少ないから。現在の大学でやる歴史学が全てでないことを言うため。大学に属さない「史料読み=歴史家」の可能性を広げたいからです。

歴史学は宗教でない。信じないで、疑うからだ。

ぼくは、ろくに史料を読めないくせに、史料や他人の著作に、あれこれコメントやケチをつける。っていうか、全部を信じるなら、ぼくがキーボードを打つ必要がない。

歴史学は、文学でない。問題と解決があるからだ。

ぼくが小説を書くとき、さすがに冒頭に「この小説の問題はこれで、回答はこれです」と宣言しない。小説とは、説明するものでなく、描写するものだからだ。これは、小説のルールである。小説のノウハウ本に書いてあった。小説の経験がほぼゼロなので、受け売り。
だが小説の中間生産物には、作者なりのテーマがあるだろう。このページは、ぼくなりのテーマを扱うものなので、問題と解決がある。いま最も関心があるのは「なぜ後漢が滅びたか」だ。そして列伝を読むごとに関心をもつのは「この人物は何がしたかったか」だ。
このホームページでは、毎ページ、結論めいたものを、暫定的にでも出してきた。

歴史学は、科学でない。観察せず、言語で明らかにする。

過去を観察できないこと、おもに史料(=文字資料) を手がかりにするしかないこと。この2つを言ってきました。
史料が中心となるのは、歴史学の宿命。っていうか、史料を中心に研究する学問を、歴史学というのだ。性質でなく、定義である。


「史実」と「事実」という言葉の定義

先週、諸葛亮伝を読むときに確認した、言葉の定義。
事実と史実について。
起こった出来事そのままを「事実」とする。人間が認知できるか、言語で記述できるか、正しく伝えられるか、などの障害はあるけれど、ともかくピュアに、起こった出来事そのままを「事実」と置くのだ。2乗したら-1になる虚数を「i」と置くのとおなじ発想。
「史実」とは、史料に記された「事実」をいう。「事実」でないことも、史料が「事実でした」と書いていれば、「史実」だということ。あくまで、ぼくの用法。

恐らく 万人に共通する欲求として、まず「史実」を知りたい。つまり、史料を「正しく」読みたい。例えば陳寿が、どんな意味をこめて書いたか、ありのままに知りたい。

陳寿の名を出したが、ひとつの例。「王沈や韋昭がこめた意味を知りたい」と言っても、意味は同じ。王沈や韋昭が参照した、名の知られぬ原史料でも同じ。上表文や木簡や竹簡などの一次史料についても同じ。筆者の込めた意味を知りたい。

つぎに「史実」を「正しく」読み、かつ史料批判することで、「事実」を明らかにできるはずだ、という、素朴な願いがある。
ぼくは大学については分からないが(会社員だから)、少なくとも大学外の人は、歴史学の先生が「事実」を明らかにしてくれると期待している。

ぼくらは、100%の客観が成立しにくいことを、日常の感覚で理解している。しかし大学の先生の業績ならば、限りなく「事実」に迫るものだろうと、期待する。
また大学の研究では、「事実」に肉薄することが期待され、目標とされるのだろう(ここはぼくの推測です)。少なくとも、「事実」に近づくために、先生方が研究しているように学外から見えるので、大学に対する期待は、どんどん高まる。


しかし、大学外からの期待は、あまりに素朴すぎないか、と思う。

ぼくは、大学の論文が「事実」でない、と言いたいのでない
20世紀の思想史が試行錯誤し、例えばウィトゲンシュタインが言ったように、原理的に「事実」に近づくのが難しいのだ。以下、詳述。

「史実」から「事実」を見つける。これは「歴史学は科学である」と主張された、19世紀の考え方。素朴実在主義と呼ぶらしく、ランケが言ったこと。
大学の先生がどういう態度なのか分かりませんし、大学の先生の中でも態度にも、いろいろあると思います。しかし、大学の先生に「事実」の発見を求めるのは、学外の者として、あまりに窮屈だと思います。

この期待の裏返しとして、研究や著作や、さらには小説を批判する言葉として「事実じゃない」「史実じゃない」「ウソっぽい」というのがある。


「観察して仮説を検証できる」が「事実」を研究する科学の定義だとするなら、科学としての「歴史学」が言えるのは、たった1つだと思うのです。
「『三国志』巻1には、姓曹諱操字孟德という記述がある」
この命題から、一歩も外れてはいけない。

もっと厳密を期すなら、「どこどこ出版の第何版に収録された『三国志』巻1には、これこれという記述がある」となる。まあ、こねくり回しても仕方ないけど。

これなら、観察できるし、誰でも巻1を開けば、命題を検証できる。
当然ながら、要約はダメ、翻訳はもってのほか(ぼくがやるような明らかな誤訳じゃなくてもダメ)。漢字を淡々と並べて、アナウンスする以外に、何もできない。
これじゃあ、あまりに非生産的。面白くない。

大学研究での史料批判は、言語ゲームの1つ

生産的な活動のため、
(ぼくが思うに) 大学の歴史学は、一定のルールをもつ、史料批判というゲームをやっている。事実というタグがついた、ゴールを目指している。事実はタグに過ぎず、ぼくが上で定義した意味での「事実」ではない。

人生ゲームのゴールに「大金持ち」と書いてあっても、大金が手に入らない。将棋で勝っても、相手のクビを切らない。囲碁で勝手も、相手の土地を奪えない。

大学の歴史学が優れているのは、ゲームのルールが洗練されていること。しかし、ゲームを抜け出せない。

史料批判というゲームのルールは、大学生向けの教科書に、おおく書いてある。これからも読んで、勉強してゆくつもりです。
ふたたび比喩。一流の棋士は、将棋に勝つことができる。だが将棋を指すうちに、サッカーに勝っていた、ということはない。

大学の歴史学だって、現実の「事実」を突きとめられるわけじゃない。

前ページの土屋氏の話を、ふたたび引用します。
ゲームには、ルールがある。「世界がどうなっているか」ということに関係なく、自由にルールを決めたり、変えたりできる。言語も、ルールである。「世界」と関係ない。と。

研究論文の中では、「事実」にむけた、確からしさが記される。しかし、事実というタグがゲームのなかに登場するだけ。「史料をこういう読み方で分析したら、その結果を事実と呼びましょう」と、合意されているだけ。

土屋氏の机の例をひくなら、「史料をこういう読み方で分析したら、その結果をバラミラと呼びましょう」でも同じことである。っていうか、「事実」のように紛らわしい、期待をもたせるような言葉を使わず、バラミラのほうが、いっそ清々しい。


三国志の研究者は、それほど人数が多くないらしい。史料批判のゲームでは、勝ちにくい(成果を出しにくい) からだろうか。「三国時代は史料が少なすぎて、研究が難しい」というかたちで、苦戦が語られる。

史料批判のルールは、研究対象にかかわらず、日本の大学で歴史学をやる人々の間で、共有されているものがあるようだ。


言語ゲームのルールを、少しだけ緩和

研究者ですら苦戦するのだったら、ぼくは『三国志』を、
ちょっと違うルールで楽しめばいいじゃん、と思うに到りました。

例えば、囲碁は、ルールが超むずかしい上に、棋士のなかに強豪がおおく、成熟して参入障壁がたかい市場だとする(実際は知りません)。しかし、碁石の手触りは好きだなー、という人がいたとする。その人は、五目並べの世界で、楽しめばいいんじゃないかなあ。もちろん、五目並べの世界にも強豪は多いけれど、とりあえず入り口に立てるだけマシ。碁石を触り続けられる。
五目並べの棋譜を見て、「下手な囲碁だ」というのは、ナンセンスです。
ぼくの「歴史学」は、囲碁と五目並べほど、ルールを変えていないつもりです。あくまで「つもり」です。同じ言語(史料) を、ちがうルールに基づいて扱うゲームという点で、この比喩をあてました。

土屋氏いわく「記号と事実が合致することはない」のだから、もうちょっとルールを緩めても、いいんじゃないかと。「『事実』を明らかにする!」という、的外れな期待から、離れてもいいんじゃないかと。

趣味で史料を読んでいるのに、「これ以上のことは言えない」と保留を連発するのでは、楽しくない。ぼくは会社で「別途検討」と、よく保留するけど。笑
失うものがあり、責任があると、保留しちゃうなー。


土屋氏の「人間はなぜ8本足か?」を思い出してみる。
「この史料は『事実』か」という疑問は、成立していないと思う。なぜか。「事実」という語に、どうせ誰にも分からないという定義が含まれる。分かりもしないものを、分かろうとする時点で、疑問が成立していない。答えられない。

「事実という語に、どうせ誰も分からない、という定義をつけたのは、お前だろう」と言われそうです。そうです、ぼくの定義です。しかし、みんなが史料を読むときに、研究者の論文を読むときに、期待しているのは、ぼくの定義した意味での「事実」ではありませんか。違うかなー。違ったら、すみません。ぼくの話は、不成立です。

上記の疑問は「慣性の法則が成り立つか」という、自然科学の問題に似ている。しかし、何が示せれば「事実」と言えるのか。その基準が明確でない。これじゃあ「なぜ空は青いの?」と同じ方式の、答えられない問題である。

「この史料は『事実』か」という、
土屋氏がいう意味での、 解決できない問題を考えることに、意味はない。「事実」という言葉に縛られて、思考の袋小路に陥っているだけだ。そんなんじゃ、土屋氏がいう意味で、人生は無意味だし、趣味は楽しくない。笑

土屋氏のせいにした。土屋氏のユーモアエッセイ、好きです。

というわけで、2010年3月に書いたとおり、史料にないことでも、妄想によって補っていきましょう、という結論に到りました。

「事実厨」にならないために

今日、にゃもさん(@AkaNisin) がツイートしてた。
@AkaNisin【史実厨】(シヂツチウ)…もとは『三国志』を「正しい歴史」と盲信する正史厨だったものが、その誤りを指摘された反動で暗黒面に堕落した。演義はおろか正史まで作り話と嘯いて憚らない。主にmixiに生息する。
気になったので、ぼくが詳細を聞いてみると、
@AkaNisin いや、結構前にmixiの三国志コミュにそういう方がいたので(苦笑 たぶん関羽北伐を議論するトピだったと思います。他の方が『三国志』を典拠にすることに対し、陳寿は信用できない、陳寿は信用できない、の一点張りでしたw
とのことでした。 このページの定義で言い換えると「事実厨」となります。

では、ぼくは「事実厨」になると宣言しているのか。違います。違うつもりです。どのように違うかは、先週に読んだ、戸田山和久『「科学的思考」のレッスン』NHK出版新書2011を参考にします。

読んでから数日のうちに引用しないと、内容を忘れる。

「ある仮説が、事実か事実でないか」と二分法で考えるのは危険である。
「事実に近い仮説が、よい仮説である」という判定基準は、誰にも事実が分からないのだから、成り立たない。すべての仮説はグレーである。黒から白にむけて、よりよい仮説を探すのが科学だ。

ぼくの本論と関係ないが、、戸田山氏のいう、よい仮説の条件は3つ。
より多くの予言を出して、当てられる。その場しのぎの仮定、正体不明の要素をなるべく含まない。すでに分かっていることを、多く同じ方法で説明できる。


にゃもさんが冗談?にした意味での「事実厨」は、二分法の態度だろう。
「どうせ陳寿を読んでも、事実が分からない。だったら、すべての仮説は同列である。私の考える関羽の北伐を、事実としてもよい」という思考かな。
ぼくは土屋氏をひき、史料から100%の「事実」を期待するのは無理だと言った。しかし、濃度1%のグレーから、濃度99%のグレーまで、同じだと言うのではない
つまり、
学者は100%を目指すという使命から、95%付近にいて、苦しんでいる。だったらぼくは、60%のグレーまで後退してでも、自由にやろう、と考えたのだ。「事実厨」は、10%でも30%でも、気にしないだろうが、そこまで無神経にならない。

お察しのとおり、ぼくの史料を読む力量のなさから、60%を守りきれず、50%、40%、さらにそれ未満まで後退することは、いくらでもあり得ます。また、自分のなかでは話ができていても、記述がザツなので、マイナス20%くらいに見えることも、あると思います。遠慮なく断定口調をつかい、語尾を省きまくるので、さらにマイナスするでしょう。
だが「関連する史料は何もないけれど、とにかく、こうなんだ!」という一点張りの主張だけは、しないように気をつけます。白けるので。


まとめ (このサイトの方針)

研究者ですら「事実」を明らかにできない。

明らかにできれば、「歴史は科学か」という議論が、20世紀のヨーロッパで白熱しない。「歴史は科学ではなさそうだ」という前提があるから、議論になるのだ。
ぼくは土屋氏に賛成するかたちで「歴史は科学にならない」という態度をとった。

いかに研究者といえど、史料批判というルールに基づいて史料を加工するという、言語ゲームをやっているに過ぎない。であれば、シロウトのぼくは、ゲームのルールを少し緩和して、遊びやすくしてみよう。
しかし、まったくルールなしでは、ゲームが面白くない。

将棋の桂馬は、直進してはいけない。

だから、妄想を含みつつも、史料との関連性を言えるかたちで、解釈した結果を文章にしてゆきます。これがサイトの方針。なんとなく自分のなかにあったが、いろいろな反響を受けて、まとめてみました。
それから、漢字や制度や語彙や思想などの勉強をがんばらねば。111214