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3)王莽批判は、班氏の踏み絵

前回、『漢書』の元ネタが明らかにされました。劉向・劉歆の仕事を土台にしたようです。

四 歴史叙述の立場

司馬談・司馬遷の父子は、太史令の立場から、『春秋』の精神に則って批判的に叙述した。
班彪・班固の父子は、司馬氏とは政治的社会的立場が決定的に異なる。司馬氏は一官僚だが、班氏は皇帝の姻戚だ。とくに班固は、皇帝から命じられて書いた。漢への批判精神を期待するほうが無理だ。批判精神は、王莽政権にだけ、集中的に向けられた。
『漢書』序伝下を読み取れば、

わたくし班固は考えます。堯舜の行いは、『詩経』や『書経』を通じて後世に伝わりました。『漢書』は、漢朝の具体的な歴史事象を叙述して、後世の人に規範を解くものです。漢帝の行いは、堯舜と同じく美しい。

という班固の主張が見える。
班固は、漢朝を批判することを、(わざと)放棄している。

『漢書』の賛において、漢帝は批判されない。ただ元帝・成帝が、王莽の登場を許したことについてのみ、批判されただけ。武帝の、悪名高い経済政策・外征には口をつぐんだ。
列伝も同じだ。
張湯と杜周は、武帝のときの冷酷な官吏だ。司馬遷は2人を、酷吏列伝に収めた。だが班固は、2人を酷吏列伝から抜き、専伝を立てた。2人の子孫が丞相に出世したからだ。
「祖先の善功が、子孫に善果をもたらした」
という考え方だ。司馬遷は人民の立場から、2人を酷吏と判定した。班固は王朝の側から、2人を貴人と評価した。
司馬氏は、
「父祖の善行・善徳は、子孫に王位・諸侯の位を約束する」
と考えた。だから『史記』の歴史叙述は、身分・階級を超えた応報の壮大なドラマだ。
だが班固の『漢書』では、王者は皇族の劉氏だけだ。班固の考える応報は、せいぜい丞相のポストを約束するだけだ。司馬氏が作った応報の思想を、
「子孫の栄誉とは、丞相として皇帝を助けることだ」
と歪曲した。応報の思想を、権力に阿諛するものに堕落させた。

◆儒教主義
『史記』では、あらゆる人は行動が自由で、社会・経済に活力・秩序を与えた。貨殖、遊侠を積極的に評価した。
いっぽう『漢書』は、儒教倫理がすべての行動の基準だ。漢朝の立場から、行動を計る。貨殖や遊侠は、秩序を乱すから許さない。

班氏が儒教を重視した由来は、どこにあるか。
まず、後漢の政治理念だ。
次に、『漢書』に元ネタを提供した劉向・劉歆の著述だ。劉氏は、王莽政権に参加した。王莽政権は、儒教の理想を究極の目標とした。このことから分かるように、劉氏は儒教に染まった著述者だ。
さて、面白い話になりますよ。
班氏は儒教を支持するが、王莽を敵視する。王莽は儒教を称えた・・・
「班氏=儒教、班氏≠王莽、王莽=儒教」
ということになるから、班氏の主張が矛盾する?

じつは班彪は、王莽を認めていた事実がある。翟方進伝の賛で、子の翟義が挙兵したことに対して、

王莽が起ったのは、きっと天意に歓迎されたからだ。古代の有名な叛逆者が、もし生き返ったとしても、王莽に勝つことはできない。
翟義は、漢室への忠心から、王莽に対して挙兵した。だが自分の正当性や力量を弁えていなかった。翟義は無謀だったから、かえって一族を滅ぼしてしまった。

と書いた。王莽が天命に支えられたものだという「過去の通念」を、班彪は引きずっていた。
班彪は、多感な少年・青年時代を、王莽の強烈な儒教政策の下で過ごした。班彪の思想の根っこには、王莽の影響があった。王莽を批判しつつも、決して全否定できない。
班氏にとって王莽を貶奪することは、むしろ苦行ですらあった。漢室への忠誠を問われる、踏み絵だった。

五 歴史認識

班氏は、会通史的な展望に欠ける歴史家ではない。その証拠に、『漢書』地理志上で通史を語っている。
班氏の漢朝興亡論は、どんなか。
班彪は、漢朝に絶対的な崇敬の念を抱いていた。高祖紀の賛に、

漢は、帝堯の運を引き継いでいる。蛇を断ち、符を著けた。赤い旗幟をつかう、火徳の王朝である。自然と感応し、天から統治を認められた。

讖緯思想、堯運火徳説(五行相生説)で神秘化し、王命論で権威づけをした。後漢初の流行に乗った。

班固は、父より合理的だ。

秦は、五等(封建制)を廃止し、城壁を撤去し、刀狩をして、言論統制をして書物を焼いた。国内で諸王を攻め、国外に異民族を攻めた。
しかし猛政が裏目に出て、国内外で叛乱が起きた。秦の厳しすぎる法律は、郷社会で、次世代の英雄を促成栽培してしまった。
劉邦は、もとは領土を持たず、剣1本から出発したが、知弁を結集し、天下を取ることができた。漢は、秦の弊害を改めた。


本紀の賛をつなぐと、班氏の歴史観が分かる。
異姓の王を削り、同姓の王を虐げ、武帝の初期に経済は繁栄した。だが外征で国庫を使い切り、章帝のとき人口が半減した。
『史記』が循吏とするのは、廉直で民に愛された人。だが『漢書』で循吏とするのは、宣帝の下で、前漢を立て直した人だ。
宣帝の努力もむなしく、元帝以後、前漢は衰退して王莽を登場させた。王莽は漢朝を簒奪した人だが、班氏は王莽の儒教に共感しており、王莽批判の厳密さが欠けた記述もある。

稲葉氏の論文の要約は、これで終わりです。