3章、『演義』の文学性と関羽
著者の井波氏は、あとがきで述べている。
これまでは『演義』の虚構を取り除くことばかり、やってきた。だが『演義』を物語文学として見つめなおしたら、上質のエンターテインメントでとても面白かった、と。
まさにそう。ぼくは同じ感想を持ってます。読書とは、著者の思考過程をなぞることだとは、よく言ったものです。
関羽の見せ場
魯迅は指摘した。
『演義』は劉備の温厚篤実を強調しすぎて、偽善者のようになった。諸葛亮の多智を形容して、妖怪みたいになった。だが関羽については、義勇に富んだ風格がすばらしい。
『演義』で曹操は、敵対の矛盾を越えて、関羽の感情とインテリジェンスに惚れた。関羽もそれに応え、他の劉備の臣のように、曹操個人を罵倒しない。「曹賊」や「操賊」などと、賊徒呼ばわりしない。根源的に相互理解している設定である。
関羽は「顕聖」する。つまり神として姿を現す。玉泉山で悟りを開いたわりには、怨霊が猛威を奮う。呂蒙や曹操や潘璋を殺した。
読者を笑わせて解放する張飛の『平話』から、読者を泣かせ緊張させる関羽の『演義』へ。
小川環樹氏によれば、この変遷は小説の儒教化という圧力の影響だそうだ。混沌から秩序へ、士大夫の価値観が押し出された結果である。
虚なる中心、劉備
『平話』では、後漢から三国時代への全体的な経緯が、よく分からない。曹操、劉備、孫氏のキャラクターも曖昧である。
『演義』では、劉備の高貴さと善人ぶりを打ち出した。曹操は、悪人ぶりが強調された。正邪や善悪のコントラストを相互に葛藤させることによって、歴史の全体像を描いた。
劉備の耳が肩まで垂れたのは、『演義』の独創である。異相の神みたいな容貌を与えて、劉備を善玉にした。当陽では民のために、劉備は川に身投げしようとした。
だが皮肉なことに、劉備が美化されれば美化されるほど、一点非の打ち所のない劉備は、キャラクターの特性を失い、存在感が薄められている。
劉備が積極的に行動を起こすのは、ただ1回だ。関羽を殺されて、夷陵に出陣するときだ。それ以外は、関羽や張飛が活躍し、諸葛亮に言われるがままである。
『演義』の劉備は、強烈な個性をもつ多くの登場人物をつなぐ役割を果たしている。たくさんの登場人物の交錯をモットーとする、中国古典長篇小説の常套手法である。『西遊記』の三蔵法師、『水滸伝』の宋江に共通する。
劉備のとき、もう漢王朝は歴史的生命を終えていた。なぜ、漢王朝の末裔であることが、劉備の属性として重視されたか。
民衆は、貧民から皇帝に成りあがる奇跡を夢見た。だが力だけで成りあがる話は、露骨でロマンがない。だから劉備に安心して共感し、喝采を送るため、ロマンティックな古い枠組みを必要とした。常套的な手法である「貴種流離譚」のバリエーションである。
『演義』が作られた明王朝を建てたのは、乞食僧あがりの朱元璋だった。劉備の物語が受けた背景には、これもあるだろう。
次は、曹操と孫権です。