4章、物語の核、曹操と孫権
物語の核とは、もちろん三国の君主。
劉備に続いて、他の2人が関羽を軸にして位置づけられます。
魅力的な憎まれ役、曹操
曹操は劉備の逆で、積極性の権化である。
陳寿は、曹操を誹謗したと捉えられることを恐れて、曹操の容姿を書き留めなかった。『世説新語』に崔琰を代理に立てた話があるから、曹操の外見が冴えなかったのは、本当だろう。
『演義』で曹操は161センチだ。だが京劇では、憎憎しい迫力を出すために、堂々たる体格の役者が演じる。
曹操は叔父をだました。曹操は法家で、洛陽北部都尉のときに厳しく取り締まった。
登場シーンで早くも『演義』は、曹操がいかに油断できない人物かを読者にインプットした。また宦官の家柄だが、その因縁に捕われないアッパレな人物だと描いた。
曹操の両面性を、序盤から提示していて上手い。
曹操の姦雄がもっとも露わなのは、伏皇后を殺すときだ。
献帝の腹臣・宦官の穆順は、密書を髪にかくした。曹操が身体検査をしたが、見つからなかった。曹操が解放しようとしたとき、風で穆順の冠が飛んだ。穆順が冠を後ろ前に被ったのを見て、曹操は不審に思い、果たして密書を発見した。
曹操は郗鑒に、皇后の玉璽を奪わせた。劉歆は、壁から皇后を引きずり出した。曹操は、皇后を罵倒して撲殺した。罵倒と撲殺は『演義』のフィクションである。
曹操は関羽と信頼関係がある。関羽の潔さを力を込めて描くほどに、拮抗して曹操のキャラが上がる。悪役らしからぬプラスのイメージが、曹操に乗っていく。
曹操は、よく笑う。劉備が泣くのと対照的だ。『演義』を英訳したモスロバートが指摘したように、具体的な身振りを利用して、キャラ立てが狙われている。曹操は華容道で笑うたびに伏兵に遭った。銅雀台の落成式でも、長い長い自慢話を笑いながら語った。
『演義』は、正統的な歴史資料を取り込んだ。そのため、実像としての曹操のプラス面が取り込まれた。これは『演義』の矛盾ではなく、文学的成熟である。単純な二項対立の紙芝居を卒業したのだから。
冷ややかな悪意、孫氏
華雄を討ち取る手柄を、孫堅はそっくり関羽に盗まれた。孫堅は玉璽を発見したくせに、シラを切った。ウソをついた天罰とばかりに、『演義』は素っ気なく孫堅を殺した。
裴松之は、孫堅が玉璽を隠匿したとする韋昭『呉書』を引用したが、直後に必死になって反論した。裴松之は孫堅のファンだから、孫堅を名誉回復したのだ。
孫策について『演義』の描写が念入りなのは、于吉の祟りで死ぬシーンである。孫策がキリキリ舞いするのを、快感をもって眺めている。
のちに毛宗崗は孫策を弁護した。神秘的な魔術を嫌ったことは、孫策の英雄性を表すのだと。
このように孫堅と孫策は、見方によっては英雄であるのに、『演義』では損な立場だ。その理由は、羅貫中が孫権を憎悪したからだ。坊主のついでに、袈裟まで悪まれた結果である。
孫権は関羽を捉えたときに、関羽から「ムダ口を叩くな」と叱られてしまった。毅然とした関羽と、勝ち誇った青二才でナマイキな孫権。そういう図である。
曹操ですら敬意をもって接した関羽なのだ。その関羽を捕まえて笑うとは、孫権の奴め何事か、という羅貫中の気持ちである。孫権は後半に出番が減り、見せ場もなく、いつのまにか退場した。
井波氏のまとめ
関羽を陰の主役として高めるほど、曹操は高まり、孫権は低まる。これが羅貫中の『演義』が複雑な魅力を持つ理由である。