02) 「劉淵」の誕生
司馬炎が天下泰平に酔っているが、
着々と次の時代の準備が、カゲで進んでいます。
靳准にかくまってもらう
鄧艾による成都の包囲を脱出した、王弥と、関羽の孫たち。
王弥は、河西郡の馬邑で、靳准という人の家に泊まった。靳准は中国に住んでいるが、もとは胡種である。
靳准は、経略を胸に抱いており、英士と交わりたいと思っていた。靳准は、王弥たちを賓客として待遇し、質問した。
「あなたたちは、ただ者ではありませんね。見れば分かります。どういう来歴をお持ちの方なのか、教えて下さい」
「私たちは蜀漢の生き残りです。ここまで逃げてきました。しかし陽泉侯の劉豹という人と、はぐれてしまったので、とても残念に思っているのです」
時代はズレてるけど、同名の人を一体化させるのは、上手いことだ。
西晋末の賊・王弥を、ただ王姓というだけで「王平の子」だとコジ付けたことより、レベルが高い。
靳准は、劉豹との生き別れ話に共感し、涙してくれた。
王弥の一行は、靳准の家に匿われた。
ある雨の日、立派な体格の男が、靳准の家を訪問した。
「あれは誰ですか」
関羽の孫は、靳准に聞いた。
「あなた方がお知りになることではありません」
「いえいえ、だから誰なのですか」
「仕方ない、お教えしましょう。彼は北海太守・孔融の孫です。孔萇、あざなは世魯。曹操に殺されたとき、ひそかに脱出した幼子の息子です。かつて穿山夜叉という獣人を退治したことがある、勇者です」
靳准は、孔萇について説明を加えた。
「孔萇には、同居の義兄弟がいます。桃豹、あざなは霧化という人です。彼らは、酔うと暴れます。あんまり会わないほうが、王弥さんたちのためなので、隠したのです」
孔萇と桃豹らが、大喧嘩して仲直りする
靳准の心配は的中した。
王弥と関防(関羽の孫)は、孔萇と桃豹と、殴り合いになった。原因は、狩猟の獲物はどっちが先だとか、飲ませた酒が薄いとか、そんな下らないこと。
靳准の家財を壊すほど、乱闘した。騒ぎが大きくなり、軍隊が出動した。王弥たちは騒ぎを詫びて、靳准の家を立ち去った。途中、孔萇たちが追いついた。
「さっきは悪かった。関防さんは、あの関羽の孫らしいな。どうかオレたちを、家来にして下さい」
智嚢・劉璩が、劉淵と改名する
王弥や関防と別の道で、蜀から逃げているのは、劉禅の三男で「智嚢」と呼ばれている劉璩。羌族の斉万年に道を先導してもらっている。
斉万年は言った。
「劉備さまは、羌胡に優しかった。諸葛亮も優しかった。馬超将軍はヒーローだから、羌胡は馬超さんの祠を建てて、毎年祭っているんだ」
劉璩は、悩みを漏らした。
「関所を通るたびに、姓名を聞かれる。逃避中だから、本名は名乗れない。私たち劉備の子孫は、名を広く知られているから、毎回困る」
廖化の孫・廖全が言った。
「劉璩さまは、偽名をつくれば良いでしょう」
「そうか。母が私を身ごもったとき、大きな魚が胎内に飛びこむ夢を見たらしい。私が生まれたとき、手のひらに『淵』の字があった。よし、私は今日から、劉淵と名乗ろう。魚や淵など、水に関係する奇跡にちなみ、あざなは元海としよう」
以後、劉璩のことを劉淵と呼びます。フィクションが、史実と結びついた、記念すべき瞬間です。
劉璩こと劉淵は、言った。
「曹操は匈奴を5部に分割した。左部を率いたのは、劉豹という人だ。劉豹どのは、晋陽にいるらしい。劉豹どのは、曹操には冷遇されたが、蜀漢から陽泉侯の称号を贈られて、恩義を受けた。きっと私たちに味方してくれるだろう」
劉淵は、涼州の北辺にいる郝元度に身を寄せた。
次回、ついに蜀漢の残党が、根拠地を確保します。