01) 平話ボケした西晋の武帝
早稲田大学編輯部編輯 尾田 玄古撰
『通俗二十一史 6 続三国志』1911
を口語訳しています。解題は、初めにやっているので省略します。
前巻までのあらすじ
西晋は天下を統一した。
孫皓が降服したが、広州太守の陸晏(陸遜の孫、陸抗の子)と、建平太守の吾彦は、孫呉の再興を願って、西晋の平定軍に抵抗した。西晋は、洛陽で手の内にいる孫皓に、「降服せよ」という手紙を書かせた。陸晏も吾彦も、根っからの忠臣だから、旧主の孫皓の命令に従った。旧呉の地域は、完全に平定された。
劉禅が降服し、北地王の劉諶は自害した。だが、劉諶の弟で「智嚢」と呼ばれる劉璩は、劉諶の子・劉曜を連れて、成都を脱出した。蜀臣の孫たちも、ひそかに魏の包囲を突破した。
武帝・司馬炎の失敗政策
武帝は、天下一統したので、とても満足した。一族の人を、王として諸国に封じた。これを、劉頌が諌めた。
「法制が緩いのに、司馬一族に権力を分け与えすぎると、のちのち争いの原因になります。諸王を封じるのを辞めて下さい」
武帝は不愉快だ。
馮紞は、武帝の意を察して、人事異動を提案した。
「いま劉頌は、司隷の職に就いてます。しかし口うるさいので、京兆に移しましょう」
武帝は、命じた。
「反対者・劉頌は消えた。いよいよ諸王を派手に封じよう」
武帝は、諸王の俸禄を増やした。
諸王は、謝礼のために洛陽に集まった。宴会後、洛陽から諸国へ、煌びやかな軍団が出発した。有識者は、軍団が盛んな様子を見て、ため息を吐いた。
「地方に分散させる兵馬は、何と強そうなことか。晋室が乱れる原因とならなければ良いが。枝葉がひとたび砕けたら、根本は無事でいられるだろうか。劉頌の諫言が聞かれなかったのは、残念だ」
皇后は楊氏だ。楊氏の父・楊駿は、朝廷の内外を任された。尚書郎の2人が、武帝を諌めた。
「公侯に封じるのは、功績がある人が対象です。楊駿は外戚というだけで、彼に功績はありません。楊駿は器量が小さいので、大任を与えることは、却って彼を苦しめます」
だが武帝は、楊駿の2人の弟まで、高位に任じた。世間の人は、朝廷を傾ける3人の楊氏を「三楊」と呼んだ。
桓帝や霊帝よりも、ひどい皇帝
武帝は軍団を解散し、諸王たちは任地に帰った。呉蜀は滅び、異民族は大人しい。敵がいない。武帝は驕り、宴会をくり返した。
武帝は、司隷校尉の劉毅に聞いた。
「私を漢の皇帝に例えるなら、誰かな」
「桓帝や霊帝よりも、ひどいでしょう。霊帝のとき、官位が売買されました。政治の姿としては最悪でしたが、官位の売上金は国庫に入っていたのですから、今よりマシでした」
武帝は腹が立った。でも、君主としての度量をアピールしたいから、ムリに大笑いした。
「桓帝や霊帝には、お前のように直言をする名臣はいなかっただろう。だが私にはお前がいる。少なくとも私は、桓帝や霊帝よりも上ということになるな。ははは」
武帝は、武装解除を命じた。
「三国時代の戦争は終わった。大郡は100人、小郡は50人を上限として、郡府の兵を解散させよ。これからは、文を修める時代だ」
交州刺史の陶璜と、遼東刺史の郭欽は、この平話ボケした武帝の政策に諫言した。
「ひとたび異民族に攻められたら、どうやって守るのですか。異民族へは、数十年をかけて文化を伝播させ、わが国の良民とせねばなりません。君主に徳がなければ、異民族は敵対するでしょう」
武帝は諫言を無視し、数十万の守兵を解任した。
豊作が続き、国が富んだ。
危機感が要らないから、武帝は天下の美女を集めて、遊び暮らした。羊車に乗って、羊が止まった部屋の女と交わった。女たちは、塩水を地上にしみこませ、羊を誘った。
次回、蜀漢の遺臣たちの話に移ります。