01) ご紹介&序文
いつ完成するか分かりませんが、口語訳に挑戦します。
早稲田大学編輯部編輯 尾田 玄古撰
『通俗二十一史 6 続三国志』1911
1703年に書肆(本屋さん)が、漢籍ブームの到来に当て込んで、出版したものを、活字化した本です。日本で初めて『三国演義』が翻訳&出版されたのも、1700年ごろでした。
ぼくが卒業論文のテーマにした本です。
今回ぼくが口語訳するのは、その続編です。西晋のネタです。
一般人に分かりやすく歴史を紹介するために「通俗」と銘打たれてます。でも当時のスローガンも虚しく、300年を経過した今では「古くて読みにくい」作品に陳腐化しました。
ふたたび命を吹き込む試みです。このサイトを名づけるならば、
『通俗「通俗続三国志」』
です。通俗の入れ子構造です。音読すると、ゾクゾクします。
翻訳という仕事は、なかなか厳しいもので、
1.面白ければ原典の作者が優れていた証明になり、
2.分かりにくければ、翻訳者の無能さを露呈します
まあ、頑張るしかないのだが。
前置きは以上です。さっそく本文へ。
通俗続三国志序
そもそも歴史小説というものは、民間伝承である。正史のように、オフィシャルな歴史ではない。歴史小説は、ドキドキハラハラして、楽しむためのものだ。近ごろ(元禄時代)に出版ラッシュの歴史小説も、その場だけでもいいから、耳目を楽しませることが期待されている。
しかし、
『通俗三国志』のラストは、劉氏の漢が衰弱し、曹氏の魏が強盛だ。この結末に、満足しない人が多い。関羽、張飛、諸葛亮、趙雲らは忠良なのに、益州に閉じ込められて、漢室を復興させることが出来ない。ひどいストーリーに、腹を立てている人が多い。
『三国演義』を訳した『通俗三国志』は、読者に不満を残して終わるので、商品として許されない。読者のために、憂さ晴らししてやろう。これが『通俗続三国志』のスタンスだ。
前作の批判に読めるが、そうでなく本作のプロモーション用のあおり文句なのかも知れない。
劉禅が司馬昭に降服した後は、忠良な蜀臣たちは、足あとが途絶えてしまう。千載の遺恨である。
みなが漢室を懐かしく思うので、劉淵の父子は、西北に建国することができた。劉淵は、断絶した漢室を継いだ。劉淵の国は、永くは存続しなかったが、私たちを楽しませるには、充分である。
いま『通俗続三国志』を編集した目的は、劉備が負けるストーリーへの不満を解消し、蜀臣の子孫が忠良だったと紹介することだ。
この『通俗続三国志』を読む人は、正史と比較対照して、正史と異なる点をいちいち指摘してはいけない。
劉淵が、劉備の仇を討つ筋書きにエキサイトしてほしい。蜀臣の子孫の忠義に感動してほしい。『通俗三国志』の続編として、楽しんで頂けたら幸いである。
元禄16(1703)癸未年 3月吉旦
次のページから、本編に移ります。お楽しみに。